第24話 アリアとリキ

薔薇の庭に来ると、私は目を輝かせた。

昨日城へやってきた時にチラッと見た程度だったからこんなにじっくり見たのは今が初めてだ。


ここまで私を連れてくるとアリアは一歩下がって私の後ろに大人しく控えてしまった。


空は青く晴々しい。

新鮮な空気をお腹いっぱいに吸い込むと、私はアリアの方を見て笑った。



『ほらアリア!そんなところにいないで、一緒に空気でも吸おうよ!こうやってお腹いっぱいに新鮮な空気を取り込む!』



そう言って両手を広げれば、アリアはおずおずと隣へやってきて頭を下げてきた。


あんな酷い扱いをされてきたんだ。すぐに信用出来なくて当たり前だ。



『アリア、見て見て!青い薔薇も咲いてる!君は青と赤、どっちが好き?』



それでも私はただ彼女に話しかけた。

何も返事が返って来なくても、ひたすらに。


側にいて顔を上げようとしないアリアに、私は思わず彼女の腕を掴むと薔薇園を走り回った。

もちろんその事にアリアは驚いていたけれど、それでもずっと走り続けていたら流石の彼女も息切れをしてようやくこちらに顔を向けてくれた。


そうして思う存分走り、ついに私は草が生える柔らかい地面に横たわった。

困惑するアリアの腕を引いて無理やり寝転ばせる。


そうやって二人して空を仰げば、優しい風が私の頬を掠めた。



空には青い鳥が飛び、思わず広い広いその空に向かって手を伸ばした。





『…自由だ』





あの小屋にいた頃は、まさか自分がこんな青空を見れる日が来るなんて思いもしなかった。

柔らかい風に雲ひとつない青空。


かすかに魔法の訓練をする声が聞こえて、隣にはちゃんと"話し相手"がいる。




こんな幸せなことが、本当に現実なのか信じられなかった。





「…私は…貴方がよく分かりません」



寝転んで空を見上げていたら、不意に隣から声が聞こえた。


草木のせいで彼女の顔は見えないけれど、その声が今まで聞いたことのない優しい声なのは確かだ。




『…ん〜どうして?』



彼女が私を分からないと言った理由は何となく分かるけど、それでも私は知らないフリをして彼女に聞き返した。


きっとリキと私ではまったく性格が違う。




「…あの日から私のことを…人として扱ったことなどなかったのに、今日の貴方はまるで昔に戻ったようです」



『…』



そう。

確かに今日は、あの光景をただ見ている事だって出来たはずなんだ。


見て見ぬふりをして、リキのイメージを崩さないことを優先したならば。



けど出来るはずなかった。

目の前に苦しんでいる人がいるというのに手を差し伸べない方が、考えられなかった。



「……貴方はかつて、私に愛していると言って下さいましたね」



『…えっ!?』



次の突然の言葉に私はパッと彼女を見る。

相変わらず草花が遮ってアリアの顔を見る事は出来ない。


けれども彼女の声は風に乗って確かにこの耳に響いていた。


…まさか、リキが彼女に告白していたとは思わなかったけど。



「…でも、好きな方がいると言ったら貴方は次の日から私に暴力を振るうようになった…」






とことんリキが最低な行動を取っているのでどう反応していいのか分からない。

けれども彼女は暴力のことなどあまり気にしていないかのように話を続けた。


隣から私と同じように空に手を伸ばす彼女の腕が目に入る。



「…私、実は殿下に告白された時嬉しかったんです。こんな黒髪の穢らわしい私を愛してくれたんだって。けどその時私は…ルキア様が本当に好きだったから…」



『…え、え!?ルキアを!?』



「…はい。言ったじゃないですか。そしたら貴方はルキア様に攻撃した。あの日のこと、忘れもしません」



『…』



複雑な恋愛関係に私は何も言えなくなった。


つまりリキは幼い頃からアリアのことが好きだったが、告白したらアリアがルキアを好きだと分かり嫉妬か何かで嫌がらせを始めたと。


あまりに幼稚で思わず呆れてしまった。



「…私、最低だから…リキ様から告白された日、ルキア様に告白したんです」






ルキアがモテているのは周りの目を見て何となく察していたけれど、まさかリキの想い人まで彼を好きだったとは思わなかった。



「…笑わないで下さいよ、殿下。

あの日ルキア様に告白をしたら私、きっぱり振られてしまったんです。

"俺にはずっと昔から愛する人がいる"と。

それを聞いた瞬間、何故か貴方の顔が浮かびました。昔から私を愛してくれていた貴方の顔が」



『…』



「…殿下は幼い頃から私を愛してくれてました。

それなのに私はそんな貴方に、好きな人がいると言って冷たく突き放してしまった。

目の前に私を幼い頃から愛してくれてた人がいたのに、そんな貴方を突き放したんです」



『…』



「…その後貴方は変わりました。小さい頃貴方に褒めてもらったこの黒髪も、その日から…私の荷物になったのです。貴方だけが黒髪を嫌わなかったのに、私のせいで…貴方も黒髪を嫌うようになった」



