第10話 瓜二つの少年
森の中をアーキルと進んでいく。
歩いても歩いても同じ景色のこの森は何か目印でもつけておかないと迷子になりそうだった。
けれどさっき見た海からさほど遠くない場所に、私の過ごす小屋を見つけたのだ。
『あった!あの小屋だよアーキル!来て!』
小屋は私が抜け出した時のままになっていて、扉が開け放たれている。
こうして外から自分の小屋を見たことはなかったけれどやっぱりどう見てもボロ小屋であった。
この迷いやすい森の中で自分の小屋を見つけられたことに喜びながら私はアーキルの腕を引っ張って小屋へ連れて行った。
開いた扉から少しだけ雪が入り込む。
そうしてそのまま小屋へ入ろうと彼の腕を引いた時、アーキルは歩みを止めた。
『…アーキル?』
「…俺はここまでにしておくよ」
そこから一歩も動かない彼に、少し寂しい気持ちになる。
彼に部屋の中を見せてあの絵本のことを話したりボロボロのベッドや天井があるんだ、なんて話したかったのに。
けど無理強いはよくない。
私はそっと掴んでいた彼の手を離した。
暗かった夜空は段々と明るくなり気づいたら星々も見えなくなっている。
もうすぐ、朝が来る。
「また会えるよ、きっと。俺はそろそろ行かなくちゃ」
『…会える…かな』
「絶対に会える。俺を信じて」
『…うん、絶対に、また会おうね』
何だか、悲しい別れの挨拶に聞こえる。
彼と過ごしたのは夜の僅かな時間だ。
だけど、その時間は本当に幸せでもっともっと続いて欲しいと思った。
アーキルは静かに頷くと微笑んでそっと頭を撫でてきた。
「戻って、朝が来るよ」
そうしてついに彼の温もりが私の頭から離れていった。
引き留めたい衝動に駆られ私はそれを抑える。
彼と約束した。
ならその約束を絶対に叶えよう。
私は彼の美しい瞳と目を合わせると、やがて彼に背中を向けた。
『…アーキル、私!!』
そうして再び振り向くと、そこに彼の姿はもうなかった。
まるで幻だったかのようにそこにはただ銀世界が広がり、空から雪が降り始めていた。
夜は終わりを告げて、朝が来た。
部屋へ戻ると、私は暖炉の火の側へ向かった。
そうしてまた地べたに座りボーッと過ごす。
その時になって、自分が着ていた上着と靴が消えていることに気づいた。
『あれ!アーキルからもらった上着と靴は!?脱いだ記憶ないのに!』
辺りを見渡しても、ベッドの下を見ても、小屋の扉を開けて外を確認しても、どこにもない。
あれは私が確かにアーキルと出会ったことを証明する唯一の物だったのに。
小屋へ戻り人形のように部屋に座り込む。
今まではこんな孤独、耐えられていたのに。
どんなに一人で暗い毎日でも耐えられていたのに。
『…会いたい』
もう既に、私は彼に会いたくなっていた。
夜になればまたルキアがやってきてこの小屋は再び閉ざされてしまうだろう。
そうなれば次はいつこの小屋から出ることが出来るんだろうか。
いつか来るその日をずっと待ち続けるだけの人生なんて、虚しくなるだけだ。
そう考えて、私は覚悟を決めて扉へ向かった。
昨日とは違って外は明るい。
だから遠くまで行けるかもしれないと思ったのだ。
地図はないしどこかへ行く当てもないけど、何もしないよりはマシだ。
ルキアには申し訳ないけど私はもっと外の世界を見たかった。
そしてたくさんの人に出会って、今のこの世の中を知って、誰かの役に立ちたかった。
『…私なら、出来る』
そうして今、その扉を開いた。
相変わらず緊張で足は震えるけど、大丈夫。
動かなければ、何も始まらないんだから。
扉を開くと再び銀世界が目に広がった。雪がしんしんと降り、辺り一面を白で覆い尽くす。
昨日よりもはっきりと見える白の世界に、私は息を呑んだ。
見上げても月はないし、輝く無数の星たちもいない。
けれど道は照らされている。
そうしてその一歩を踏み出した。
その瞬間。
ダンッ!!!
『っ!!!』
突然のことに一瞬、何が起きたか分からなかった。
降り続ける雪を見つめ、覚悟を決めて歩き出そうとした時、突然見えた人影に私は部屋に戻されていたのだ。
激しい音と共に私は人影に押し倒され、叫ぶ間もなくその誰かの冷たい手に口を塞がれる。
衝撃と共に瞑った瞳をゆっくりと開ければ、私と同じくらいの体格をした少年がいた。
少し跳ねた金色の髪。
彼はまるで誰かに追われているようだった。
私の口を塞いだまま扉の方を気にしている少年はこちらを一切見ない。
片方の手は器用にこの手を押さえつけ動けないようにしていた。
恐怖に心臓が震える。
もし彼が私を殺しに来ていたら?
