心霊スーツ

「えらく疲れているじゃないか」

 声をかけて来たのは同期の田中だ。

「あぁ。忙しい時に限って、部長や新人くんが色々話を持ってくる。目の前の仕事に集中したいのに、気を削がれてばかりさ。ちょっとの間でいいから、オレをいないものとして放っておいてくれないかと思ってしまうよ」

 十九時のオフィスでオレはついボヤいてしまう。田中は同期の中でもマイペースで柔らかい雰囲気を持っていて話しやすい。

「ハハハ。あるよな、そういう事。お疲れ様」

 田中は柔和な笑顔でそう言って、そして何かを考え込むように黙り込んだ。

「ん?なんだよ。どうかしたのか?」

 オレは田中に尋ねる。

「あー。野々村って、オレと変わらない体格だと思ってさ」

「なんだよそれ。どんな脈絡だよ。なんの繋がり?」

「うん。同期のよしみって訳じゃないけど、相当疲れてるみたいだからさ。オレの持ってるスーツをオマエにやるよ」

「なになに?何言ってるの?どういう話?どんな流れ?」

 田中の言ってる事が全く分からない。コイツは一体何を言っているんだ?

「えっとだな……。ドラえもんの道具にさ、石ころぼうしってあったの知らない?オレの持ってるスーツってのはそれと同じでさ。そのスーツを着て、気配を消したい時に左の袖口のボタンを三つ同時に押さえると、誰にも認識されなくなるんだ」

「は?」

「オレはそれを心霊スーツって呼んでるんだけどさ。その効果を発動すると、まるで幽霊のようになれるって訳さ」

「スマン、オレはドラえもんに詳しくないんだが。そのスーツを着ていたら、周りのみんなに無視されるって事?」

「効果を発動したらな」

「そんな事ある訳ないじゃん」

「ま、騙されたと思って着てみろよ。仕事、捗るぜ?」

 からかう調子など微塵もなく、田中はニカっと笑って言った。


 ――


 捗る!集中できる!なんだこれ。集中を削がれる事なく仕事に打ち込めるとこんなにもスイスイと仕事が進むものなのか。今朝、田中から受け取ったスーツに着替えてデスクに座り、左の袖口のボタンを三つ同時に押さえると誰からも話しかけられなくなった。これは有難い。


 部長や新人君が「あれ?野々村は?」「野々村先輩外回りスか?」なんてオレのすぐ傍で言ったりしてる。本当に彼らの視界、あるいは意識からオレの存在は消えているようだ。

 オレは自分のペースで仕事をこなし、自分のペースで休憩をいれる。休憩のタイミングで右の袖口のボタンを三つ同時に押さえる。幽霊モード、オフだ。今なら話しかけてきてもいい。そして、オレはずっと仕事をしていたというアピールだ。キミ達がオレを探していた時はたまたま席を外していた時なんだよ。キミ達の意識の中の席から外れさせてもらってただけなんだよ。


「活用出来てるみたいだな」

 田中が声をかけて来た。

「あぁ。おかげさまで仕事がスイスイ進むよ。自分のペースで出来るのっていいな。ありがとう。いいものをもらっちゃって」

「喜んでもらえて何よりだ。でも、一つだけ忠告しておくぞ。悪用はするなよ?」

「悪用ってなんだよ」

「まぁ、犯罪に類するものだよ。そのスーツを使えば完全犯罪なんて簡単だと思えてしまうだろうけどさ。万能じゃないからね」

 田中は曖昧な笑顔を見せてそう言って去って行った。


 ――


 田中に妙なトコロをくすぐられたせいだ、きっと。オレは仕事帰りにスーパー銭湯に寄り、女湯の脱衣場に入った。流石にスーツを着たまま風呂場に入る気にはならなかったが、油断した女が油断した身体をオレの目に晒していく様を見るのは何とも言えない興奮がある。下着の締め付けから解放された女たちの身体は締め付けられていたその跡をクッキリと残していて、『AV女優の身体には下着の跡がないんだ。作り物でファンタジーだって証拠なのさ、それが』っていう誰かの豆知識を思い出させてくれた。


 そうやって、女たちの脱ぐ様や風呂上がりの様を見ていると、新しく入って来た女と目が合った。目が合った?何故?

 その女は驚いた様子で脱衣場を出て行き、すぐに戻って来た。店員の制服を着た恰幅のいい中年女性を後ろに連れて。

「どういう事ですか! ほら、なんで、男の人がここにいるんですか?」

 女はオレを指さし店員に言う。

「男の人……、どこに? お客さん、幽霊でも見えてるのですか? そういうアレも困りますぅ」

 店員にはオレが見えていない。

 ……幽霊?心霊?もしかして、霊感の強い人間にはこのスーツの効果はないって事か? ヤバい。ここは退散だ。オレは二人の横をすり抜けようと動く。

「確かに私は幽霊を見たりしますけど、こんなにハッキリ見える幽霊なんていませんよ。なんで見えないの?」

 女はそう言いながらオレの右手を掴んだ。袖口のボタンを丁度押さえるカタチで。


 息を飲む店員、オレの姿を見つめる周りの女の目、目、目。


 このスーツに時間を止める機能なんてないハズだ。


 なのに、あたかも時間が止まったかのような静寂があった。


 そして、一瞬の後に、絶叫。

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