第4話 規格外【成美視点】

【成美視点】


 何が起きたのか、理解するのに少し時間がかかった。体感にして10分ほど、実際は1秒にも満たないであろう時間が過ぎ、ようやく私は正気を取り戻せた。


 信じがたいことが起きた。

 自分の目を信じられない。

 だけど……間違いなく、これは現実だ。


(え、何が起きたんだよ)

(見ての通り……なのか?)

(この男が……フェンリルの攻撃を防いだ!?)

(いやいや、あり得ないだろ!! 片手でフェンリルの攻撃を防ぐだなんて、規格外だ!!)


 まるで自分の心を鏡に映したかのように、私に心境と同じコメントが滝のように流れている。同接は10万人を突破しているし、みんながみんな彼に注目している。


 そして、それは私も同じだ。


 彼は一体、何者なのか。

 どうして、フェンリルの攻撃を防げたのか。

 何もかもが、何一つとしてわかっていない。


「え、え、あ、あなたは……?」

「えっと……ナルミさん、ですよね?」

「あ、え、あ、は、はい」


 どうして私のことを、なんて言うつもりはない。私のチャンネル登録者は300万人もいるんだから、彼が私のことを知っていても何ら不思議じゃない。


 だけど、彼のことを私は知らない。

 フェンリルの攻撃を防げるほどの実力者なら、確実に著名人のハズだ。それなのに彼の顔は見たことがないし、名前もどんな魔法を使うのかも、何もかもを知らない。だからこそ、不思議で仕方がない。


「配信での演出中だったかもしれませんが、思わず助けてしまいました。邪魔をしたなら、今のうちに謝罪しておきます。申し訳ありません」

「え、え……?」

「その上で1つ聞きますが、このままオオカミを倒しても良いですか?」


 あまりにも彼が普通に言うから、思わず反射的に、私は肯定してしまった。



「やぁッ!!」


 

 語彙のなさが露呈してしまうから、あまり同じ感想は抱きたくない。だけど彼の行為はまさしく、目を疑うものだった。


 行ったこと自体は、至極単純だった。

 フェンリルの前足を払い、そのまま殴った。

 結果として、フェンリルは吹き飛んでいった。ただそれだけのことが、起きた。


 まるでゴム毬のように地面をバウンドしながら、オオカミは吹っ飛んでいった。そして数百メートル離れた壁に激突し、そのままメリ込んだ。


「ふぅ、まずまずだな」

「な、な……え、えぇええええええ!?!?」

「え、どうかしましたか?」

「ど、ど、え、えぇ!?」


(はぁッッッ!!?!?)

(い、いやいやいやいや!!??)

(S級のフェンリルが、吹き飛んだぞ!?)

(《災いの魔剣レーヴァテイン》も通じなかったのに!? ただのパンチ如きで、S級のフェンリルが壁にメリ込んだぞ!?)


 そうだ、ありえない。

 殴る直前に彼が《闘気》という身体強化系の魔法を発動したのはわかったけれど、だからといってフェンリルを殴りとばせることの理由にはならない。《闘気》なんてほとんどの魔法師が使える、ただの一般魔に過ぎないんだから。


 だからこそ、無限にハテナが浮かぶ。

 彼は一体、何者なんだ。

 ありえないことをした彼は、何者なんだ。


「な、な、い、今……何をしたんですか!?」

「何って……普通に殴っただけですよ?」

「殴り飛ばした!? S級のフェンリルを!?」

「オーバーリアクションですね。なるほど、それが人気の秘訣ですか」


 何を言っているのか、さっぱりわからない。

 私の知る限り、こんな芸当ができるのは……人類には存在しないはずだ。身体強化系最強のSSS級魔法師、雷豪剛らいごうつよしさんでもフェンリルを殴り飛ばすなんて芸当はできないだろう。


 どんな膂力があれば、こんなことができるんだろうか。どんな怪力があれば、フェンリルを殴り飛ばせるのだろうか。尊敬の念を超えて、私はただただ……彼に畏怖していた。


 彼ほどの実力者であれば何かしら話題になっていても不思議じゃないけれど、彼のことを私は一切存じない。彼は一体……何者なのだろうか。


「再度確認ですが、本当に倒しても良いんですね?」

「え、あ、はい。でも……S級のフェンリルを倒すなんて、無茶ですよ!!」

「あはは、さすがのトーク力ですね。期待値を上げるのも、トップ配信者の秘訣ですか」


 何を言っているのか、さっぱりわからない。


「何を意味のわからないことを言っているんですか!! S級のフェンリルを殴り飛ばす膂力は凄まじいですが、さすがに勝てませんよ!!」


 確かに彼はフェンリルを殴り飛ばした。

 だが……それでも、フェンリルは生きている。アークデーモン以上の実力を誇るフェンリルをソロで倒すなんて、いくら彼の実力が未知数でも不可能だ。


 ここは一旦引いて、応援を呼ぶべきだ。

 それが懸命な判断だ。間違いない。

 だけど──彼は笑っていた。


「大丈夫、任せてください」


 刹那、彼は消えた。

 どこにいったのかと周りを見渡すと、彼はフェンリルの懐に潜っていた。1秒にも満たない時間の間に、彼は数百メートルもの移動を成し遂げたのだ。雷豪さんであっても、不可能な芸当だろう。


 そしてかれは、拳を握りしめていた。

 距離が離れているから聞こえなかったが、何かを呟いたようだ。そして──


 殴打、殴打、殴打、殴打、殴打。

 殴打、殴打、殴打、殴打、殴打。

 殴打、殴打、殴打、殴打、殴打。

 殴打、殴打、殴打、殴打、殴打。


 灰色のフェンリルの毛が、徐々に赤く滲む。

 地面に、壁に、鮮血が飛び散る。

 フェンリルの顔が、苦痛に歪む。


(はぁ!?!?!?)

(フェンリルをボッコボコにしているぞ!?)

(あり得ないだろ!? 《災いの魔剣レーヴァテイン》も通じなかったのに!?)

(なんつうパワーだ!? バケモノかよ!?)

(何者だよ!? アイツ!?)


 コメント欄が滝のように流れる。

 私も同じ気持ちなので、よくわかる。

 フェンリルをボコボコにするなんて、ありえないことだから。あんなこと、普通じゃ考えられないから。


 開いた口が塞がらない。

 驚愕のあまり、絶句してしまう。

 本当に驚いた時、人は呆れるんだなと思った。


「グルゥウウウウウウ……!?」


 やがてフェンリルは──


「グルッ──!?」


 ──爆散した。

 肉片は飛び散り、やがて光の粒子と化した。


「ふぅ、終わりました」


 彼が振り向くと──


「え、えぇ……」


 私は思わず、ドン引きしてしまった。

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