『…』



「…でもそれで良かったんです。変わってしまっても貴方の側にいようとした。貴方が私に対して残酷になればなるほど、私は貴方への罪悪感が消えたのです。なのに…なのに貴方はどうしてまた私に優しくするんですか?」







喋り続けた彼女の声はやがて啜り泣く声に変わった。


人間の恋はなんて儚くて複雑なんだろう。




アリアはきっと、自分がリキを振ったせいで彼の性格が変わってしまったことを償い続けてる。

そしてリキはきっと、未だに彼女を愛しているのにまだ彼女がルキアを好きなんだと勘違いしていじめ続けてる。


そしてルキアには、ユナ様という相手がいる。





更にそのユナ様には、婚約者がいる。














あまりに複雑すぎるその状況に、私はそっと目を閉じた。












『…アリアはさ、深く考えすぎなんだよ』



「…え?」



『僕を振ったことを気に病む必要もないし、ルキアの恋を無理に諦めようとしなくてもいい。

皆が幸せになるために自分を犠牲にするなんて、そんなの駄目だよ』






彼女はきっと周りをよく見ている。


だからこそ、リキのために、ルキアのために、皆のためにどんなに蔑まれようと、いじめられようと今まで耐えてきたのだろう。



そんな重荷なんて、捨ててしまえばいいと思った。






『…リキは君のこと、好きだよ』





そうして風に乗せてそっと呟くと、彼女は微かな声を聞き取れずに私に聞き返した。




「…殿下?今なんて?」




昔の二人はきっと、まだこの世界のことを知らなかったんだろう。

それこそ今までの私のように。



黒髪だからと、身分違いだからと、魔法が使えないからと。


そんなものがまだ分からなかったから、リキは彼女に惹かれたんだろう。








人とは不思議なもので、誰かが嫌いだと言い始めれば周りも合わせて嫌いだと合わせる癖がある。









リキはきっと、まだ大人になれていなかったんだろう。













あの時照れながらも、アリアには優しくしろと言っていたリキの顔をアリアに見せてあげたかった。





そしてまた昔のように、仲直りして欲しかった。











けど私にはその資格はない。










私に出来るのは、そんな二人の背中を押す事くらいだから。








『…次いじめられたら、ちゃんと否定しなよ』



「…え?」



『…特に僕に。いじめられたら全力で否定して、この胸ぐらを掴んで、馬鹿って言ってやって』



「え…で、でもそんなこと」



『…約束だよ。言う事を聞かなかったら、全力でぶっ叩いてやって。本人の僕が言ってるんだ。言うこと聞いてよ?』



「は、はぃ…」



私にはこう言うしかない。

だってこれより先は、リキ自身が落とし前をつけるべきだから。










ただ私は、少しでも二人の架け橋になりたかった。





























時計の針は、カチカチと音を立てる。





















歯車が回る。

























心が乱れる。







































"覚悟してユキ。もうすぐ悲劇が起きる。誰もこの悲劇だけは止められない。けど、生きるのが辛くなっても、泣きたくなっても、現実を受け止めきれなくても、ユキは生き残らなきゃ駄目だ。

救える悲劇もある。…ユキ、頼んだよ。全てはユキの行動にかかってる。

早く戻ってきて、"彼ら"を救ってどうか早く戻ってきて"

























その草むらに寝転びながら、私は誰かの声を聞いた。



   


















さっきまでアリアと話していたのに、私の耳にはその人の声だけが響き渡り心を揺さぶった。


















もうすぐ起きる悲劇って、何?






















貴方は誰なの?
























謎めいたその声の正体は、私には分からなかった。

























ただ、こうして穏やかに過ごしていていいのか不安になった。






















確か私には、やらなければならない大事なことがあったはずなのに。


























そう思いながら、目の前をひらひらと舞い飛ぶ金の蝶々を虚な目で追いかけた。






























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