第5話 恋

さっきまでいた暖かい部屋に戻れば、彼が扉の近くにあったスイッチを押して明かりをつけた。

天井にぶら下げられたステンドグラスの明かりは光り輝き幻想的な部屋の雰囲気へと姿を変える。


あまりの美しさに口を開けたまま天井を眺めれば、彼が長机にある椅子をそっと引いてくれた。



「どうぞ、君は暖炉の近くに座って」



紳士に椅子を引き私を誘導する彼。

そのまま引き寄せられるかのようにその椅子に座れば、彼はオルゴールの近くに置いてある棚を開けそこからマグカップを取り出した。


その姿すらも絵になっていて、ついつい彼を盗み見る。


二つのカップを取り出した彼は更に違う棚を開けると並べられた紅茶や珈琲の茶葉を眺めてから私を見つめた。


未だに目を合わせることに慣れない私は、こっちを見られた瞬間目を逸らしてしまった。


ばかばか、これじゃ本当に嫌な態度取ってるみたいじゃない。そんなことを思ってしまう。



「何が飲みたい?紅茶もあるし珈琲もあるよ」



やがて彼はそう質問した。

相手がルキアならばまたロイヤルミルクティーだのハチミツを入れて欲しいだのアップルティーがいいだの色々言うけれど、どうしてもそんなことを言えるような状態じゃなかったので、小さな声で彼にこう言った。



『…紅茶、がいい…です』



やっと出た短い言葉は噛んで上手く話せず、彼とも目を合わせられなかった。

どうしてこうも上手く話せないのか悔やんでも彼の瞳を見ることが出来なかった。


けれど彼はそんな私を見ると、分かったと優しく言って棚からいくつかの紅茶の茶葉を出してくれた。

また背を向けた彼をチラッと見ると、再び後ろを振り向く彼。


慌ててパッと目を逸らせば、彼がこちらへ近づく音がした。

彼の行動一つ一つにバクバクとなる心臓に破裂してしまうのではないかと感じてきた。



「アップルに、アッサム…アールグレイもあるよ?好きな茶葉とかある?」



そう言って私の目の前に茶葉の入った三つの瓶を置くと彼は少し嬉しそうにそう聞いてきた。


あ、あさっむ…あーるぐれい?


何だ、何が違うんだ?


紅茶は紅茶じゃないの?


