最終話 リラの決意と最期の時

リラはしばらく目を閉じて、己の心の声に耳を傾ける。


「……」


その様子をそっと見守るラファエルとジョシュア。

リラがどう答えるかで、この後の運命が大きく変わる。


ちなみに神から力を分け与えられているラファエルは、リラの本心を見抜くことができる。つまり、仮に自分が助かりたい一心で、反省していると口にした所で、呪いは解除されることはない。


そしてしばしの沈黙の後、ようやくリラが重たい口を開いた。


「私が殺してきた奴らの中にも……、もしかしたら、完全に『悪』と言えない者もいたのかもしれない……。でも……、アドルフとパトリックを殺したことだけは、少しも後悔してないわ」


言葉に反して、リラの表情は先程よりも柔らかく、穏やかだ。

そして更に続ける。


「それから……やっぱり私は男の大部分は憎み続けてしまうと思う……。でも、これだけはハッキリ言える」


そこまで言うと、リラは一歩、ジョシュアに近づく。


そして、記憶を取り戻す前のような、美しく、優しい笑みを向けて言う。

「ジョシュア、私、あなたのことが大好きよ」


ジョシュアの瞳が大きく見開かれる。


「本当にありがとう……。呪いにかかって不安だった私に、優しい言葉をかけ、あなたは助けてくれた。一緒に旅をしてくれて、ずっと側で支えてくれた。とても苦しくて……辛くて、何度も逃げ出したいと思った人生だったけど、ジョシュアに出会えたことだけで報われた」


リラの思いを知ったジョシュアは、何か温かいものが自分の頬に伝うのを感じた。


「リラ……。僕も……、僕もリラが大好きだよ! ずっと……、身分の違いを気にして……言えなかった。でも……! 僕はこれからも君と一緒に生きていきたい」


ジョシュアの思いを聞き、リラは嬉しそうに……だが同時に悲しそうに涙を流した。


「嬉しい……! そんなこと言ってもらえるなんて……。……これでもう何も……思い残すことはない……」


そして再度、温かい笑みをジョシュアに投げかけると、リラはラファエルの方に向き直り、言った。


「お父様。ご心配とご迷惑をおかけし、大変申し訳ございませんでした。……最後の審判を下す必要はありません。私は……呪いを受け入れます」


溢れんばかりの涙で頬を濡らしながらも、清々しい顔つきで。


「リラ……! どうして……!」

リラの答えに、ジョシュアが悲痛な声をあげる。


ラファエルもまた、身が引きちぎられたかのように、苦悶の表情を浮かべている。


「リラ……! なぜだ! なぜ自ら破滅の道を進む……? わかっているのか? お前はドラゴンに成り、身が滅んだ後は無界に行くのだぞ! そうすれば、お前の魂は暗闇の中を気の遠くなるほど長い間、彷徨うことになる……!」


ラファエルは必死の形相で止めようとするが……


「お父様、良いのです。これで。……ドラゴンとなった後は、その身が朽ち果てるまで……私はルイーブル王国とブリッシュ帝国を見守りましょう」


リラが覚悟を決めた瞬間、リラの全身は強烈な光を放ち、瞬く間に鱗に包まれ、完全なるドラゴンへ姿を変えた。


そして、大きな翼を羽ばたかせ、空高く舞い上がっていく。


ジョシュアを見下ろすと、まるで最後の挨拶をするかのように、咆哮した。


『ジョシュア。ありがとう……。最後まで私の側にいてくれて嬉しかった。心優しいあなたが、どうか幸せになれますように……』


ジョシュアの脳内にふと流れたリラの声。


「リラ……」


その時、カランという音と共に、何かが地面に落ちた。


ジョシュアが思わず目を遣ると、それは、リラが身につけていたクリスタルのペンデュラムだった。


ジョシュアはそっと身を屈め、ペンデュラムを優しく拾い上げる。

そして大事そうに、自分の首にかけた。


「例え君が……三百年間ドラゴンとして生きて、その後、無界に行ってしまっても……。それでも僕はずっと待ち続けるよ。いつか君の罪が許されて、また会える日を信じて……」




あれから四百年後の世界……


一人の青年が、買い物を終えた後なのだろうか、街中で大きな紙袋を抱えて走っていた。太陽の下、キラキラと輝く綺麗な銀髪と、強い意志が宿った瞳を持つ、爽やかな風貌をしている。


