私が、聖女じゃないですって?

雛星のえ

第1話:婚約破棄

「ゴドフリー殿下……もう一度、おっしゃっていただいても、よろしいですか」

「ああ、何度だって言ってみせよう。リーチェ=マクスウェル。貴様との婚約は廃棄だ! そして新たに、ハンナ=シェローを妃に迎えることをここに宣言する!」


 繰り返された言葉に、ぽかんと口を開けたまま立ち尽くすことしかできない。それが淑女として、到底不適切な行動であるということを理解しながらも。

 ああやはり、聞き間違いなどではなかった。

 見据える先に立つのは、王族の証である金髪赤目に白の礼服を身にまとう長身男性。

 ゴドフリー=ランベルト。この男はたった今、私に対し婚約破棄を突きつけた。

 胸に手を当て一歩踏み出す。その動作だけで一人の女がわざとらしく跳ね上がった。彼の腕にべったり巻き付き、離れる様子もない彼女は上目遣いにこちらを見つめる。


「何故です? 理由をお聞かせ願えますか?」

「貴様はハンナに度重なる嫌がらせを仕掛けていたであろう。それだけでなく、貴様に与えられた『聖女』の称号も偽のもの。この国において聖女を騙ることが、どれだけ重罪かを承知しての行為であろうな!」


 脳みそを上下に揺さぶられているみたいに、頭がクラクラとする。気を失って倒れなかっただけまだマシだと、誰か私を褒めてほしいくらいである。

 とんでもない言いがかりだ。

 私は仮にも婚約者である彼の側へ、我が物顔で居座る女性に目線をくれた。

 肩まで伸ばしたストロベリーブロンドを緩くカールさせ、露出の目立つドレスで訪れた令嬢。

 ハンナ=シェロー子爵令嬢。彼女の存在は嫌でも認知していた。

 殿下と異様に距離が近く、それは最早「友情」の一言で片付けるには、難しいほどであったことも。忠告こそすれど聞く耳は持たず。言うだけ無駄だ、幾度と話せど改善の兆しは見られない。だから放置していたのだが……まさか、今になって牙を剥くだなんて。

 今日は、ただの卒業パーティーのはずだったのに。

 周囲の貴族――ひいては昨日まで共に勉学に励んでいた者たちは、何が起こったかわからない、といったようにざわめき立てる。

 どうしてこんなことに。

 気が遠くなる。意識が、ここではないどこかへと霧散する。その間にも彼が彼女が、何かを得意げに話すが何も聞こえない。理解できない。

 己の思考に飲みこまれ、ただ過去を思い返すのみ。

 こんなことになったのは一体、どこからだろうか――。


 リーチェ=マクスウェル。マクスウェル侯爵家の一人娘。

 厳密には養子であり、元は孤児院の出。十二歳の時に両親を亡くし、流れるように町外れの教会へとたどり着く。

 彼らが亡くなるまでは、比較的裕福な暮らしであったといえる。周りの世話は他の者に任せきり、勉強は少し嫌だったけど、うまく出来れば豪華な褒美も与えてもらえた。

 対して孤児院の環境は、全く似ても似つかないような質素で貧しい生活。お風呂も毎日入れないし、ご飯だってお腹いっぱいに食べられたものではない。身の回りのことだって、自分たちでなんとかするしかない。心優しいシスターや、やんちゃな仲間たちと共に協力し生活する。けれども私は、それが嫌だとは思わない。

 そうして十五歳になったある日、転機が訪れる。

 私に、聖女としての才能が顕現したのだ。

 高度な治癒魔法や、魔物の侵入を防ぐための結界といった魔術が使えるようになった。これらを総括し、俗に『光魔法』と呼ばれる魔法に対し適性を持つ女性は、世界中を見渡してもそうそういない。

 どこからともなく噂を聞きつけた使者がやってきたのは、それからわずか二日後のこと。

 翼の生えた馬のような生き物――ユニコーンを白で象り、背景を赤で飾った特徴的な国旗。近隣一帯を支配する、マイアー王国の象徴。

 かの王国は聖女を重んじる伝統を持ち、才能を持つ者を貴賤問わず受け入れるのが恒例となっていた。例にも漏れず、私もその対象となる。

 そして、聖女は将来的に王妃となり、マイアー王国の発展に尽力することも。


 屈強な甲冑の男性を率い現れた、身なりのいい少年が痩せた土地を闊歩する。

 ゴドフリー第一王子。王位継承順位のトップに立つ彼は、同い年と思えぬほど洗練された動作で挨拶をした。

 やがて私の前に跪き、取った手の甲にキスを落とす。


『美しく可憐なお嬢様、どうか私の妃となってくださいませんか?』

『……ええ、是非とも』


 必然的に、お世話になった教会からは離れなくてはならない。シスターや仲間と一緒にいられないことに寂しさを覚えるも、それ以上に嬉しい気持ちの方が勝る。

 マクスウェル侯爵家に迎えられ、養子となりその名に恥じぬよう聖女としての力を惜しみなく発揮した。

 公爵夫妻はどこまでも優しかった。子のいない彼らは、私を実の娘のように扱いたくさんの愛情を注いでくれる。

 彼らへの恩に報いるためにも。自分自身のためにも。

 魔力は枯渇寸前まで搾り取られる上に休息日なんてない。来る日も来る日も怪我人を治療し、癒やし、求められれば結界を張り、時には戦場へと赴いた。精神、肉体共に疲弊する日々。それでも私は一切根を上げることなく、責務を全うする。