初めて聞くその名前に思わず頭が混乱して、どう答えたらいいのか分からず小さな声で彼に返事を返した。



『み、ミルクティーって作れ…ますか?』



彼はどの紅茶がいいか聞いてくれたというのに、全然違う返答をしてしまった。

少しの沈黙が流れ、やらかしたと思うも彼を見ることが出来ない。


世間知らずの人だと思われたらどうしよう、と思いながらもそっと彼を見上げれば、彼は優しく微笑んでいた。



『っ』



「勿論作れるよ、俺もミルクティー大好きなんだ。待っててすぐに作るから」



そう言って茶葉の瓶を持ち再び背中を向ける彼。

さっきの優しい笑顔が頭から離れなくなり顔が熱くなる。

ズルすぎる、あんな顔。


あんな顔されて、心臓が跳ねない人がいるものか。


そんなことを思いながら、姿勢を正し紅茶を入れる彼の後ろ姿を見つめた。


彼は一体誰なんだろう、彼はこの小屋にいつから住んでいるんだろう、彼の名前はなんだろう、彼には恋人はいるのだろうか。


色々聞きたいことがあるのに、私には少し難しいと感じてしまった。


だってこんな気持ちになるのは初めてだし、どう接するのが正解なのか分からないし、誰も教えてなどくれないから下手に何も言えないんだ。


その後ろ姿を見つめていると、彼が背中を向けながら話しかけてきた。



「結局俺の好みで作っちゃってごめんね、でも絶対に君も気にいると思う」



むしろ私の方が投げやりに答えてしまったというのに彼はそう言う。

あまりに優しいから、つい首を横に大きく振ってしまった。



『こ、こちらの…セリフです、ミルクティー作って、とか我儘を…』



「我儘な訳ないよ、俺もミルクティーが好きだからなんか嬉しかった」



彼は、すぐに私の不安を和らげてくれる。

優しすぎるその言葉に少しずつ落ち着いていく。



彼は棚にあった引き出しから銀のスプーンを取り出すと、今度はハチミツがたっぷりと入った瓶からそれを掬い出した。

そしてそのまま紅茶の入ったマグカップに入れかき混ぜる。


それから今度は牛乳の入った瓶を取り出し少しだけカップに入れるとまたさっきのスプーンでかき混ぜた。



そうして出来上がると彼は二つのマグカップを持ってこちらへやって来た。


そっと私の前に白い花柄のマグカップを置く。

そしてもう片方の青い花柄のマグカップを持ちながら彼は暖炉とは反対側の椅子に座った。


彼と向き合う形になり、また少し緊張してしまう。



『…ありがとう…ございます』



「いいえ、熱いから気をつけてね」



目の前に置かれたマグカップを手に取ると、私はそっとそれを口に近づけた。

既に彼はカップに口をつけ飲んでいる。


そして私も、彼の作ったミルクティーを味わった。




『!美味しい!凄い、何これ…!』



ふわっと香る花の匂いに、甘すぎないミルクティー。

ルキアが普段作ってきてくれるミルクティーとはまた少し違う美味しさがあった。

あまりの感動に続けて二口三口と飲んでいく。

そうしてそっと彼を見つめたら、またあの優しい笑顔でこちらを見ていた。



「良かった、ある人から教わって覚えたんだ。ハチミツの量や牛乳の量が決めてで、その子に何度も作り方を叩き込まれたよ」



そしてそう笑う彼の表情に、何故か私の心はチクッと音を立てた。なんでだろう。


凄く美味しいこのミルクティーは、彼が知っていて、私の知らない人から教えてもらったものなんだ。

初めて会う彼なんだから、私より付き合いの長い人がいて当然だというのに何故か心は穏やかではなかった。



『…そう、なんですか。その方はセンスがありますね』



マグカップの中で揺れるミルクティーを見つめながら、そう言う。

この何とも言えない感情は何だろう。

私には、わからない。私には…わからないよ。




「そうだ、もっと気楽に話していいよ、そんな堅苦しくならなくていい」



『えっ』



気分が沈んでいると、彼から突然そう言われた。


まさかそんなことを言われるとは思わずに顔を上げる。

確かに敬語を使って話していたけど、そんな友達のように接していいのだろうか。


少し悩んでしまう。


けど彼が望んだことだし、確かにこのままだと堅苦しくて距離があるような気持ちになった。




暫く返答に困っている私を見ると、彼はまた優しく笑って口を開いた。



「無理にとは言わないよ、気が向いたらでいい」



そう言って席を立とうとした彼。


何だかさっきのようにただ背中を向けられただけなのに無性に悲しくなって、私は思わず席を立ってその背中を追いかけた。


そしてそのまま片手を伸ばして彼の服を掴む。



突然服を掴まれたことにより彼が持っていたマグカップが小さく音を立てた。



すると私によって動きを止めた彼は、少し驚きながらこちらを振り向いた。



何故かあまりに大胆な行動に出てしまったことにまた心臓が煩く鳴り響くが、気づいたら身体が動いていたのだ。




私は一瞬彼と目を合わせるとまたすぐ逸らし、その服を掴んだままそっと声を出した。



『…わ、私、ユキって言うの…あなたは?』



自然に、言えただろうか。

敬語も外して、自分の名前を名乗る。


勇気を出して踏み出し、私はついにルキア以外の人に名前を教えたのだ。

どんな反応が返ってくるのか、変に思われていないか、色々なことを考えて頭を悩ませていたら、彼がこちらに向き直って少し屈んで私と目線を合わせた。



「ユキ、素敵な名前だね宜しく、俺の名前はアーキルだよ」



『…っ!』



私の名前を素敵だと言い、彼も名乗ってくれた。


当たり前のことかもしれなくても、私は彼に名前を呼んでもらえたことが嬉して堪らなかった。

パッと顔を上げしっかりと彼…アーキルと目を合わせる。


ステンドグラスの光と彼の宝石のような瞳がゆらゆらと煌めき、その中に映す私を見つけた。




アーキル。




アーキル。






彼は、アーキルという名前なんだ。













『アーキルも!素敵な名前ね』









思わずそう返せば、彼は微笑んでありがとうと言った。







この気持ちが何なのか、私には覚えがある。








かつてルキアに聞いたことがあった。













好きな人には、どんなことを思うの?と。














"その人を見る度に心臓がドキドキと音を立て、ずっと側にいたいと思う。会えるだけで気分が良くなり、その人だけ輝いて特別に見える"










かつてルキアが言ったその言葉に、私は今理解出来た気がした。






あの時はそんなことを聞いても、正直人の心は難しくて理解が出来なかったけど、今なら分かる気がする。










目の前にいる、アーキルという人間。










一目惚れなのか、運命を感じたのかは分からない。









ただ、一目見た時から心臓が躍るように跳ねて私を射抜いた。










もしこの感情に名前をつけるとしたら、それは間違いなく、恋だろう。









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