第31話 技術論4
三十五、繰り返す、比喩、説明
何度も繰り返しになるが、非常に大事なことなので復習がてら述べると、商業小説において一番重要なものは説得力である。どんな想いの籠った良い作品であろうとも、完璧な内容構成やシナリオであろうとも、類稀なる上手な文章であろうとも、買ってもらえなければ意味がないのだ。ゼロイチの世界でイチと判定される閾値を超えるには、説得力という選ばれるための根拠が必要なのである。最終的な説得力とは、小説の中身におけるものではなく、「この作家の作品だから読みたい」と思わせるそれでなければいけない。この創作論もそろそろ終盤を迎えるにあたり、あなた方の目指すゴールがどこにあるのか、少し早いとは思うが示しておきたい。
前回は小説における説得力の技術として比較を取り上げた。比較が必要なのは読者ではなく、物語の設定を作り上げる作者であることに気がついてほしい。作者自身が登場人物や内容構成に対して、どのような位置付けをもって配置していくか、これを考えるときに比較という考え方を持っていないと、なんとなく登場させて消化不良で役に立たないキャラを作り上げたり、話の起伏や輪郭がぼんやりしてしまうということである。
さて、小説における説得力は複合的な技術で出来上がっている。今回は繰り返す、比喩、説明という三つを同時に話したいと思う。
繰り返すということについて、この創作論をここまで読んでもらっているあなた方ならわかると思うが、わたしが主張の要諦を語るときは、必ず繰り返して書いていると思う。その回の中でも繰り返しているし、他の回でも更に他の回と関連性をつけて繰り返して主張をしている。
それはなぜかというと、「大事なことは繰り返して言わないと相手に伝わらない」からだ。無論あなた方の理解力がないとか、わたしの主張がどうこうとかという理由からではなく、人間とは大事かそうでないかの判別をするために何かを基準にしているという自然的な要因によって、繰り返すことが必要とされるからだ。
たとえば、これが会話であれば、あなた方はわたしの表情や身振り手振りで語る必死さから判断するだろう。会話の内容などは二の次なはずである。であるならば小説やこのような創作論において、わたしがあなた方に「ここは重要だ」と思わせるにはどうすればいいだろう。そう、繰り返すということなのである。これは小説も文字で構成されているのだから、同じ原理を用いることができる。単に言いっぱなしなだけでなく、繰り返すことによって物語における中心を指し示すわけである。情景描写や心理描写において繰り返すことができないと、車窓から見える景色のようにただ流れ去っていく単調なものになりかねないのである。
繰り返すについては理解できたと思う。わたしが顔を真っ赤にしてあなた方に話しかけるのと同義であるというわけだ。
しかしながら、わたしがどれだけ大きな声で喚いたとしても、その重要性や緊急性を訴えることはできるが、内容はあなた方に伝わるわけではない。つまり、次は「いかに相手に伝えるか」の技術が必要なわけであり、ここで登場するのが比喩であり、説明であるというわけだ。
この創作論を読んでわかるとおり、わたしはいろいろな比喩、つまりたとえを使って書いている。それによってあなた方が「ああ、わかるわかる」と言えるようにしているのだ。単に「AはBである」だけで相手が理解できない場合、お互いがわかる例を出してイメージを共有することは非常に重要な手段である。だからわたしは、いろいろな例を手を変え品を変えて出して、あなた方の理解できる周波数を探ることで自分の主張を理解してもらおうとしているのだ。もしこれまでの話であなた方が「ああ、なるほど」と思えたことがあるとしたら、それは例えがイメージできたからということである。
つまり、「比喩」とは相手に自分のイメージを伝えるために必要かつ重要なツールだということだ。あなた方の作品を拝読して思う事なのであるが、比喩のほとんどない言いっぱなしの地の文が多い気がしている。それはつまり読者に対してダイレクトに理解を求めているというチャレンジャブルなことをしているのだと気づいてほしい。波長の合わない無線通信をしている愚をしっかりと理解すべきであろう。
自分が相手にダイレクトに言葉を投げるのではなく、相手がイメージできる言葉や比喩を与えることで、相手がさも自分自身が気がついたように錯覚する(つまり感動する)よう誘導するのが究極の主張である。小説においては、読者が作者の意を自分で理解どころか拡大解釈をして、物語の奥深さや広がりを勝手に感じて作者を祭り上げてくれれば、上々というわけである。ここまでいくのは無理だとしても、比喩が作者と読者のプロトコルを確立する不可欠な手段であることだけは理解をしてほしい。
比喩を用いて読者とのコミュニケーションがとれたとする。すると次に来るのは「で、つまりそれってどういうことなのですか?」という、内容そのもの相互理解である。
ここに必要な技術が説明ということになるのだが、これが非常に難しい能力であり、ほとんどの小説家が苦手な分野である。なぜかというと、小説家というイキモノは「語りたがり」であるので、「伝え上手」ではないからである。(※第16話 基本の話3を参照)
説明するというのは「自分の言いたいことを順序立てて論理的に言う」のではなく、「相手が理解できるように相手に合わせて順序立てて論理的に言う」というのが重要である。わたしの話がお説ごもっともであっても、あなた方がある種の感動を覚えなければ、決してあなた方の役には立たないのだ。だからわたしは、自分の持てる能力で話を繰り返し、比喩でわかりやすく伝え、あなた方の一般的な思考回路を想定した順序で説明しようとする。これによって、理解を促すのではなく、感動とかがんばってみようという意欲とかそういうものを引き出そうとしているわけである。自分でここまで書いておいてなんであるが、小賢しい理論や理屈などどうでいいのである。大事なのはわたしの話のどこに心動かされたかであり、わかりました理解できましたではないのである。
説明とは相手に合わせて語ることである。自分の最愛の子供が幼稚園児だとする。幼稚園に行くために家を出る前、あなたは恐らくこう言うだろう。「忘れ物はない?」と。
しかしながら、子供は「忘れ物」というワードからハンカチや名札、お弁当やクレヨンなどをダイレクトに想像することはできない。できないというより、したくないと言った方がいいかもしれない。考えるのが面倒なのである。
そこで、親であるあなた方は再度具体的に問いかける。「ハンカチ持ったかな?」と。子どもはポケットからハンカチを取り出し「持っている」と言う。「クレヨンは?」と聞くと、「え? なんでクレヨンを持っていくの?」と素っ頓狂な表情をする。あなた方は「だって、きょうはお絵描きの日でしょ」というと、子供はハッとなり「エヘヘ」なんて言いながら、そそくさとクレヨンを取りに自室に戻る。
「説明とは……」の段落から「自室に戻る。」までが、繰り返しであり、比喩であり説明である。この三つはセットのようなもので、説得力を担保するには重要なものである。これを読んだらあなた方の自作を見直してみてほしい。その中にどれだけ言いっぱなしの個所が多いか、あるいは相手にきちんと伝わっているか怪しい箇所があるか、すぐにわかるのではないだろうか。
今回はここまでにしましょう。プロになりたいのであれば最低でも読者が読める小説を目指してほしいと思います。 説明ができる能力を養うには、エッセイや小論文(論説)のような「相手に自分の意を伝える文章」をたくさん書いてみることだと思います。
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