第19話 基本の話6

 二十五、小説の魅力とはどこから出てくるのか?


 ある程度の年月、自分の小説を人前に出したり、他人と比べられ批評される場を経験していると、「理屈抜きで面白い作品」に出会うことがある。それも残念なことに自分では天地がひっくり返っても書けないような作品だ。あなた方はそんな作品を目のあたりにしたとき、どう思うってきただろうか、己が才能や能力のなさに絶望しただろうか。それとも更なる闘志が湧いてきたのだろうか。

 結論はどちらでも構わないし何の問題もないのであるが、大事なことは、理屈抜きで面白い作品がなぜ面白いかを、「理屈」で考えなければいけないということだ。ただ、「まいった!」でいられるのは一般読者や趣味で書いているアマチュア作家であり、あなた方は素早くそれを分析をしなければならない。それは何故か? もちろん、その作品を超える作品を書いてライバルを潰し、何らかの受賞をしなければならないからだ。あなた方は、賞レースには「勝つためだけ」に出るのであって、参加することに意義が、みたいな次元で取り組んでいる暇はないのである。


 さて、理屈抜きで面白い作品について、面白いという言葉には色々なニュアンスがあるが、今回は「面白い」=「魅力がある」という面について触れていこうと思う。あなた方は理屈抜きで面白い作品を前にして自分の作品よりも魅力を感じたとき、その魅力は一体どこからやってきたと考えるだろうか。また、それは自分には手に入らないものなのであろうか。

 魅力というものは大別して二つある。一つは既知の世界に対して自分が思っていた以上の感性や感覚、あるいは世界観の広さを感じたときの感動であり、もう一つは未知の世界観を指し示されたときの興奮である。

 あなた方の既知の世界に対しての作品を読んで、「負けた」と思ったのであれば、原因は文章の描写力と作家自身の経験値だ。特にわたしが常日頃言っている、人間としての経験の差を見せられたとき、絶望に近いものを感じるのだ。また、描写についても小説を書くという技量以上の敗北感を覚えるだろう。だが、そんな感情以上に、やはりその作品には大きな魅力を感じてしまう自分がいると思う。

 未知の世界観についてもある意味、経験の差が結果を招いている。それは実生活の中の経験だけではなく、本や映画などの創作物の経験からもきている。ストレートに言えば、イマジネーションにおいて敗北を喫したということになるであろう。


 このような魅力を感じながらもその魅力に迫れぬ絶望感のようなものをあなた方はどう処理しているだろうか。致し方ないと諦めるのか、あるいはなんとか超えてやろうと思うのか。いずれにせよ、もし這い上がるのであれば、その手がかりがなんであるのかを理解しておかないと、克服など遠い夢である。逆に言えば、あなた方は「どうしたら魅力のある作品を作れるのか」までを理解しておけば、追い抜くことが可能だということにもなる。

 魅力ある作品に絶対に必要な要素は「感動」である。それも作家自身が感動していなければならない。ある職人の長年の技術を見て感動した作家が書いたエッセイと、ただ職人の長年の技術という面だけをレポートしたエッセイでは、読み手に与える熱量は段違いである。

 小説は技法ではなくて、どこまでも対人間とのコミュニケーションであることはこれまで何度も触れてきた。だからこそ、人は小説を読んで感動したり面白く思ったり、時には涙するのである。機械的なスキルで読者を操作できると思ったらそれは大きな過ちであり大変な驕りである。人は自分のある気持ちを相手に伝えるには、まず自分自身が「そう思っている」ことが必要だ。だからこそ、感性を磨かなくてはならず、感受性を大事にせなばならないのだ。良い小説はイマジネーションも大事であるが、そのイマジネーションの源泉はやはり作者自身の感性であり経験である。イマジネーションだけで物語を書くことはできるし、ある種の魅力もでるだろう。御伽噺なんてものはそんなものなのかもしれない。しかしながら、あなた方は自分の努力によってプロ生活を一日でも長く生きていかなければならない。


 大事なのは日常の努力であり、その仕方である。そしてその仕方は結局は自分自身の心を豊かにすること、相手の話をうけとれるようになることに帰結するのだ。どんな理屈や方法論を持ち出して反論を試みようとも、「本道」に対しては小手先程度の戯言なのである。

 少々話がそれたが、「面白い」「魅力がある」小説を書くことは、途方もないオッズの悪い公募という勝負を勝ち抜くには必要である。その「面白い」「魅力がある」は決してイマジネーションや思い付き(あるいはアイデア)だけで為し得るものではない。もし仮に、わたしのいう訓練をしない「面白い」「魅力がある」小説を書ける人がいたら、あなた方はどう対抗すればよいのだろうか。結局のところ、原理原則、王道以外に勝算を見出すことはできないだろう。


 ここが本当の意味での重要なポイントなのだが、ごくごく一部だけに存在する「天才」に勝つには、あなた方が何を磨けば勝てるのかということを意識しなけれならないということである。賞レースは勝ち負けである。どんな天才だろうと偉人だろうと元プロだろうと、あなた方は本懐を遂げるためにそれらの者たちを倒していく必要がある。決して怖じ気づいてはいけない。言っては悪いが、所詮は小説である。命を取られるわけではない。であるならどんな相手であっても「勝っても良い」のである。それには自分自身の魅力を磨くこと、それ以外に近道はない。イマジネーションでさえ、経験がなければ生まれては来ないのだ。そこを自然に受け入れて、まずは物事に感動できる自分を作り上げるべきだというのが、わたしの結論である。


 今回はこれくらいにしましょう。結局のところ、魅力というのは作家から滲み出たオーラみたいなものです。斬新なアイデアやシチュエーション、演出も大事でしょう。ですが、あなた方は深い感動をしているわけではないはずです。遠回りに感じるでしょうが、自分に魅力のない人間が他人に魅力を感じさせれることはない、ということをしっかり納得してほしいと思います。



☆お知らせ☆


自主企画「第一回 さいかわ水無月賞 テーマは「雨」」を開催いたしております。わたしとゲスト選者二名が選者をいたします。

https://kakuyomu.jp/user_events/16818093078387055933


終盤戦になりました。参加者の作品を読んでみていたければ幸いです。レベルが高い作品ばかりですので、勉強になるかと思います。



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