第2話

 家に着くと先生と共に姉の部屋に向かう。


 コンコンと姉の部屋の戸をノックする。が、返事がない。異変を感じた僕は、二度目のノックなどせずに急いで戸を開ける。


 すると目の前にシーツを真っ赤に濡らし、それを掴んだまま床に倒れこんでいる姉の姿があった。


 「姉さん!!」


 大声をあげて駆け寄ろうとする僕。しかし、それを先生が手で制する。


 「近づかないで!……まさか、たった三日でここまで進行しているとは」

 「先生!何で止めるんです?!」

 「万が一があるからだ。それに君のお姉さんの容体は最悪に近い」


 先生にそう告げられた瞬間僕の目の前が真っ白になる。姉の容体は悪いどころの問題ではなかった。 

 それを、姉の一番近くにいながら気付かなかった自分に失望する。


 「とりあえず君は部屋から出て。すぐに処置を行うから」

 

 呆然とする僕に指示をする先生。そう言われては僕に出来ることなど、指示に従って部屋から出て戸の前で祈ることくらいしかない。自身の無力さに絶望しながら姉の容体が回復してくれることを、ただ祈る事しか出来ない。手を合わせ神に縋る。この世界に神はもういないことを知っていながら……。


 


 姉の部屋の戸が開いたのは、僕が部屋の外に出てから約四時間後だった。すぐさま僕は先生に駆け寄る。


 「姉さんは、姉さんは大丈夫なんですかっ?」

 「最善は尽くした。今は容体は安定しているが……」

 「何です?話してください!」

 「……」


 異様にその先を話そうとしない先生。そんなことをされたら僕がどれだけ馬鹿でも最悪の察しがついてしまう。


 「ま、まさか……そんな、嘘ですよ、ね?」

 「……酷なことだが君のお姉さんは、持って一月だろう」


 姉の部屋の入り口に立っている先生を横に押し退けて僕は姉に駆け寄る。


 眠ったままの姉。呼吸は落ち着いており、帰った時に見た悲惨な状態を感じさせない穏やかな顔をしている。そんな姉さんが……余命一月?こんなにも。こんなにも。


 「う、うぁ。あああああ」


 嗚咽が漏れる。涙が勝手に流れてくる。抗いようのない悲しみが心の奥底から込み上げてくる。先生が整えたばかりのシーツに涙が落ちていく。


 「すまないが私はこれで帰るよ。それと辛いだろうが、君は最後まで傍にいてあげなさい。私のようになってはいけないよ」


 泣いている僕は、二度頷いて先生の言葉に返事をした。コツコツと足音が遠ざかっていく。その音が聞こえなくなったあと僕は意識を手放した……。




 さわさわと髪の毛を触られている感覚で目を覚ます。顔を上げると姉が微笑みながら、僕の頭を撫でていた。


 「おはよう」

 「うん、おはよう」


 僕は体を起こし椅子に座る。 


 「心配かけてごめんね。お昼までは調子が良かったんだけど、その後急にね」

 

 そう昼に僕が帰って来たときは、昨日と同じで元気だったのだ。ちゃんとご飯も完食出来たくらいに。だから、僕は安心しきっていた。いつ容体が変化するのかわからないのにも関わらず。


 「もっと僕が早く帰って来ていれば……」

 「自分を責めたらダメだよ。ちゃんと自分の容体を伝えていなかった、私が悪いんだから」

 「そんなことは……」

 「ううん。ごめんね?私がちゃんとしていれば多分今日の事は防げたから」


 僕は、姉が言っていることをどうにか否定しようとした。そうじゃないんだと。自分が気付かなかったのが悪いのだと。けれど、どの言葉も口にすることが出来ない。

 だって、姉の今にもどこかに消えてしまいそうな笑みを見てしまったから。


 「…………」

 「もう先生から聞いているかもしれないけど。私……もう、長くないんだ」

 「…………」

 「ホントはね、知ってたの。もう体が限界だって。でもね、もっと一緒にいたいって……思っちゃったんだ。だから、何も言わずに、悟られないように過ごしてた。そのツケが回ってきたんだろうね」

 

 やめて……


 「でも後悔はしてないよ?ただ一人の家族と居られて後悔なんてしないもん。でも心残りがあってね。一回でいいから幻想樹を見て見たかったなぁ」


 姉が天井に手を伸ばしながら、そんな夢を語る。

 そんな、遺言のようなこと言わないで……

 

 「冒険者になってさ、自分の足で……見て。見たかった。ずっとね、夢だったんだ。世界を冒険するのが。ゴフッ……。それと、ホントはお母さんたちと、ずっと、一緒にいたかった……んだ」

 「もう!もう、いいから……」


 涙ぐみながら話す姉の言葉を遮る。これ以上は聞いてられない。僕がダメになる。


 「そうだね。こんな、こと言うのは、まだ早いかな」

 「……ずっと言わなくていい、から」


 姉を抱き寄せ、体温を全身で感じる。そうしないと僕の気が狂ってしまいそうだった。


 


 「さすがに、苦しいよ」

 「あ、ごめん」


 どれだけ抱き寄せていたかわからないが、ようやく僕は姉から離れる。時計を見ると既に日を跨いでしまっていた。こんな時間まで起こしてしまったことを謝り、姉の部屋から出る。


 先生は姉の余命は一月だと言った。姉の罹っている病は現在、不治の病とされている。だから、いつか余命を言われる日が来るとわかってはいた。でもいざ言われると受け入れがたいものがある。


 本当に自分に出来ることは何もないのかと、考えてしまう。


 ……一つだけ、ある。


 幻想樹。廊下を歩きながら姉の幻想樹の話を思い出す。樹は空に届くほど大きく、辺りの空間や周りの生態系に影響を与え、それら全てがこの世のものとは思えない美しさ持っているという幻の。

 誰も見たことがないという存在しているか定かではない樹だ。


 見せてあげたいと思った。そして、それが僕が姉に出来る唯一の事だとも。


 そのためには、今以上に働いてお金を稼がないと……。でも姉との時間はこれ以上は減らせない。

 今日のように容体が急変することだってあるからだ。今は五つ仕事の掛け持ちをしているが、頑張れば隙間時間は作れるだろうし、もう二つくらい仕事を増やしても大丈夫だろう。これまでと同じ時間に帰ることは出来るはずだ。


 長くてタイムリミットは三週間。とにかく急いで稼いで旅費の足しにするのと、少しでも幻想樹についての情報を集めないと。

 

 目標を決め、僕はさっそく行動に移す。深夜でもやっている仕事は多い。今は急な発展に着いて行けず人手不足の職場が、それなりにあるがそういった場所は、埋まるのも早いため急ぐ必要がある。


 そして僕は、真っ暗な住宅街に飛び出した。

 



 


 

 

 

 

 


 


 

 

 

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