第2話:全て私の

「い……おい――聞いているのか!?」


 ゴドフリー殿下の怒声ではっと我に返る。

 そうだ――今は卒業パーティーの途中であった。その最中、この男は婚約破棄を行い、別の女を伴侶とすることを宣言した。彼は腕を組み鼻を鳴らし、なおも得意げに話を続ける。


「本来であれば牢獄へ数日軟禁した後、然るべき罰を受けてもらうのが筋であるが。聖女ハンナの慈悲により、国外追放に留めておいてやる」

「……そうですか」


 彼女は何も語らず、ぐすぐすとわざとらしい泣き真似を始める。それを必死に宥める隣の男。

 ――白々しい。

 まぁ……よくもここまで浅ましい道化になりきれるものだ。

 確たる証拠がなければ何もない。それに、彼らの主張は勢いで押し通すことだけに注力したせいか、全く以て筋が通っていない。よく考えれば間違っていることを、さも正論かのように語る。

 周囲の貴族はなおもひそひそと話し続けていた。かつて私を友人と位置づけた人たちも、困惑の色を浮かべ小声で討論するばかり。

 反応としては……賛同が少数、否定が少数。そして面白がる者が多く――彼らがこの場の大半を占めている、といったところであろうか。

 興ざめだ。きっとこのまま彼らの支離滅裂な言い分を聞き続けたところで、時間の無駄でしかない。

 茶番劇の幕引きには、ここらが丁度いいと言えようか。

 

「言いたいことは、それだけですか?」


 今度はゴドフリー殿下が驚く番であった。

 いつもの大人しく物静かな私であれば、何の反論もなく黙って要求を飲むとタカを括っていたのであろう。そうでなければ、この反応に説明はつかない。

 私はずっとずっと耐えてきたのだ。

 そう、たったこのときのためだけに。


「かつて殿下は私にこう語ってくださいました。ある一国を自らの指揮で滅ぼした、と。その名はヘルメス王国。覚えておいでですか?」

「なんだって……? いつ、俺がそんなことを言った!?」

「あくまでしらを切るおつもりなのですね。まぁ、ここにはたくさんの観客がいらっしゃいますから、その反応も当然のものであると言えましょう。貴方がそう語ったのは、私が十七歳になった、緑豊かな季節のことですわ」

「余計な話が多すぎる。さっさと本題に入らないか!」

「あらあら、質問に答えただけですのに。そうですね――ふふ。どうして今、この名を挙げるか。大方予想がつくのではなくて?」

「いいから早くし」


「私は、元ヘルメス王国の第一王女。そして、唯一の生き残りです」

 

「……ッ何を――馬鹿な――!!」


 数拍置いた後、金切り声にも似た悲鳴が響き渡る。あまりの騒がしさに、空になったグラスのうちいくつかが音を立てた。

 

「私の故郷は、ある日突然攻め入られ滅ぼされました。それがまさか、自分の言うことを聞かなかったから、なんて身勝手極まりない理由だっただなんて……一体誰が想像できたことでしょうかね?」

「ッしかし、貴様が持ち出したのは過去の話。仮にそれが事実だとして、罪を追及するにはいささか遅すぎるのではないのかね!?」

「ええそうですとも。私だって、今更そのようなことで殿下を裁けるとも思ってはいませんわ」


 当然その返しも想定していた。何せ六年前の出来事だ。時効を迎えているとかなんだとか言い訳をして逃れることも織り込み済みである。

 ともあれそれを理由にすることは、ついででいい。

 この男に、何らかの罰を与えられるのであれば。


「ですが、こちらならば如何でしょう?」


 丈の長いドレスの下、隠し持った薄い冊子を取り出す。

 これを落とすまいと必死だった。まぁ、運良くあの男は彼女をダンスの相手に誘い、私なんかに見向きもしなかったおかげで、余計なことをしなくてすんだのだけれども。


「殿下、貴方が滅ぼした国の生き残りを、奴隷として他国に売り渡していた記録です。人身売買――ひいては奴隷の扱いに関しては、法で固く禁じられているはずですよね?」


 マイアー王国は聖女を重んじると共に、奴隷に関する取り扱いも酷く厳重であった。それは例えば人身売買であったり奴隷を所持することであったり、他の人間を奴隷の身に落とすことであったりと。

 これはその記録……いわば、裏帳簿のような物。日付は最近のものであるが、三冊に渡る帳簿には遠い昔ですらも刻まれていた。なんなら、六年前にヘルメス王国以外の記録だって存在する始末。私があのとき奴隷にならずにいられたのは、不幸中の幸い。それに気づいたとき、身の毛もよだつ悪寒と吐き気に襲われた感触を、今でも覚えている。

 二ヶ月前から半月前の記録を読み上げれば、彼の顔が面白いくらい真っ白になっていく。

 あらあら、そんなにも震えて可哀想に。こちらとしては、こんなにもしっかりと証拠を残してくださるなんて、有り難いったらありゃしないのだけれども。


「嘘だ、そんなはずはない! これは誰かが俺を貶めようとして――そう! こんなものはでっち上げだ!! ハンナだってそう思うだろう!?」


 ゴドフリー殿下は、一時たりとも側を離れない最愛の女性に助けを求める。

 とうに泣き止んだ彼女の反応は冷淡だ。何も語らず何も言わず、ただ俯くばかり。いつもの彼女であれば、彼の言うことに賛同しそれっぽい援護射撃をひたすら行う。それが例え、間違ったことだったとしても――。付和雷同とはまさにこのことであろう。

 そんなただならぬ様子に、さすがの彼も違和感を覚え始めたのか。頬が引きつり声が震える。

 

