ショートショートオムニバス 砂とスーツとカレンダー

ハヤシダノリカズ

砂の王国の砂

「ふふふ。おかしなものを買っちゃったものね」

 サイドチェストの上の小さなガラス瓶が目に入って、私は誰もいない部屋で独り言を言う。素っ気ない小さな瓶の中には半分ほど砂が入っている。


 昨日の昼下がり、我が家に訪問販売員が訪れた。訪問販売自体、今時は珍しいものなのに、その訪問販売員は本当に変だった。辛うじてジャケットは羽織っていたものの、首にタオルを巻いて汗だくで、サンダル履きだった。

 とても堅気のサラリーマン、堅気の営業マンには見えなかった。なのに、私はいつの間にか彼をリビングに通していた。「こんにちは。お嬢さん。お母さんはご在宅かな?」なんて見え透いたおべっかで思わず吹き出してしまって、まるで茶飲み話をしに来た親しい近所のおじさんといった空気を纏っていた彼に警戒心を抱く事をすっかり忘れてしまっていた。見ず知らずの男をリビングに招き入れただなんて夫には絶対に言えないわ。


 何かを売りに来たようには見えなかった。押し売りであるなら、もっとプレッシャーをかけるものだろう。少なくとも何かしらの業績を上げるべくして家々を訪問している営業マンであるなら、押し売りに見えないように、でも『買ってください』と言外のアピールをするもののハズだ。そういった圧が彼には全くなかった。


 言うなれば、彼は私の下に訪れてくれた、私の為だけのユーチューバーのようだった。私の話を上手く転がして、そこから話を広げて、私を感心させたり笑わせたりしてくれた。


 三十分も楽しいお喋りを楽しんだ頃に、私は彼の持っていた荷物に目を止めた。彼が持っていたその手荷物はカバンじゃなくて、風呂敷。今、思い出しても変な人。今時、風呂敷包みで商品を持ち歩いているだなんて。

 彼が包みをほどいてその中から出てきたのはしっかりした作りの紙の箱だった。その箱の中にあったのは、砂の入ったガラス瓶。それが箱の中の間仕切りの中に蓋のコルクを見せて並んでいた。すでにいくつか売れていたのか間仕切りの中の瓶はまばらだった。


「これはね。とある砂の王国の砂でしてね。これを買った人はその王国の国民になれるってものらしいんですよ」

「らしい、って。いい加減なセールストークね」

「やだなあ。私としては綺麗な奥さまと楽しいお喋りが出来ただけでもう万々歳。もう既に私は得をしてるんですから、コイツを買ってくれなんて思っちゃいませんよ」

「うふふ」

 おべんちゃらをおべんちゃらと思わせない彼の話しぶりに私の頬はずっと緩みっぱなしだった。

「ホント、砂の王国ってなんなんでしょうね。そして、国民になれるってどういう事だって話ですよ。私が言うのもなんですが」

「そうそう。国民になれるってどういう事なの?」

「えーっとですね。砂の王国の義務を果たせば、砂の王国の社会保障が受けられるそうでしてね」

「義務?社会保障?」

「ええ。この小瓶がある部屋は砂の王国の飛び地の国土となるんです。そして、砂の王国ですから、最も重視されるのは乾きと潤い、この二つでして。国民の義務とは心の潤いのお裾分けをこの瓶に送る事。社会保障とは、この瓶の持ち主の心が乾いている時に、この瓶を通じて持ち主に、心を癒して潤す何かが訪れます」

「え?なにそれ」

「なにそれ、ですよねー。でも、そういう事らしいんです」

「頼りない説明ね。あなたはそれを実感した事がないの?」

「それが残念ながら、私はこの瓶を運ぶ中継役でしかないという事なのでしょうか。この瓶を私の部屋に置いていても何にも起こりやしません。私はエンドユーザー足りえないから、国民と認定してもらえないみたいです」

 彼はとても寂しそうにそう言った。

「潤いのお裾分けってどうすればいいの?」

「心が潤った日、良い事があった日に、瓶に向かって『今日、こんないい事があったんだよー』って話せばいいそうです」

「それだけ?」

「ええ。それだけ」


 改めて昨日の出来事を振り返ってみると、この流れでこの瓶を買ってしまった私が信じられない。百均で売ってそうな砂の入ったチープな瓶。それを四千円で買ったというのだから、昨日の私はどうかしていたのかも知れない。

 でも、不思議と満足感がある。彼が帰ったすぐ後に『ステキな人からステキなあなたを買ったわ。この潤いのお裾分けを送るわね』と、その瓶を握りしめながら言った位だもの。


 さて、そろそろお買い物に出かけようかしら。私は身支度を整えて家を出る。すると、家を出て直ぐにお隣の奥さまにバッタリ出くわした。

「あら、こんにちは。奥さん、何かいい事あった?お化粧のノリがとてもいいわね」

 私はつい、思ったままを口にした。

「そんなぁ、奥さんこそー。今日はいつにも増してつやつやじゃない」

 お隣さんは爽やかな笑顔で言ってきた。


 もしかしたら、昨日の彼はこの辺り一帯の家という家に上がり込んだんじゃないかしら。


 それもいいわね。


 潤いという貨幣が上手く世界を巡るなら、それはとてもいい事だわ。

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