第6話 基礎の基礎の見直し4

八、読書の量を主戦力にしない。


 小説家になりたいという方のほとんどは、小さなころから本をたくさん読まれているのではないかと思います。わたしはおそらく例外側の人間で、子供の頃から二十代前半までほとんど本を読むことなく、文章など自分で書こうなどとは考えたこともありませんでしたので、幾人かの小説家志望の人達を見てきて、その読書量と文学知識に驚いた記憶があります。


 主題に入りますが、何故読書量を誇ってはいけないのか、ということですが、あなた方は小説家になりたいのであって、文学オタクになりたいわけではないからです。必要なのは知識ではなく知恵や創作力なのです。あなた方は舞台でいえば舞台作家であり、観客ではありません。どれだけお芝居を多く観てきたかを誇るのではなく、どれだけ舞台作品を書いたかが問われるのです。

 もちろん、知識は大事です。その知識は小説を書くことに大きく役に立つでしょう。しかしそれはあくまでも副次的な要素であって、そこに自身の存在価値を見出していては、もっと必要な素養に目がいかなくなるのです。このことを持って、知識過多に警鐘を鳴らしているわけです。これまで説いてきた、「経験の必要性」「学校の勉強という受動的な方法の危険性」は知識や学校的努力を主とした考え方とは正反対なアプローチです。あなた方が後者の方を普通と思っているように、わたしは前者が当たり前だと思っているので、なかなか理解するのが難しいかもしれませんが、まずは自分の考え方を横に置いて、このことについて一考してみてもらいたいのです。

 知識は邪魔にはなりませんが、あなたのするべきは知恵を出し作品を産み出すことです。その主従関係に自分なりの理解と納得ができることをわたしは期待しています。


九、ポリシーやこだわりはいらない。


 カクヨムで「~は必要ない」「~という考え方が好きではない」など、とにかく、ネガティブという心理的垣根が多すぎる人を見かけます。もちろん、アマチュアで楽しまれている方は好きにすればいいのですが、公募に挑んでます、みたいな中級者でもそんな心の狭いことを言っている人をみかけるのです。


 あなた方においても人参は嫌いレベルの好き嫌いがあるようでしたら、直していくことをお勧めいたします。あなた方はエンターテイナーとして「物事をポジティブに読者に伝える」必要があるのです。そういう人間が「ああいう奴はダメだ」とか「こういう考え方好かん」みたいな狭量さで様々な作品を書けるでしょうか。

 こだわりがあることは大事です。しかしただの好き嫌いとこだわりは別物です。プロになるという大義の為には小事なことは受け容れられるようになってほしいと思います。


 また、他人に向けて「こういう考え方はダメだ」みたいなことを言ってはいけません。批判は自分自身にするのです。他人に向けてるのは駄々と変わりがありません。未熟な自分を恥じて、近況ノートや作品にそんなことを書かないようにしたいものです。


 今回はこれくらいにしましょう。こんな道徳めいた話をするのは、以降における「小説家としてどうすればいいのか」という話に繋げていきたいからです。別に聖人になれ、と言っているわけではありませんよ。

 今の段階は、「普通の人としては正いことも、小説家としてはもっと考えないといけないことや、違う視点で見なければならないことある」ということを理解してほしいための「地ならし」をしている最中だと、考えて頂ければと思います。


(続)

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