そうしたら私の人生は、ここで終わるの?
そんな最悪な状況ばかりを想像して、必死に声を出そうともがいた。
しかし次の瞬間、私は言葉を失うのだった。
扉の方をじっと見つめていた彼は、やがてこちらを向いて動きを止めた。
私と同じようにその少年も言葉を失っているようだった。
二人共、まるで時が止まったかのように見つめあう。
「あん…た…誰だ?なんで、僕と同じ顔…」
そうして目の前の少年は困惑するようにそう言うとやがて私を見て怖がるように後ろへ後ずさった。
彼の言う通り、私たちはまったく同じ顔をしていたのだ。
ただ、髪の色と長さが違うだけの、同じ顔。
少年は目を見開き私の姿に酷く動揺していた。
『…あの』
「ち、近づくな悪魔!!」
『…、』
言葉を続けようとして私は黙り込んだ。
今彼の口から悪魔という声が聞こえた。
私が、悪魔?
どうして?
そんな疑問が頭に浮かび、ゆっくり近づく。
けれど少年は酷く怯えた様子で私を拒絶した。
「な、なんなんだよあんた!穢らわしい黒髪の上に、なんで僕と同じ顔なんだ!!気持ち悪いんだよ!!」
『…』
あまりの言われように、私は思わずカチンときて怯える彼に構わず側まで行くと、その胸ぐらを掴んで顔を寄せた。
私と瓜二つの顔をした彼の紫の瞳が見開き、私から逃れようと暴れる。
『ちょっと、初対面の人に向かって流石に言い過ぎじゃないの?傷つくんだけど?』
そう言って暴れる彼を軽く睨めば、その少年は私の手を振り払い距離をとった。
勢いのあまり後ろの壁にぶつかった彼はそのまま尻餅をつく。
痛がる彼に構わず私は腕を組んで少年を見つめた。
よく見れば彼は貴族らしい服を着ていた。
首元にはフリルが付いていて、着ている白い上着には金の刺繍が入っている。
靴は見るからに高そうな茶色の革で作られたブーツだ。
恐らく良いところのお坊ちゃんだろう。
生意気なその態度を見て私はため息をついた。
そうして少年の側まで行き、開いたままのその扉を閉めると彼と向き合った。
扉を閉めたことにより、暖炉の火だけが部屋を照らし暗くなる。
尻餅をついたままの彼に目線を合わすように屈めば彼は来るな!と叫んで両手で自分を守るような態勢を取ったのだ。
『…ねぇ、どうしてそんな私を怖がるの?』
そうして、思わず単純な疑問を投げかけた。
ここまで拒絶反応を起こすのも何か絶対に理由がある。
なるべく派手に刺激しないようにゆっくりと彼に問い詰める。
そうしていると、突然外から声が聞こえてきた。
「殿下ー!殿下ー!どこですかー!」
「っ!!」
外から聞こえた複数の声に、目の前の少年はビクッと反応して舌打ちをすると私を睨み見た。
すると、彼は突然こちらに指を差して来たのだ。
「…おい悪魔、あんた、僕の身代わりになれ」
『………え?』
彼の言葉に困惑する間もなく、少年はそれだけ言うと突然私の髪を一本抜いた。
さっきまで私を怖がっていた癖に、それを忘れたかのように素早く髪を引き抜く。
『いたっ!!ちょっと、何するの!?』
「うぇ、黒髪とか最悪…」
そしてそんなことを言って顔を顰めながら、今度は少年が自分の髪を一本引き抜くとそれを指の上で踊らせて、やがて私に向かって何かを放った。
突然のことにその攻撃を避けられずに目を瞑る。
そうして目を閉じていると、ボソッと声が聞こえた。
「…マジで、僕じゃん…」
そうして彼のその言葉にゆっくり目を開けた瞬間、私の目にはありえない光景が広がっていたのだ。
目の前の彼の髪は黒い長い髪へと変わり、ただ服装が違うだけの私になっていたのだ。
そうして私は
『えっ!?髪が短くなってる!!』
「…いちいち煩いんだよ、気づかれたらどうする!」
自分の目で確認することが出来る程長かった髪は短くなり、そっと片手で自分の髪に触れるとさっきの少年の髪の長さに変化していたのだ。
少し癖っ毛の、恐らく、金髪…
もう一人の自分と向き合っているみたいな感覚になり私は目を見開いた。
やがて少年は外の声に焦るようにその場を立ち上がると、突然服を脱ぎ始めた。
『ちょっと』
「このリキ様があんたのその見窄らしい服と交換してやる、それに僕の輝かしい王宮生活もついてくる。最高だろ?」
『はぁ?ちょっと、言ってる意味分からないんだけど』
少年は満足げにそういうとパパっと服を脱ぎ私にその服を投げつけた。
無言の圧力で、着ろと言われている気がする。
つまり彼の身代わりになって生活をしろということなんだろうけど、今、王宮って言わなかった?
