第27話 発想論5

三十二、発想論の真髄とまとめ


 この発想論1から4では、あなた方のイメージをどう蓄積するかに必要な準備として「分解」を、発想の手段として「単語カード」を持ち出して説明した。しかしながら、あなた方のイメージに単語レベルに分解されたタイトルをつけてそれを単語カードに書いて貯めていくのだけであれば、わたしが否定的な例として出している学校の勉強とかわらないのではないだろうか。学校の英単語をカードに書いて勉強するのとどう違うのだろうという疑問を持たれてはいないだろうか。無論、答えはこの先にある。


 ここからが発想論の要諦になるのだが、その前に少し戻って「そもそも発想ってなんだろう」と言うことに言及しておきたい。

 これまでわたしは何度も「作家には経験が必要である」と言っている。それは何故かというと、発想の原点というのがどこまでも実感のこもったイメージであるからなのである。たとえを出してみよう。「あなた方は自分の目の前に一億円があるのをイメージできますか?」と聞かれたとする。今であればネットや動画で札束の山を見ることが出来るだろう。しかしながらそれは聴覚的なイメージだけであり、手触りとか重さ、匂い、実際の体積などは実感を伴うことはできない。これは想像だけではリアルを理解できないということを意味する。一億円ならまだいい。異国のまったく知らない料理の名前を言われ、ネットで検索しても出てこないとする。そうしたとき、わたしたちは「想像できない」という現実にぶつかる。つまりわたしたちは自分が経験(ここでは見聞き)した以上のことは完全にイメージできないということだ。

 これは小説だけではなく、発想においての基本的な事実項目である。イメージできないものを考えろと言われても人間は考えることはできない。無から有を産むという言葉はあるが、実際にはきわめて難しい話だろうということは理解できると思う。このあたりのごく当たり前な現実を踏まえずに「経験など不要だ」「調べればわかる」などと考えているうちは、創作という基本について足腰がおぼつかないと言わざるを得ない。


 無から考えられないとしても、一つでも何か「とっかかり」があれば考えられるのではないか。たとえば一億円はとうてい体験できなくとも何とか百万円の帯付きは手にすることが出来るかもしれない。あるいは十万円くらいであれば手に触れることが出来るかもしれないというスケールダウン的手法。日本のカレーは知っているからインドのカレーもなんとなくわかるかもしれないという類似的手法など手探りする方法はないわけではない。

 これらも含めて、より積極的なイメージあるいは発想を生み出せる手法がある。それがこれまで説明してき単語帳手法である。実はこの方法はイメージを書き貯めるのは本来やりたいことの準備でしかなく、発想の蓄積というのは副次的な意味合いでしかない。

 まずは単語カードにあなた方が日常でふと思ったイメージを書き足していったものが百枚くらいあったとする。そうしたら、二つの手法を実践してみてほしい。

 一つ目は分類することだ。分類基準はあなた方が求めているキーワードでいい。例えば恋愛であれば、男性の心理、女性の心理、男性のしぐさ、女性のしぐさ、と分類してみる。するとその分類したひとつひとつに不足を見出して増やせるかもしれない。あるいは分類したことで比較ができて、新しい疑問や価値観が生まれるかもしれない。そう、つまり「無」から「有」を発想することができるというわけだ。この準備のためにあなた方がすればいいことは日ごろから単語カードにイメージのタイトルを書いていけばいいだけだ。ネタ帳? プロット? これさえあれば、そんな御大層なものがいるだろうか。

 二つ目は単語カードを並べてみるということだ。手順だったり、重要度だったり基準はいろいろ設定してみるといい。すると、その「合間」に足りないものや新しいひらめきが潜んでいる。これもまた「無」から「有」を発想というわけだ。どちらかというとこちらの方が実践的で効果的な結果が得られる。カレーの材料を単語カードに書いて並べてみる。きっと「あ、これも必要だ」と書き足したり、新しい具材を思いついてトライしたくなるかもしれない。カレーを手順をひとつひとつ単語カードに書いて並べてみる。AさんとBさんではまったく違う手順が並ぶだろう。ご家庭の数だけレシピがあるものだ。であれば、登場人物のもの考え方や行動手順をカレーのたとえのように書き出してみたら……ということでノートやパソコンで書いていたプロットでは発想できない立体的な考え方が出来るようになる。これはどんなにうんうん唸って発想できなかったことでも、簡単かつ多面的に発想ができ、項目に対して完成度を上げることができる。物事や小説は動いている。しかしながら設計図やプロットは静止している。そのことの矛盾に気が付けば動的な本発想方法にチャンスを見出せる価値観を持てるのではないだろうか。


 ここまでをまとめると、発想というのはあくまでも自分が経験したことしか出てこないということ。ネットなどの知識の間借りを同等だと思っている時点で情報に振り回されているということをしっかりと認識すること。発想とは無から出てくるわけではないが、足掛かりのイメージを動的に分類・並び替えをすれば、新しい要素や視点を見出せるということ。そして、これらをしっかりと理解し実践すれば、小説のプロットどころか考え方や物の捉え方すら変えることができるということだ。

 勉強の出来る出来ない、頭の良し悪しなどは関係はない。大事なのはどれだけ考えるための手法や道具を持っているかだ。そして何よりも理解してほしいことは、労力さえかければ結果が出せるのであればそれはそれいいが、発想というのは頑張って出てくるものではないということなのである。そこに考え方や手法をもっていない限り、石器時代の人間の生活しかイメージがつかないのだ。だが、ありがたいことに知ってしまえばあとは手に入れるだけである。あなた方が作家として長生きしたいのであれば、小説を書く能力ではなく、発想をする手法と道具こそが必要だということを肝に銘じてほしいのである。


 今回はこれくらいにしましょう。次回から技術論に入りたいと思います。もちろん小手先の技術の話をするつもりはありません。「どう考えればいいのか」の技術についてお示しできればいいなと思っております。

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