第4話 雪華草

次に目が覚めた時、私は見知らぬ場所にいた。

最初はまた夢でもみているのかと思ったけど、あの時雪の上で意識を失ったことを思い出して思わず飛び起きた。


辺りを見渡すと、そこには誰もいない。

ただ暖炉の火が音を立てていて小さな音楽が聴こえた。

これは、オルゴール?


何年か前にルキアからオルゴールを聴かせてもらったことがあった。

心地の良いその音を気に入ってずっと聴いていたら、壊れてしまったのだけど。

また新しいのを買ってやるからなんて約束をしたのに、ルキアはすっかり約束を忘れていた。


ここで今流れているオルゴールは、ルキアにもらったあのオルゴールとはまた違う曲だ。

聴いたことはないけど、どこか心落ち着くような音楽だった。


私はふかふかの暖かいベッドの上で眠っていた。

質素であるものの、私がいつも寝ているあの小屋のベッドよりかは寝心地がいい。

枕も、こんな弾力のあるものは初めてだった。


ここはどこかの小屋のようだったけれど、私のいるあの小屋より全然綺麗で居心地も良さそうだった。

暖炉のすぐ側には緑の絨毯の上に長机が置いてあり、その上にはカゴに入ったフルーツが置いてある。


また机の中央には花瓶にささった美しい小さな花があり生き生きとしていて、ここに誰かが住んでいるのだろうと想像出来た。


オルゴールは暖炉の近くにある大きなガラス張りの置物から聞こえていて、何だかどこかへ迷い込んでしまったような不思議な感覚になった。


ここまで私を運んでくれたのは一体誰なんだろうか。


そう思ってベッドから立ち上がると、私の肩から暖かいふわふわの毛布が落ちた。


きっとここに連れてきてくれた人が私にかけてくれたのだろう。

私の小屋では見ることが出来なかった物がたくさんあって思わず感動して隅から見てしまう。


暖炉の火が反射してグラスには炎がゆらゆらと揺れ映っていた。



そうしてグラスに映った自分を見て、私は思わず立ち止まった。

そういえば自分を見るのは初めてかもしれない。


そう思っていると、ベッドの近くに置いてあった大きな鏡を見つけた。


その鏡に私はそっと近づく。



『…』



鏡に映る私は、長くて黒い髪に、紫の瞳をしていた。


私はそっと大きな鏡に触れて胸元で輝く美しいネックレスを見つめた。



『このネックレス、やっぱり綺麗…』



いつだか覚えてはいない。

5年前目覚めた時からつけていたこの青くて美しい真珠のような宝石は、鏡で見ても美しさが際立っていた。


この部屋には窓がついている。

珍しいその光景に、窓に近づくと私はカーテンを開けた。



『…素敵な月…』



部屋からこうして月が眺められるなんて、なんて幸せなんだろう。

いつか夢見たこの美しい世界に、私は今ちゃんと存在してるのだ。



そうして暫くすると私は部屋にあった扉をそっと開けた。何だかいつものあの小屋の影響で、この扉は開かないのかもしれないと思ったけれど、そんなことはなかった。


茶色の扉を開けると、そこはまた違う部屋になっていた。



暖炉の火もないこの部屋は少し薄暗くて見えずらい。

それでも一つのランプがこの部屋を少しだけ照らしてくれていた。

小さな丸机に置かれたランプの光は、見事なまでに敷き詰まった本棚を照らしていたのだ。



『…凄い…』



こんなにたくさんの本があるのを見たことがなかった。奥まで続くこの本だらけの部屋は、絵本が大好きな私にとって最高の場所だった。


そこにあったランプを手に取ると、私は本棚へとランプを近づけた。



色とりどりの本の表紙に、見知らぬ物語のタイトルがずらりと並んでいる。


あれもこれもそれも、全部全部本なんだ。


私はそっと本棚に指を当て、一冊ずつタイトルを見て行った。

時々古くて読まれていないのか蜘蛛の巣があったり埃を被ったりしている。


本棚はずらりと奥まで続いていて、興味深々に私は突き進んだ。


御伽話の本に、世界のことが書かれた本、それに魔法使いのための本というのもある。


見る度に新しく発見するタイトルに、目が輝いて興奮が収まらなかった。





そうして突き当たりまでやってきた時、ふと物音がした。





『っ』




私は思わず物音がした方を見て、そっと近くの丸机にランプを置いた。

暗い本棚の奥で、誰かが動く音がしたのだ。


きっと私をここまで運んでくれた人だろう。

そう思ってもどうしても恐怖が勝っていた。


手元に明かりもない状態で音のする方へ近づいていく。


この部屋の突き当たりの、その角を曲がった所に恐らくその人はいる。



そうして私はそっとそっと歩き、物音を立てずに物音に近づいた。




やがて近づくに連れ、窓から差し込む月明かりが現れてきた。

大きな窓から月の光が差し込む。




そうしてランプがなくても見えるほど月の光が差し込む場所までやってきて、私はついにそっと角から物音のする方を覗いた。

























『っ………』
















そこには、確かに人がいた。











目に入った瞬間、まるで心臓が止まってしまうかのような感覚になった。