そしてその胸では小さい振り子形の首飾りが激しく揺れていた。年齢は見たところ、二十歳前後だ。


その端正な顔に焦りの色を滲ませながら、青年は息を切らして走っている。


「やばいやばい! 品質に拘って選んでたらもうこんな時間に! 料理長に怒られる!」


青年の持つ紙袋の中には、艶やかで丸々とした葡萄が山盛りに敷き詰められている。動く度に袋から飛び出そうな葡萄を、潰さないように加減しながら手で抑え、急いで帰路につく。


「まさかワインより、生搾り葡萄ジュースがあんなに売れるなんて思ってなかったよ……! そりゃ、確かにうちの看板メニューの一つだけどさ……」


ぶつぶつと独り言を呟きながら、青年はひたすら走る。

傍目から見たら、怪しいことこの上ない。


しばらく走ると、曲がり角が見えてきた。

ここを曲がれば目的地は目の前だ。


「よし、もうすぐ着く……って、うわああ!」


曲がり角を勢いよく曲がると、運悪く反対側から人が飛び出してきたので、衝突してしまったのだ。


その拍子に、抱えていた紙袋を落とし、中の葡萄が飛び出る。と同時に、青年の首飾りも、カランという音を立てて地面に落下した。


しかし、青年は転がっている葡萄よりも、ぶつかった人を心配し、スッと立ち上がり声をかける。


「すみません! 僕の不注意で……! お怪我はありませんか……?」


そう言って、尻餅をついている女に手を差し伸べた。


「いえ、こちらこそ、前方不注意でした。ごめんなさい」


女は青年の手を取ると、ゆっくりと立ち上がる。


……うわあ……! なんて綺麗な人だろう……!


青年は思わず顔を赤らめた。


その女は、青年と同年代に見える


艶やかな紫色の長い髪に、雪のように白い肌、見る物全てを取り込んでいしまいそうな紫色の大きな瞳を持つ、この世のものとは思えない程美しい容姿をしていた。


青年はその美しい女の顔をまじまじと眺めた。


……あれ、何だろう。何だかとても懐かしいような……


「あの……、失礼ですが、どこかでお会いしたことはありましたか……?」


青年に尋ねられた女も、何か思う所があるらしく、

「えっと……初めてお会いしたはずなのですが……、何だか以前会ったことがあるような気がしてます……」

少々困惑しながら答えた。


それから女は地面に落ちている青年の首飾りを見つける。


「……あ! これ、あなたのですか?」

そっと拾い上げ、青年に手渡そうとする。


「あ、はい! ありがとうござい……」


二人の手がその振り子形の首飾りに触れた瞬間、突然二人の脳内に、ガンっという衝撃とともに『何か』が流れ込んできた。


一瞬何が起こったのかわからなかったが、青年が再び女を見ると、彼女が誰なのか、どうして懐かしいと感じてしまったのか……全てわかった。


「……リラ……?」


その名を聞いた途端、女もハッとしたように青年の顔をじっと見つめる。


「うそ……まさか……ジョシュアなの……?」


「そうだよ……! 本当にリラ! 君なんだね……! ずっと待ってた……!」


感極まり、思わず泣きそうになる青年。


何百年もの間、待ち続けていた彼女。幾度となく転生を繰り返す度、薄れていくジョシュアの記憶に何度も不安になりながら、それでも待ち続けた最愛の人。


「またあなたに会えるなんて……! ジョシュア……。ずっと待っててくれてありがとう……!」


リラは、本来なら転生は叶わなかった。


しかし、ドラゴンとなり、あの日ラファエルに宣言した通り、三百年間、ルイーブル王国、ブリッシュ帝国を見守り続け、両国に何か危機が迫ると姿を現し、叫び声を上げて警告し、多くの人々を救ってきた。


神はその行いを見て、リラの罪を軽減、死後は無界ではなく、煉獄行きとなった。煉獄で約百年間、罪を償った後、転生することが許されたのだった。それも記憶を保持したまま。


「ああ……本当に夢みたいだ……。話したいことがたくさんあるよ……! 今ちょうど、葡萄ジュースを作ろうと思ってたんだ。良かったら……飲んでいって欲しいな」


青年がそう言うと、女は顔をパアッと輝かせた。


「嬉しい……! ぜひ飲みたいわ! 私も話したいことがたくさんあるの……!」


「うん! ぜひ聞かせて欲しい……!」


こうして、ジョシュアとリラは、四百年という気が遠くなるような年月を経て、再び巡り合った。


二人はまるで空白を埋めるように、積もる話に花を咲かせた。全ての罪の精算が終わった今、ようやく二人は、この先の人生を共に生きていくことができる。


【おわり】









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積怨のベルフィーユ / 僕が湖で出逢ったのは、半身が時々ドラゴンになってしまう呪われた女の子でした。 鳩谷つむぎ @hatoya_tsumugi

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