第30話 技術論3

三十四、比較


 前回は小説における屋台骨について説明をした。まずは主人公の立ち位置やストーリーがしっかりしていないと作品自体が成り立たないこと。対比によってストーリーに説得力を与えることが最重要ポイントだということを述べた。この二点のない小説には背骨というものがなく、読んでいる側がその変節ぶりに辟易して読まなくなってしまうのである。だからこの二点については、小説の最小構成要件と断言してもいいくらいの重要事項なのである。


 上記二点が家であれば土台や支柱という根本であるとすると、壁や床という小説の肉付けになるものがある。それが「比較」というものだ。これもまたわかっているようでそうでない項目であり、小説との関係性が理解できていないので、その役割が不明な項目ではないだろうか。

 前回のおさらいにもなるが、物事は「絶対」と「相対」によって成り立っている。主人公のストーリーが絶対であれば、それに相対するものは対比である。絶対という一本の線を生かすためにどんな背景を考えられるか。小説を書くとは、たった一本の線(主ストーリー)に彩りを与えるために、どんな風景(対比物)を書くか、あるいは肉付けをするかということでしかない。逆に言えば、この基本中の基本をしっかりと置いて書きさえすれば、ある程度の一作にはなるのである。


 さて、比較についてであるが、対比とは違って表立って小説の中に出てくることはないケースが多い。もちろん比較を使って書くこともあるのだが、どちらかというと設定とかプロットの中で出てくる項目だ。しかしながら目立たない存在であるが、小説の質を担保するには非常に重要な項目であるから理解をしてもらいたい。

 比較には無数の考え方があるが、ここでは基本として三つのことを理解してほしい。説明の為にAとBを比較するという前提で話を進めたい。


①Aの短所だけでBと比較する

 ネガティブキャンペーンという言葉をご存じだろうか。要は相手(A)の悪い所あるいは実際にはAの悪いところでないのにをつけてAがいかにダメであるかを主張し、結果的にBが優れている(あるいはAよりはまし)という論法である。最近多くのマスコミが躍起になっている某知事の件で使われている手段である。

 相手の欠点をあげつらったり、あるいは相手を根拠のないことをでっちあげて批判するので、やっている方は非常に手間がかからず、それでいながら効果的な手法である。

 これが何故必要かというと、歴史小説や人の心の機微を書くときには必ず出てくる「国や組織同士の戦略・謀略」や「人間同士の対立」の基本であるからだ。相手に勝つにはどうすればいいのか。一番は戦わず相手の自滅を誘う事である。こういった小説を書きたいときに作家自身がこの比較方法を知っていないと、物語が非常に浅く幼稚なものになってしまうのだ。

 もちろん、実生活で駆使してはいけない比較方法ではあるが、小説の中においてはリアルさを出すには必要な比較項目である。――きれいごとばかりの小説しか書けないのでは、商業でやっていくには頼りないのだ。


②Aの短所とBの短所を比較する

 「まだまし」という言葉があるが、本項目がそれである。これは小説の中の登場人文の会話で出てくることがある。ワーストの選択を提示してまだましという方を取らせるという手法である。

 実はこれは非常に奥深く、突き詰めようとすると哲学の域に入ってしまうので、小説書きとしては、まだましという会話や説得が必要なときに使えるテクニックであるということだけを理解・実践するば良いかと思う。 


③Aの長所とBの長所を比較する

 いいもの同士を比較して、どちらがより良いかを選ぶというのが表向きの比較方法である。勉強ができる者同士、喧嘩の強い者同士、比較をすることによって、キャラを立たせていく手法である。

 小説を書くにおいて大事なのは、AとBの差をはっきりさせることではなく、長所のある複数のキャラを作れるということである。ヤンキーものの作品で考えてみると、圧倒的に強い主人公しかいなければ物語が単調になって面白くない。そこで「最強」というキャラを複数配置することによって、読者の期待とテンションを保持することになる。~高校の番長、○○会のリーダー、など複数のトップを作ることで、世界感をスリリングにし、かつ、主人公の強さが引き立って読者が面白いと感じてもらうのである。

 恋愛でもたとえば溺愛モノで多くのイケメンや王子様を登場させるという手法がある。それによって読者はキャラ同士の長所を比較して、「推し」をつくっていくわけだ。読者に長所を比較させつつも、「どれも好き!」といわせるキャラや物語の配置ができれば、長編小説はその余命を保てるのである。

 

 上記は平和的な長所同士の比較であるが、非常に辛辣でリアルな比較としても用いることがある。それはAの長所を丸ごと否定するという絶対否定の手法である。つまり、Aの長所は認めつつもそれと上位互換のある長所をBが持っていることで、単純に「AとBを比較してBの方が上」ということだけではなく、「だったらAなんて存在価値がないよね」というところまで追い込むのである。

 これは歴史小説などの謀略においては非常に有効かつ現実的な手法である。①のような短所をでっちあげて非難するよりも、相手の存在意義まで奪うという強烈さがある。

 このような手法は小説の表に出さずとも、プロットの中で使うことがある。難しいかもしれないが、比較の一手法として理解して使えるようになった方が良い。


 まとめをすると、比較というのは小説のストーリーというよりは、世界観を作るのに非常に重要なものであるということだ。前回からの繰り返しになるが、人間は相対的なものによって認識・理解していく。絶対的な話だけでは「ふーん」という感情しか湧かないのである。だからこそ、いかに相対的な世界観を設定できるかに話の奥深さやリアリティ、わたしがいつもくどくどいう「説得力」がかかっているのである。なので、作品の細かい内容やアイデアなどどうでもよくて、大事なのはこういった「読者を物語の世界に引きずり込んでいける技術」なのである。


 今回はこれくらいにしましょう。小説の起承転結や文章の構成、プロットの書き方などの「普通に言われている小説の基本」なんてものは、誰でも理解ができるようにするための教科書に書かれた「かた」でしかありません。本気でお金のもらえる小説を書きたいのであれば、もっともっと論理的・理知的に物事を捉えた基礎から学び理解するべきだと、わたしは考えております。

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