第18話 基本の話5

 二十四、冒頭部が重要な本当の意味。


 ☆やフォロワーあるいはPVを週間ランキングの上位に掲載されるくらいに獲得した作家がカクヨムの創作論で必ず書くことは、「キャッチコピー」と「紹介文」の重要性である。読者が作品をクリックするか否かはこれらにかかっていて、いくら本文に力を入れても、上記二点はがつまらないために読んでもらえなければ、何の意味もないではないかというわけだ。

 この主張はカクヨムにおいてはかなり精度の高い部類の正論であるとわたしも思う。わたしはマイナージャンルの中で純文学のようなものを書いている作家でしかないから、☆が1つでもついた日には狂喜する程度の零細規模なので、キャッチコピーや紹介文などに力を入れようが入れまいが、作品へのアクセスにはほとんど影響がないのだが、メジャーそれも異世界/現代ファンタジーでは、それらの要素は作品の生死をわけるくらいに重要なのだろうという事は十分に理解できる。

 同時に、それらの創作論には本文の書き出しも非常に大事であると説かれている。最初の一行で読者を作家(あるいは作品)の方に手繰り寄せない限り、メジャージャンルでの成功はない。それだけ多くの作品があり、少しでも差別化しなければ読まれることはないからだ。わたしのような貧弱な作家には無縁な、熾烈な生存競争が常になされているのだろうと思うと、ファンタジー系の作家の方々には頭が下がる思いである。


 さて、何度も確認するが、あなた方はプロデビューあるいは公募の二次選考を突破するのを目的として本書を読んでいる。そういった公募勢(という言葉が妥当かは不安があるが)にとって、冒頭部がどれだけ大事なものであるかについて触れてみたいと思う。

 最初のとしてカクヨムにおいて書き出しが重要なのは「読者を引きこむため」だとわたしは述べたが、あなた方公募勢にとって同じように、冒頭部とは「読者(この場合は採点者)を引きこむため」に大事なのだろうか。いや、とても残念な事ながら、そんな高尚な理由からではなく、もっともっと内容以前の悲しいくらいに現実的な理由によるものだ。それはすなわち、「自作が小説としてどころか、日本語としてちゃんと成り立っていることを採点者に安心をしてもらうため」にアピールする必要があるからだ、ということを理解してほしいと思う。


 想像してみてほしい。メジャーな賞レースにおける受賞者とは、佳作などの全ての賞をカウントしたとしても、大体、上位0.1%から0.5%くらいだ。母集団の分布具合にもよるが、偏差値で表すと70が上位約1%であるから、75以上ないと受賞できないということになる。偏差値60で上位約10%であるから、1000作品程度参加の賞レースにおいて、二次選考を確実に突破できかつ三次選考に手が届くには、おそらく偏差値65程度、上位約5%に入る必要がある。わたしがこの前参加した「カクヨムweb小説短編賞2023」のエッセイ部門では、参加約1750作品中、8作品が短編賞、短編特別賞の受賞ラインであった。これは上位0.45%ということになる。

 ということは、圧倒的に受賞が叶わなかった作品があり、さらに直言すれば、小説かもあやしいような作品が多々含まれるということにもなる。玉石混交という言葉があるが、非常にシビアなたとえをすれば、90%以上が石である作品を採点者は読み続けなければならないということになるのだ。あなた方は一次選考の採点者として100作程度の下読みを任せられたとして、10作程度を二次選考へ進める程度の仕事をすることになる。残り90作を読むのがいかに壮絶な「我慢大会」になるのかは想像に難くはないだろう。


 採点者側として、どうすれば読み続けられるのかを考えてみよう。まずは当然ながら冒頭部がきちんと「日本語として読める」のが最低ラインだということは理解出来るだろう。冒頭部とはビジネスでいうところの名刺交換だ。まだ話に入る前、そもそも「コイツはどんな奴なのだ?」というファーストコンタクトになる。そこで少しでも違和感を感じたら、その後の交渉などおぼつかないだろう。

 大変残念ながら、人は最初の印象にかなりの影響を受ける。それは名刺交換の場だけではなく、小説においてもしかりである。であるから、あなた方はまず採点者を作品の世界に誘うとかそんな高度な話ではなく、「自分の作品はこの先も安心して読んでもらって大丈夫ですよ」という担保を、採点者に示さなくてはならない。これは人としての資質の問題に置き換えれば、挨拶が出来るか否かという最低限の「躾」の話である。あなた方の小説がきちんと躾られたものであるのかを、まずは採点者に知ってもらわなければならない、というわけだ。


 であるから、公募での冒頭部においては、インパクトよりもまずは「日本語として読める」かが大事である。おそらくであるが、この時点で応募者の半分は失格になっているのではないかと思う。「お、ちゃんととして読めるな」という作品は偏差値55くらい、上位4割程度ではないかと推測する。

 日本語として読めるということは、


一、日本語の「てにをは」など、使い方が適切であること

二、一文一文が簡明であること

三、主語がはっきりしていること

四、会話文の連続でないこと

 

 が最低条件である。特に四などは、出だしや冒頭としては書きやすい分、ついやってしまいがちであるが、賞レースにおいては絶対に辞めた方がいい。名刺交換の際に相手にいきなり小話するくらいの奇行であると思ってほしいくらいだ。

 三についても、後から主人公が出てくるような書き方をする人がいるが、それも辞めた方がいい。極論すれば採点者は一字でも少なく読まずに落としたいわけであるから、そんな余裕ぶった作品は、カクヨムの中で趣味として書くか、あるいはファンがついたプロになってから書いてほしい。今はとにかく「審査を通る冒頭部」を書くことに専念するべきである。

  

 特に長編においては、最初と最後で作品の品質が違ってくるのは自然なことだ。であるから、あなた方は最後まで書けたら最初の部分、特に冒頭部はスパッと書き直すべきである。何度も言うが一次選考の採点者の立場になれば、「とにかく10%までに落とさなければならない」わけであるから、ほんのわずかな瑕疵を探してでも、冒頭部で試合終了にしたいのだ。

 であるなら、まずは冒頭部が「安心して読んでもらえるよう」に全力を尽くさなければならない。これはカクヨムでお客を呼び込むとかそんなレべルではなく、賞レースにおいて絶対に必要な「最重要項目」であることを知ってもらわなければならない、ということを最後に念押しをしておきたい。


 今回はこれくらいにしましょう。冒頭部でダメな作品はその後読んでもらえませんから挽回の機会がありません。とにかく、採点者への「ご挨拶」が大事です。この山を越えられなければ、何万字書いたとしても、苦労が報われることは一切ないのだと、どうか肝に銘じてほしいと思います。



☆お知らせ☆


自主企画「第一回 さいかわ水無月賞 テーマは「雨」」を開催いたしております。わたしとゲスト選者二名が選者をいたします。

https://kakuyomu.jp/user_events/16818093078387055933


後半戦になりました。夏休みを前に、作家としてのひと伸びをしたい方のチャレンジをお待ちしております。(くれぐれもルールをキチンとお読みの上、ご参加くださいね)。

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