第39話 鏡の中 明かされる真実⑧

「さて、そろそろうちに行きましょうか」

そう言って水車小屋を出るアイリス。

リラもその後をついていく。


水車小屋から五分位歩くと、アイリスの住む家が見えてきた。

他の家同様、簡素な造りで、外観を見る限りかなり古い。


「さあ、着いたわ。ここが我が家よ! 入って」


一歩中に入ると、一人の男が仁王立ちして待ち構えていた。


「遅い! 今までどこをほっつき歩いていた? それに誰だ、そいつは!」

男は大声でアイリスを怒鳴りつけた。


あまりの剣幕に、リラは怯えて声が出せない。


すると、アイリスがリラを庇うように男に返した。


「あなた! 遅くなって申し訳ございませんでした! この子はライラ。山菜採りの帰り道に出会いました。怪我をしていて、行く所もないので、どうかうちに置いて上げてくださいませ!」


どうやらこの男はアイリスの夫のようだ。そしてアイリスは自分の夫に頭を下げた。


「ああ? 何勝手なことしてんだ! このバカ!」

アイリスの夫は怒りに任せてアイリスの胸ぐらを掴むと、パシッと平手打ちをした。


アイリスはよろめきながらも、なんとか踏ん張り、再度夫に頭を下げる。

リラはその光景に言葉を失う。


「ちっ! 次勝手なことしたら殺すぞ!」


アイリスの夫は吐き捨てるように言うと、リラのことをぎょろっとした目付きで睨んだ。


だがしばらくすると、その目付きは卑しいものに変わった。


「はーん。お前、顔は一級品だな……」

そう呟くと、何かを考えるように顎に手を添える。


「……これなら村の連中に自慢できるし、稼ぐこともできるな……。ライラと言ったな? 俺はアイリスの夫、パトリックだ。今日からお前をうちに置いてやる」


リラは頭が真っ白になっており、返事ができずにいると、すかさずアイリスが横から、ありがとうございます! と言って再び深々と頭を下げた。


「ふん、お前もせいぜいこいつの面倒を良く見ることだな。それじゃあ俺は今からちと出かけてくるぜ」


「はい! いってらっしゃいませ!」


パトリックが家から出てくと、アイリスはふうっと長いため息を吐く。


「ごめんね、いきなり怖かったよね……。あの人、すぐに怒るから……。でもライラのことは私がちゃんと守るからね」


顔を引きつらせているリラに、安心させるように優しく微笑みかける。


「……」


……どうして。民の間でも女性は不当な扱いを受けているの……?


リラは民の間でも、女が理不尽な暴力に晒されている実態を目の当たりにして、酷くショックを受けた。


ウェイスト村では男は極めて傲慢で、女をまるでモノのように扱うが、その中でもパトリックは群を抜いていた。


毎晩酒を浴びるように飲んでは、アイリスに酷い罵声を浴びせ、手を上げていた。


それも、必ずリラが寝た後に。


パトリックの大きな怒声で目を覚まし、堪らずアイリスの様子を伺いに行くと、アイリスから「来ちゃダメ!」と強く制止されるので、リラは黙って寝床に戻り、震えていることしかできなかった。



一方で、女は優しい村人が多く、リラのことも快く受け入れてくれる人がほとんどだった。


また、村で最年少の住人となったリラは、アイリス以外の女達からも可愛がられ、中には、自分も貧しいのにリラに食べ物を分け与えてくれたり、リラの様子を心配してちょくちょく見にきてくれたりする村人もいた。


リラは彼女達と話をする時間がとても楽しくて好きだった。それでもやっぱり、自分を助けてくれ、何かあると身を挺して自分を庇ってくれるアイリスのことが一番好きだったが。