突然のその言葉に混乱は止まらない。
それでも少年は私を急かすように捲し立てた。
「早くしろよ!!ここにいるって気づかれたら黒髪のあんたの命も危ういんだぞ!」
『っ!』
命が危うい。
そう言われて私は誰かに背中を押されるように目の前の服を受け取った。
正直、緊張と恐怖と震えしかないけど。
けどそれと同じくらいの好奇心もあった。
彼として生活すれば、私もたくさんの世界を知ることが出来る。
そう信じて、私は覚悟を決めた。
『あっち向いてて』
「分かったよ!絶対着ろよ悪魔」
『あと、私悪魔じゃなくてユキだから!覚えて!』
「…ユキ?」
そうして彼が後ろを振り向いたことを確認すると、私はその服に腕を通した。
ここに鏡がないのが非常に残念だ。
白いワンピースしか着てこなかった私は、初めてこんなしっかりとした正装を着た。
ワンピースよりも遥かに重さがあってずっしりとしている。
ズボンは動きやすくて暖かい。
今までの自分と違うことに感動して、私は目を輝かせた。
さっきまで怯えていたのが嘘のように心がときめく。
そうしてその場でくるっと回れば、私は自分が着ていたワンピースを彼に渡した。
『ほら、生意気くん。私のワンピース』
そうして渡せば彼は実に不服そうな顔をしてワンピースを受け取った。
生意気くんは私をチラッと見つめてからすぐに目を逸らす。
やがてそのワンピースに腕を通した彼は、完全な私となったのだ。
「…あのさ、僕はリキだから。さっき言ったよねリキ様だって」
『ああそうだっけ?じゃあリキ、改めて宜しく』
「呼び捨てだと!生意気な!…と、とにかく。一人称は僕!あと王宮では基本喋るな!あと!あ、アリアっていうメイドには、その…優しくしろ!」
そうしてお互いが入れ替わり見つめ合うと、彼…リキは腕を組んでそう言い放った。
王宮での暮らしなんてまったく分からないけど、彼から言われた言葉を守っていれば恐らく大丈夫だ。
どうせ一時的なものだし私なら乗り切れる気がした。
『分かった。一人称は僕、名前はリキ。基本無口で、アリアには特別扱いしろと』
「復唱するな!!あ、アリアには絶対変なこと言うなよ!」
『分かったって。じゃあ私も。一人称は私、えっと基本一人だから自由にしてて。ただこの小屋からでないこと』
「…は?それだけ?」
『うん、あとはここに来る人にはちゃんと生意気な態度取らずに受け答えしてね』
「へ〜、何だよちょー楽じゃん」
『…』
確かにそれだけ言えば楽で居心地がいいと思うだろう。けど私にはここは狭い鳥籠のように感じていた。
彼が与えてくれた僅かな自由を、無駄には出来ない。
そう思って顔を上げた瞬間。
私は彼に掴まれ勢いよく外に放り出されてしまったのだ。
『ちょっと!!まだ話は終わってない!!』
冷たい雪の中に放り出された私は、服についてしまったそれを払いながら立ち上がる。
バタンッと大きな音を立てて閉った扉に唖然としてしまった。
未だに降り続ける雪は、また服に積もっては溜まっていく。
でもこの服のお陰で寒さはほぼなかった。
顔に当たる冷気は痛いくらい冷たいけど、あのワンピースに比べたら全然平気だ。
閉まった扉に向かって声をあげても返事がないのでため息をついて、仕方なく諦めることにした。
そして、私は静かな白銀の森を歩き出した。
また孤独で怖いけど、前へ進まなくては。
私の未来は、私が決める。
そうして声がする方へひたすら歩いていく。
やがて森を歩き続けていた時、後ろから誰かに声をかけられた。
「殿下、ここにいましたか」
その声に、思わず足を止める。
この声はよく知っていた。
静かなこの場所に、聞き慣れた低い声が響く。
まさか、そう思いながらもゆっくりと振り返る。
舞い散る雪の結晶が私のまつ毛に落ちて来て、視界をぼやけさせる。
けれどもぼやける視界の中でも、その姿ははっきりと私の頭の中に映った。
何故ならそこにいたのは
『…ルキア』
そう、間違いなくあのルキアだったから。
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