第31話 馬鹿

私のワンピースを着て微笑むリキは、急に現れた私に驚くこともなくそこに立っていた。

部屋の中は何も変わらずあの絵本も残っている。


今にも壊れそうな床とベッド、何もかもがそのままだった。



『り、リキ…』



「いや、まさかあんたがユキだったとはね。死んだって聞かされてたし、信じられなかったんだよ」



あの生意気な態度からは信じられないほど優しい笑みを浮かべたリキに私は呆気に取られた。

そしてゆっくりとこちらに近づくと、彼は私にまた魔法を放った。


その途端、さっきまで見えていた自分の長い黒髪は消えてまたリキの髪の長さになっていた。


しゃがんで同じ色の瞳を覗き込ませてくる。


そんな彼の瞳を私も見つめ返した。



「うんいいね。金髪の、ましてやリアネスの王子となればすぐには殺されないよ。せいぜい上手く逃げるんだね」



そんなことを言ってリキはぼろ布を上から被りその黒髪を隠した。

色々と話したいことや聞きたいことがあるのにリキは何も言わずにただ笑った。


その笑顔を、どこかでも見た気がして私はふと泣きそうになった。




「…大事な僕の片割れ…今度こそ守ってみせるから…前は穢らわしいとか言って、ごめん…」



そうしてそう呟くと、リキは未だに声が出ない私の腕を引っ張って外へ駆け出した。


大雪の中走り続ける彼の手は冷えていて冷たい。

けれどこの手を、私は何度も握った記憶があった。


そう、確かにこの手を何度も握ったことがあったんだ。









『っ、リキ!!』




「ちょっと泣くなよ僕の姿で。一応僕は泣かない冷酷な男で性格通してるんだからそこだけは守ってよね」
















涙が止まらなくなる。

昔もこうしてリキと手を繋いで走った。









そう、なくした記憶の中でパズルが一つ組み合わさった。























「…冬の海って、冷たくて死にそうになるんだよね」

















やがて、ついこの間アーキルに連れて来てもらった海まで来るとリキは立ち止まった。


そしてそんなことを言うと、リキはふと私を宙に浮かせた。



『わっ!!リキ!何するの!』



「…ここももうすぐ血の海になる。リアネス国は滅びるよ。…ユキ、守護神を探せ。エステルとか言う女神より先に守護神を探すんだ。本物の守護神を。

ユキが救わなきゃ、一生誰も報われない」





そうして呟いたリキは、私を浮かせたまま海面へと移動させた。











やがて森の中から複数のたいまつの火がやって来ているのを見て、私は目を見開いた。




















『駄目…駄目!!リキ!!!貴方も逃げるの!!駄目よ!!逃げて!!!』



















私の姿をして笑ったリキは、やがてその腕を下へ振り下ろした。





















バシャン!!!!




