最初こそぎこちなかったが、今ではすっかり打ち解け、本当の姉のように慕っていた。


しかし、そんなアイリスとの時間は突然終わりを告げることとなる。


それはある晩のこと……。


パトリックは他の村人の家で酒を飲んでおり、家の中にはリラとアイリスの二人だけだった。


毎晩パトリックからの暴力に耐えているアイリスを見て、リラはずっと疑問に感じていたことを口にする。


「ねえ、アイリスお姉ちゃん。どうしてあんな男を好きになったの……?」


リラからの直球の質問にアイリスは、驚きながらもしっかり答える。


「表面上の優しさに騙されちゃったのよ。出会った時はとても優しくしてくれたから、良い人だと思っちゃったの。ほんと、バカよね」

自嘲気味に言う。


「……ここから逃げたいって思わなかったの?」

リラがさらに問いかけると、アイリスは戸惑いの顔を見せた。


「え……? だって一度嫁いだら何があっても、どんなに酷い扱いを受けても、一生夫に尽くすものでしょう?」


それを聞いたリラは愕然とした様子で考えこむ。


……王室にいた時も思ってたけど、蔑まれたり、立場が弱すぎることを、当たり前だと女性達自身が受け入れてしまってるのよね……。


この思想はとても危険なものだわ……。

でもなんて説明したら……。


「私は……そうは思わない。例え、男の方が力があったとしても、だからって女性を虐げて良い理由にはならないわ!」


「でも……、それが普通なんじゃ……」


「普通じゃないわ! 日常的にそういう扱いを受けていると、麻痺してしまうかもしれないけど……。何があっても夫に絶対服従なんて考えはおかしいよ!」


珍しく強い口調で話すリラに、アイリスは目を丸くしている。


「うまく説明できないんだけど……とにかく、毎晩、理不尽に暴力を振るわれてるのに、黙って耐えてるのはだめだよ……。このままじゃ、いつか殺されちゃうかもしれない……」


「……」


リラの必死の訴えに、黙って下を向くアイリス。


自分が今まで普通だと思ってきたことが、実は間違っているのかもしれない……と思い始めていた。


「アイリスお姉ちゃんは、ブリッシュ帝国から嫁いできたって言ってたよね……?」


「え? ええ……」

リラの意図が分からず、困惑するアイリス。


「この村は国境近くにあるって言ってたよね……? だったら、ブリッシュ帝国までそう遠くない」


そこでアイリスはバッと顔を上げる。


「それって……」


「帰ろうよ。妹さんもいるブリッシュ帝国に。アイリスお姉ちゃん、ここにいちゃいけないよ……」


リラにそう言われ、アイリスはまた『でも……』と言いかけたが、

口を閉ざし、暫く考えた。


……確かに。このままここに留まっても、明るい未来はやってこないんだろうな……。夫に何をされても、妻なら耐えて当たり前。一生添い遂げなければならないと思い込んでいたけど……。


毎日罵声を浴びせられ、暴力を振るわれて……。本当はとっても辛かった。

怖かったし、痛かった……。帰れるなら、フルールやマシューおじさんの元へ帰りたい……。


嫁ぐ前の幸せだった生活を思い出し、涙を浮かべるアイリス。


「うん……。私、帰りたい……。そしてライラも一緒にブリッシュ帝国で暮らそう……?」


アイリスの言葉に、リラは……


「えっと……」

と一瞬言葉に詰まるが、アイリスの心細そうな顔を見て静かに頷いた。


「今なら夜だし、パトリックも家にいない。最低限の荷物を持ってすぐに出よう!」


「うん……!」


こうして二人は素早く準備を済ませて玄関に向かう。


外は真っ暗なので、灯りを持っていかなければならないが、あまり明るいと目立つので、蝋燭一本だけに火を灯した。


そしていよいよ、外に出ようとしたその時……


「……! あっ……あなた……!」


なんと、別の村人の家で酒を飲んでいるはずのパトリックが立っていたのだ。

それもパトリックだけじゃない。


一緒に酒を飲んでいた男達も一緒だった。


彼らを見て、アイリスとリラは顔面蒼白になる。











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