第9話 水龍
幻想的で美しい光景が一瞬にして姿を消して、また元の静かな海に戻る。
さっきのアーキルの表情が気になりもう一度見つめてみると、彼はもういつもの表情に戻っていた。
「びっくりさせちゃったかな?」
波打ち際にいた彼はそう言って私の元へ戻ってきた。
確かにびっくりしたけど、それよりもあまりの衝撃に言葉をなくしていたのだ。
『ゆ、夢みたいだった…』
つい下手くそな感想を伝えれば、彼はまた小さく吹き出して笑う。
だって本当に、さっきの光景はまるで夢のようだった。
未だに鮮明に頭に残っているあの美しい水龍は私の心に火を灯した。
あんなに美しい物、見たことない。
魔法って、本当に素晴らしい物なんだ。
そう思って色々アーキルに言いたいのに、思ったように言葉には出せなかった。
「さっき話してた魔法のランクがあるでしょ?今俺がやったのが、上魔法だ。魔法の中では最上級でいて難しい。上手く使いこなせないと、人を傷つけてしまうほどの魔法だ」
彼はそう言うと自身の手を見つめ、やがて握りしめた。
上魔法はどんな物なのかと思っていたけれど、まさかこんなに迫力のあるものだったなんて。
確かにあれがもし人に向かって放たれたとしたら、想像するだけでも恐ろしかった。
『上魔法、危険だけど、とても綺麗だった』
そうしてやっと思いのまま口に出せば、彼は頷いた。
そうして一緒に月を見上げる。
このまま月を眺めていたら、また龍が現れるのではないかと思った。
恐らく上魔法は一筋縄ではいかないものだ。
それでもアーキルは見事にその魔法を使いこなしてみせた。
一体彼は何者なんだろうか。
ただ知りたいことが一つ二つと増えていく。
こうして今一緒にいる時間も、もしかしたらこれで最初で最後かもしれない。
だって私は、またあの孤独な小屋へと帰らなければならないのだから。
「そういえば君はどこに住んでるんだ?もし今から家に帰るなら送っていくけど」
やがてその言葉に我に帰る。
アーキルには私の家のことや事情をまったく説明していないから。
ありのままを話してしまえばルキアに脱出したことがバレてしまうかもしれない。
けど、彼に本当のことを話したい。
二つの気持ちで揺れ動き、私はもどかしくなりながら漸く口を開いた。
『実は、森の中の小屋に住んでるんだけど場所が分からなくなっちゃって…光る蝶々を追いかけてたら雪の中に倒れちゃったの』
これなら間違いではない。
真実を告げられて私は少しホッとした。
何だかあの孤独な、密封された小屋のことを誰かに知っていて欲しかった。
そうじゃないと一生あのまま小屋の中で過ごして老いていく気がしたから。
ルキア以外にも誰か、私を知っていてほしかったのかもしれない。
そしてそれを聞くとアーキルは何も疑うことなく頷いてくれた。
彼の暖かい手が再び私の冷たい手を掴む。
「分かった、一緒に君の家を探そう」
『え、いいの?どこか分からないんだよ?』
「平気だよ。この森には結構詳しいんだよ俺。とにかく歩いてみよう」
そう言ってアーキルは再び歩き出した。
彼にとって私の家を探すことなんてどうでもいい筈なのにこうして付き合ってくれるのが、堪らなく嬉しかった。
もしかしたら私は、ずっと誰かとこうしたかったのかもしれない。
孤独な時間の中で、わずかしか会えないルキアを待ち続けている時も、一人の孤独に押し潰されそうな時も、きっと誰か側にいて欲しかったんだと思う。
その温もりと優しさと、彼の存在に、私は心から感謝した。
あの光る蝶々はもしかしたら私をこの人に合わせるための神様だったのかもしれない。
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