 並行して行われる王妃としての教育。礼儀作法、ダンス、外国語、歴史に地理といった教養。覚えるべきことはたくさんあったが、地頭がいいこと、元々学んでいた範囲と被ることが幸いした。

 ゴドフリー殿下も頑張りを見てくれていた。何か偉業を成し遂げれば、彼は優しく微笑んで私の頭を優しく撫でてくれる。正直、仲は良好であったと言えよう。


 だが、そんな幸せも長くは続かない。


 十七歳の誕生日を迎えたある日、ゴドフリー殿下の態度が一変する。

 彼は自分より出来のいい私に嫉妬したらしい。顔を合わせれば、向けられるのは笑顔でなく忌まわしそうな視線と舌打ち。

 あれだけ囁いた甘い言葉も暴言や悪口へと変わり、果てには絶賛した私の容姿ですら、罵りの対象となった。

 最早私のことなんて眼中にない。私への無関心さと比例するかのように、やがてとある一人の女性と懇意になる。

 未来の王様が白昼堂々浮気。少しは体裁を気にした方がいいと助言するも、まぁ聞く耳は持たず。

 

 だからきっとこれも、ストレス由来のもの。悪夢を見ることが増え、満足に眠れる時間が日に日に減っていく日々は。

 内容は決まって、あの時のこと。

 平和な町へ突如なだれ込んできた甲冑の男たち。始まる虐殺。一方的な蹂躙。

 悲鳴。絶叫。涙、命乞い。むせ返るような鉄の臭い。市街を染め上げる赤、赤、赤。

 身分貴賎問わず死んだ。殺された。

 嫌だと泣きわめく私をお城の地下へ隠すときに見た、両親の笑顔は最期になる。

 一心不乱に当てもなく走り回る。私が地上に出たのは、全てが終わった後だった。

 一際目立つ金髪に小さな背中、煙に煽られたなびくのは、赤の背景に、白の――。


「――ッ!」


 飛び起き荒い呼吸を整える。

 これは夢だ、過去だと己に言い聞かせるも拍動する心臓が平静さを取り戻すことはない。

 この頃ずっと、この調子ね……これではまた殿下にどやされてしまうわね。

 けれども、こんなところでくじけている場合ではない。私には、成し遂げなければならないことがある。

 起き上がろうとして、ここが自分の部屋ではなかったことを思い出す。陽当たりのいい学園の裏庭は、誰も知らない秘密の場所。緑に囲まれた大木の太い幹に背中を預ければ、自然と心が安らぐお気に入りの隠れ家であった。

 その場所でこんな悪夢を見るなんて……私は相当疲れているのね。

 重い気持ちをため息と共に吐き出せば、突如として声がかかる。


「ねぇ君。大丈夫?」


 勢いよく顔を上げれば、長身の男子生徒がこちらを見ていた。ラベンダーのように紫色した短髪がふわふわと風にさらわれる。蜂蜜のようにとろけそうな琥珀色の瞳には心配の色が浮かんでいた。

 同じクラスの……確か、名前は――。


「アーサー……様」

「覚えていてくれたんだね」


 実に懐っこい笑顔を向けられる。

 クラスどころか、同学年の生徒であれば顔と名前は大体把握している。ただ、人数が多いため記憶を引っ張り出すのに時間がかかるだけだ。

 それにしても、一体どうしてここが。入学してから今に至るまで、誰にも見つかることのなかった秘密の場所を何故?

 疑問を浮かべていればアーサー様がしゃがみ込み、私の頬に触れた。冷え性なのか、ひんやりとした手が――しかし優しく包み込む。両の親指を目元に添え、ゆっくりとなぞる。


「酷い隈だ。よく眠れていないんだろう?」

「ええ、まぁ……。けれども、ご心配にはおよびませんわ。私には、目標がありますの。それを成し遂げるためならば……どんな理不尽な出来事だって、耐え忍んでみせましょう」

「へぇ、そうなんだ」


 それまで穏やかな表情を浮かべていたアーサー様の雰囲気が一変した。子犬のように親しみやすい気配は一転、狼のように獰猛で冷酷なものに。

 気圧され生唾を飲み込んだ。アーサー様は普段、温厚な人であると聞いているが……それが一体、どうして……。

 鋭利な金色が私を捉えて話さない。心の奥底へ何か、どす黒いものをひた隠しにしていたような。それが今まさに、曝け出されんとしているかのような。

 やがてその唇が大きく弧を描き、音を紡ぐ。


「マクスウェル侯爵令嬢。君さえよければ、その目標。俺に教えてくれないかな?」

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