その瞬間、私は深い深い海の底へと沈んでいった。























声が聞こえない。














私を殺そうとする民たちの声が聞こえない。















身体中冷たい冷たい海に包まれて必死に上に手を伸ばす。















けれどどんなに手を伸ばしても、どんなに這いあがろうとしても、海は私をただ静かに呑み込んだ。







やがてリキの声も民の声ももう聞こえなくなっていた。









































「…愛してるよ、ユキ」








「いたぞ!魔女だ!!」



「これで魔女は滅びる!今こそ女神様を殺した罪を償わせるぞ!!」



「殺せ!殺せ!!」







民たちはユキに化けたリキに気づかずその魔法を放った。

一人の民が抱えていた瀕死の状態のアリアを地面に下ろす。


まるでユキと同じ黒髪のアヴァースである彼女のその痛々しい姿を見せつけるかのように民たちは嫌らしく笑うと更にアリアをその足で蹴ってみせた。





「アリア!?」



「…で…殿…ユキ様」



アリアはユキに化けたリキをすぐに見破るとそっと傷だらけの顔で微笑んだ。


リキはそんなアリアに駆け寄ると民たちから放たれる魔法から彼女を守った。




「どうして、何があった!?」



「…私が、いけないのです。…ユキ様を庇った姿を見た民の皆が、そのユキ様に、より残酷な最期を、迎えさせろと言って私をここに…貴方の目の前で、殺すつもりかも…」



「っ…下衆が」



民の考えとアリアのその姿を見てリキは唇を噛んだ。


今目の前で、心から大切に想っている人がこんな姿になっているのだ。

ここで逃げるなんて彼の中に選択肢はなかった。



「…早く、逃げて」



「馬鹿か穢らわしいアヴァースめ。僕はあんたのこと心底嫌いなんだよ、あんたが死ぬのは僕に殺される時だけだ。勝手に死ぬな」



「…自分勝手なお方」



「なんとでも言え、あんたなんか死んだって何とも思わないけどな、このアヴァースめ」



魔法がリキの身体を貫く。

アリアはその姿を見て、小さく涙を流した。





そうして民が彼にトドメを刺そうと炎の魔法を膨大させている姿を目に、彼女はそんなリキの胸ぐらを勢いよく掴んだ。



「!!」



「この、馬鹿!!!」




やがてアリアはそう言って民たちから放たれた魔法からリキを庇うように背中を向けた。

リキに当たる筈だったその炎の魔法は彼女の背中を貫く。


初めて発されたアリアの暴言にリキは目を見開き、目の前でパタリと倒れた彼女の身体を揺すった。



「…おい、おいアリア、おい!!!」



「…で…ん…か…名前、呼んで…くれ…た…」



「馬鹿はあんただろ!!何してる!?」



「…ユキ様に…言われたんです、今度…貴方にいじめられたら、この、胸ぐらを掴んで、馬鹿って…言ってやれって……」



閉じかけるアリアの瞼にリキの涙が落ちた。

彼女はそんなぼろぼろに泣くリキの頬に手を添えて優しく笑った。



「…殿下…いえ、リキ様…貴方は今でも、私のこの黒髪が、嫌い…です…か」



長い黒髪は、三つ編みが取れてボサボサになっている。

顔は傷だらけでアリアは本当は自分の今の姿を大切な友に見られたくなどなかった。




「くそ、あのアヴァース、虫の息のくせに余計な事しやがって」




民の胸を刺す言葉が聞こえる。



「まぁ、どうせあのメイドも見せしめに殺すつもりだった。これであの魔女も心が死んだ筈だ」



「はっ、あいつに人の心なんてあるか」



聞きたくない声が辺りを飛び交いリキは過呼吸を起こしかけていた。



それなのに彼女の言葉にリキは何も返せず声を詰まらせていた。

その間にも民は再びリキにトドメを刺すために今度は水の魔法を作り出している。


そうしてやっとの思いで彼は口を開いた。



「…そんなの、言わなくたって分かるだろ!?僕は、僕は本当はずっとあんたのこと…」







やがて絞り出した答えをリキが放った瞬間。


民が放ったその氷のように冷たい水の魔法が真っ直ぐにリキの心臓を貫いた。







生き絶える寸前のアリアは、そんなリキを見て微笑んだ。

















「…ほん…と、ば、か…ね…リキ…さま…」
























幼い頃、アリアとリキは薔薇園で出会った。


リキは双子の片割れを亡くし傷心していた。


そんなリキの心を救って癒したのがアリアだった。


二人はすぐに仲良くなってかけがえのない存在になった。














アリアはそんなリキに聞いたことがあった。
















「ねえリキ様、貴方は私の黒髪が嫌い?」

















その言葉に、リキは目をぱちくりとさせると彼女のその美しい黒髪に指を滑らせて言った。





















「大好きだよ!!黒髪も、アリアのことも!!

僕は大好きな人のことは命に変えても守ってやるから!!!アリアが死ぬ時は、僕も死んでやる!!」








「嬉しいわ!私も、貴方のこと一番の親友だと思ってるわ!唯一無二の大切な親友よ!貴方のことは死なせないわ!絶対に!」












アリアはかつてのリキとの思い出に涙を流すと、そっと目を閉じた。































彼女の腕の中には、幸せそうに目を閉じるリキの姿があった。

























リキ様、すいません。

貴方は最後まで、私を愛してくれていたのに。




私は約束も破って、そして貴方の気持ちにも応えられなかった。






けれど貴方を本当に心から、大切な親友だと思っていました。












いつかどこかでまた生まれ変われるなら、どうかリキ様、また私を見つけて下さい。











ルキア様に出会う前に、私を、どうか見つけて。














そして奪って下さい。





















彼女はリキに告白された日の事を思い出す。

青い青い空の下、真っ赤な薔薇園の真ん中で彼は膝をついてアリアに愛を伝えた。




「アリア、あんたが好きだ!!!」













「…ごめんなさい、貴方をそういう風に見た事はなかった…だって私は貴方のことは大切な親友だと思ってるから。…私、ルキア様が好きなんです」



「…ルキアのことが、好きなのか?」



「は、はい…実は黒髪でいじめられている時何度も彼に救われて…ですのでリキ様の気持ちには…」



「っ!…あんたみたいな穢らわしい黒髪のアヴァースに好かれたってあいつなんて相手にもしないぞ!!!」



「…あ、相手にされずとも良いのです、それでも私はルキア様が」



「はっ、今の返事を後悔することになるかもな。たった今、もう僕はあんたのことなんてまったく興味がなくなった!!!その顔も見せるな!!」



「…リキ様」



「黙れ!名前で呼ぶな!はっ、言ってみろよルキアに気持ちでも伝えてみろよ!!」



「…っ、…殿下…すいません…」





リキは、アリアにあんなことを言ったのに。

何故最期まで彼女を愛したのだろうか。


何故、アリアを守ったのだろうか。





心は別の人に在ると知りながら、リキはどこまでもアリアに一途だった。






















彼女の罪は、リキを一人の男として愛せなかったことなのか。

















いや、違う。




















ただ、全てが言葉足らずで素直じゃなかった。















もっと歩み寄りしっかりと相手の言葉に耳を傾けていれば、きっとまた違う幸せの形を作れていたのだろう。



































二人はお互いに"違う愛"を胸に抱きながら、瞳を閉じた。







































  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る