だって、その人があまりに綺麗で、かっこよくて、目が離せなかったから。
















角を曲がった先には、窓際に座り本を読んでいる若い青年がいた。















彼の髪は月の光を浴びて金色に輝き、耳元についているその宝石のようなピアスが光り輝いていた。


そして本を読み伏せた瞳は宝石のよう。

けれどここからでは色はよく確認が出来なかった。


ただ、本当にここに存在している人なのか分からないほど美しい人間だった。







物語に出てくる王子様は、白馬に乗ってやってくる。







そして今私が見ているその彼こそ、まるで白馬に乗って助けに来る王子様のようだった。
















目を奪われて声が出ない。













彼は白いシャツに黒いズボンを履いて、窓際に座っていた。







こんな感覚になるのが初めてで、心臓が煩く鳴り続ける。







きっと彼が、ルキア以外に出会った初めての人だからこうなっているのだと、そう思うようにしても異常なほどに鳴る心臓は治らなかった。







彼の長い指が一ページずつ本を捲る。








その仕草すらも綺麗で、物語の中の王子様だった。















そうして思わず一歩踏み出した瞬間、私は落ちていた本に躓いてなんとバランスを崩しそのまま前に転倒してしまったのだ。


















『いっ……はっ!!!』











痛がっている暇もなく、自分がやってしまった失態に私は勢いよく顔を上げた。

そうして見上げると、本から目を離した彼が驚いた顔をしているのが私の目に映った。



そこで漸く彼の瞳を捉えた。





青い真珠のような瞳、金色に輝く髪、通った鼻筋、まつ毛すらも美しい。

こんな彫刻のような王子様のような人、存在すると思わなかった。






私が恥ずかしさに顔を熱くして立とうとすると、やがて彼が小さく吹き出す声が聞こえた。








「あははっ、ごめんね。おてんばさんなの?君」







小さく笑って本を閉じると、彼は微笑みながら立ち上がって私に近づいた。

そうしてそっとその手を差し伸べてくれる。



スラっと背が高く、足が長い。

それなのに肩幅は男前で、その手にも血管が浮き出ていた。





背中に差し込む月明かりが彼にとてもよく似合っていて、夜空を見上げた時と同じような感覚になる。





彼のその伸ばされた右手の小指には、一つだけ綺麗な指輪が嵌めてあった。


その手を握っていいのか一瞬戸惑いながらも、折角差し出してくれた手を掴まない方が考えられなくて私はそっとその手に自分の手を重ねた。




ドキドキと音を立てる心臓に気づかれそうで、立ち上がると私は彼からすぐに手を離した。





動揺しまくる私に比べて、彼は冷静で落ち着いていて大人びて見える。



未だにゆっくり微笑む彼を少し見つめた後、やっぱりどうしても直視出来なくて近くにある本棚を見つめた。





どうしよう、こういう時、どうするのが正解なんだろう。






ルキアに聞いておくんだった。







そんなことを思いながら、ただドキドキと音を立てる心臓に落ち着けと唱え続けた。








やがて少しの沈黙の後、彼が口を開いた。







「身体は、暖まったかな?」








『あっ』







やっぱり、彼が私を雪の中から救ってくれたんだ。





私は優しく心配してくれた彼に返事をしようと、なんとか口を開く。



しかし上手く言葉を話せなくて、悔しくて歯を食いしばってしまった。






「無理に答えなくていいよ。あ、でも君顔が赤いね、熱があるのかな」






そうして何も言えないままの私を見ると彼はそう言って手を額に近づけた。




彼の優しくて整った顔が近づき、ただでさえ壊れそうな心臓が更に音を立てる。





こんな状態で触れられたら気絶でもしてしまうんじゃないかと思い、私はさっと後ろに下がった。







そうしてチラッと彼を見る。





酷い態度を取っちゃったかな、なんて思うけれど彼はそんなこと気にしていない様子だった。




「ここは寒いから、暖炉のある部屋に移動しようか」




やがて彼はそう言うと、さっきまで読んでいた本を棚に戻して私の先を歩いた。


さっき勝手に持ち出してしまったランプを手に取り、彼は足元を照らしてくれる。







「暗いから転ばないように気をつけて、まだ身体が冷えてるかもしれないしゆっくりでいいよ」








その仕草、姿、声、全てが御伽話の王子様みたいで私は酷く動揺していた。




結局彼とはまともに会話出来ていない。





上手く会話が出来ない奴って思われてたらどうしよう。嫌われてるのかなとか思わせてたらどうしよう。

そんな不安ばかりが頭を巡る中で、彼はさっきの部屋まで私を連れて行ってくれた。












彼から香る匂いは、優しい花の香りだった。

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