「なぁハンナ……? どうした? 今日はやけに静かじゃないか。いつもならば何か言ってくれるはずだろう? なぁっ!?」

「……ッふふ、きゃァはははははっ!」


 しびれを切らした殿下の怒声が飛ぶとほぼ同時、その小さな肩が揺れクスクスと笑いを漏らす。

 か弱い女子が漏らすにしては不気味な、魔女の高笑いと形容した方がしっくりくる声は会場全体を包み込み――やがて、違和感は正体を露わにする。

 

「――ばぁ」


 令嬢の身体がぐにゃりと歪み、全くの別人が現れた。紫色の短髪に、琥珀色の瞳を持つ長身の男。黒のドレスコードを身にまとう彼は戯けたように舌を突き出し、ゴドフリー殿下に顔を近づける。

 

「ッ貴様は確か、アーサーと言ったか……?」

「正解です~ゴドフリー殿下ぁ! いやぁ嬉しいですねぇ。俺のような者が殿下に覚えていただけるなど、身に余る光栄です~! ところで殿下、俺のビックサプライズ。気に入っていただけましたか?」


 さながら道化師のようにカラカラと笑うアーサー様は、敬意も払わず身勝手に振る舞う。しかし今はそれどころではない。その男に、無遠慮な態度を咎めるほどの余裕なんて残ってはいなかった。


「待て……待て待て、待て! じゃぁ彼女は!? 本物のハンナは今どこにいる!?」

「彼女の父はスパイとして、敵国と通じておりました。聖女の名を騙ったのもその一環だったようです。そうなれば……冷たい地下牢かどこかにいるとお考えになるのが、妥当ではございませんこと?」

「な……――」


 思ってもなかった結末に、哀れな男は絶句するほかない。

 彼女が既に最愛の女性本人でないことにすら気づけないだなんて、貴方の目はよっぽどの節穴であったようね。

 これ以上は時間の無駄であろう。役目を終えた役者には、退場してもらわねばならない。

 静かに指先を入り口へと向け、番人に命令を下す。


「衛兵。この罪人をお連れして。ああ、こんなナリでも一応は殿下なのだから、扱いは丁重にね」

「ふざけるな――!!」


 両腕を拘束され、引きずられてもなお抵抗するように喚き続ける。王家のプライドなんて、外聞なんて、全てかなぐり捨て保身のために狂乱絶叫。周囲の観客なんて、最早幻滅さえしたような顔を浮かべていた。

 呪詛のようにまき散らされた私への恨み辛みは、やがて招かれざる者への言及へ変わる。


「そもそも貴様は一体、何者なんだ!?」

「嫌ですねぇ~殿下。王族とあろう者が、俺のことわからないのですかぁ?」


 紫の道化は笑みをたたえながら、一歩一歩近づいていく。

 立ち止まる。首をひねる。

 ニコリ。

 ゴドフリー殿下をのぞき込むようにして、挑発するように口角を上げる。


「――……」

「ッな……にを……!!」


 アーサー様が彼の耳元で何かを囁く。驚愕したゴドフリー殿下はその言葉を最後に白目を剥き、やがて屍のように何も語らなくなった。

 戦意喪失。今日のところは、あの男が口を開くことはないだろう。獣のように騒ぎ立てる不愉快な声も、これで耳に届くことはない。

 ああそうだ。一体どこからだろうか。

 どこから私の計画に、都合よく展開していたというのであろうか。

 聖女としての身分を利用し、ゴドフリー=ランベルトの懐に入り込むこと。

 そうして彼より優秀な成績をたたき出し、目の敵にされること。プライドの高い彼のことだ。自分より出来のいい人間を妬まないわけがない。

 こちらだって元王族だ。王妃教育は確かに酷ではあったものの、自国で学んだ経験が生きたようで、苦ではなかった。

 やがて愛想を尽かされ、他の女と懇意になった挙げ句婚約破棄を持ちかけられた可哀想な私は――ごく自然な流れで、ゴドフリー=ランベルトを断罪へ持ち込む。

 ゴドフリー殿下を見送ったアーサー様が、芝居がかった動作で卒業パーティーの閉幕を告げた。それに従い大人しく退席する群衆たち。彼らは、既に私のことなんて眼中にない。その証拠に、話題は彼の悪行で持ちきりだ。

 アーサー様の強制退場後、私は玉座を見上げた。


「リーチェ殿。いや……リーチェ=マクスウェル侯爵令嬢。この度は我が愚息が、大変申し訳ないことをした。謝って許されるとは到底考えてはいない」

「……」


 深く頭を下げる陛下を、ただ無言で見つめていた。国を統治する、一番偉い者。常に誰かの上を行かねばならない人間が、十数そこらの小娘に頭を下げている。明らかに異様な光景であると言えよう。

 この場合は、どうするのが正解だろうか。

 謝罪がほしかったわけでもない。だが、頭を上げろと謙遜するのも何か違うような気がしてならない。

 だから私はただ、無言で見つめていた。

 痛いほどの静寂が場を支配する。隣に座る王妃に至っては、その荘厳な顔に涙を隠せずにいる。


「許されないことをしたのは私も同じと言えましょう。ここはお互い様、なんて私が言うのは、おかしな話ですが」


 ようやくため息と共に絞り出した言葉は、なんとも陳腐なもの。

 その場を後にしようとして、思い出す。振り返ることもなく投げかけた。


「……しかし、マクスウェル公爵夫妻は。私の計画については、何一つとして存じ上げません。恐らく私の凶行を愕然としながら眺めていたことでしょう。彼らに責を問うのは筋違いです。罰するなら私を。責任の所在は私に。全て――私が勝手に行ったことなのですから」


 扉に手をかけ手前に引く。

 ただの鉄扉であるはずのそれは、自身の罪業を表すかのように酷く重かった。

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