第34話 鏡の中 明かされる真実③

さらに二年後……

ルイーブル王国では、全身に謎の黒い斑点ができてしまうという疫病が流行していた。


被害の大部分は衛生管理の行き届いていない農村や町だったが、王国内で最も管理が徹底されている王宮でさえ、感染する者はいた。


そして運が悪いことに、国王ラファエルと王妃ロザリーも病に感染してしまったのだ。


懸命な治療も虚しく、二人とも命を落としてしまった。


この疫病にかかるのは大人が圧倒的に多く、子供は滅多に罹らなかったため、リラもアドルフもことなきを得たが……。


この両親の死がこの後のリラの運命を大きく変えてしまうことになる。



両親亡き後は当然、アドルフが王位を継ぐことになったのだが、アドルフの手腕はかなりお粗末なもので、国内の情勢は乱れていった。


リラはとうとう見ていられなくなり、公務も放り出して昼間から自室で呑気にワインを嗜んでいるアドルフに会いにいく。


控えめにコンコンとノックをすると、

「入れ」

と中からぶっきらぼうに言われたので、リラはそっと扉をあけて入室し、アドルフの前で一礼をした。


「……お前か。何の用だ。私は見ての通り忙しい。手短に済ませろ」

リラの顔を見るなり、不機嫌さを前面に押し出したような表情になる。


リラはそんなアドルフの顔色に少し恐れを感じながらも、毅然とした態度で現国王に進言した。


「お兄様……! 現在の国の状態はご存知でしょう! 民は皆、疫病に苦しんでいます。早急に村や町の衛生管理の徹底、食料の配給を行うべきです!」


リラの言葉に、アドルフは眉間に深い皺を寄せながら、威圧感ある太い声でリラに返す。


「ふん、薄汚い民の命などどうでもいい。そんな奴ら、何人死のうと……」


「お言葉ですが……! その民の働きによってこの国は成り立っているのですよ? 民がいなくなればその分、納められる税金も減少します! それに、あまりにも民を顧みなければ反乱だって……」


リラの言っていることは、例え王族でなくともわかることだ。それ位至極当然のことを言っているのだが……。


「ええい、黙れ! 貴様! 女の分際で国王である私に意見するつもりか?」


迫力ある脅しにリラは一瞬たじろいだが、それでもこのまま引き下がれば、さらに大きな損害が出る。


「しかしお兄様! このままでは……! お父様やお母様が亡くなられてから、さらに国内の死者数は増加しました。早急に対策を……!」


食い下がってくるリラに、アドルフは座っていた椅子からスッと立ち上がると、ゆっくりリラの元へ近づいてきた。


「お兄様……?」


突然のことで、リラの身が固まる。


アドルフは怒りの篭った表情でリラを見下ろすと、黙って己の右腕を高くあげた。


その掌は固く閉じられている。


「えっ……」


次の瞬間、ゴツっと言う鈍い音が耳元で響いたかと思うと、瞬時に鋭い痛みがリラの左頬に走った。それと同時にリラの体勢は大きく崩れ、突き飛ばされたかのように床に倒れ込む。


「っ……!」


自分の身に何が起こったのか、理解できないといった表情でその場で固まるリラ。

しかし、ジンジンと左頬が疼くので、そっと左手を当ててみると、腫れている感覚がする。


そして、口元からは何か生温かい液体が流れていることにも気づく。ふと左手を見てみると、その液体はトマトのような赤い色をしていた。


そしてこの時初めて、リラはアドルフに殴られ、左頬は腫れ、口元からは血が流れている状態ということを理解した。


アドルフの顔を見ると、その表情は怒りではなく、高揚に変わっていた。自分の力になす術なくひれ伏した力弱き者を見下し、優越感に浸っているような、そんな顔だ。


……なんだ、この感覚は……。この……爽快感は……! 気持ちいい。実に気分が良いぞ。……そうだ。いくら頭が良いとはいえ、こいつは所詮女で妹。権力も純粋な力も、男であり兄である俺には到底敵わぬ非力な存在。


今まで俺はなぜこいつに劣等感を抱かされていたのだ? 父上から頭の出来で比較されてきたが、国を治めるには頭よりも力と支配と権力が何より大切ではないか……。


そして今の俺にはそれがある。こいつが俺に何か戯言を抜かそうが、力づくで言うことを聞かせればいいだけの話だ……。


「リラ。今回はこれで許してやるが、次にふざけたことを言ったら、これだけでは済まないということを覚えておけ」


冷ややかな目と太く静かな声でそう告げるアドルフ。


リラは放心状態のまま、何も言えずにフラフラとアドルフの部屋から出て行った。



部屋を出ると、リラの専属メイドのセシルが待機していた。

セシルはリラの腫れ上がった顔を見ると瞠目し、素早く駆け寄ってきた。


「っ……! リラ様! そのお顔は……! 一体どうされたのですか!」


セシルに問われ、リラは自身の身に起きたことを、か細い声でポツリポツリと話した。


「お兄様……、国王陛下に諫言したのだけど……、その……殴られてしまって……」


「まあ……! そのようなことが……。お辛かったでしょう……。すぐに医務室に参りましょう」


そう言ってセシルはリラを王宮の医務室まで連れて行く。心配そうにリラを見つめる表情は一見冷静に見えるが、その心中は怒りで煮えたぎっていた。


……あの無能! リラ様の美しいお顔になんてことを……! やっぱり国王になれる器じゃないわ! 女であっても、賢く、民への思いやりもあるリラ様の方が絶対に相応しいのに……!


医務室で必要な手当てを受け、セシルに寄り添われながら自室に戻ったリラは、部屋着に着替え、その日はベッドで休むことにした。


ベッドに入り、先程のことを思い浮かべる。


……手当てしてもらったけどやっぱりすごく痛む。痛み止めも処方して貰えばよかったな……。


私に手をあげた時のお兄様の目……。とてつもなく嫌な感じがした。何か……抑えていたものが外れたような……。


今まで自身を縛り付けていた鎖から解き放たれた猛獣のような目。杞憂であって欲しいけど、お兄様の傲慢さと冷酷さが増していく気がしてならない……。


……でも、お兄様を恐れてこのまま放っておけば民はもっと……。何とかして、お兄様に考えを改めてもらわないと。とは言え……私が直接言っても聞いてもらえないだろうし……。


せめて、民に食料だけでも配給できないかしら。十分な体力がないと病と闘えないし……。布団を頭からすっぽりと被り、悶々と考えを巡らせる。


……あ! そうだわ! 明日の私の予定は確か……、ナサリー村の視察だったわね。王宮の食糧庫には飢饉に備えてたくさん備蓄されていたはず。少しずつなら民に配給しても問題はない。


それに、ナサリー村はこの国で一番小さな村で、人口も少ない。村人全員に食料を配ることは可能だろう。本当は大規模な町村から援助をする方が効率面ではいいけれど……、それにはどうしてもお兄様の許可が必要になる。


そしてあのご様子では到底許可など貰えそうも無い。だったら、小さな所から少しずつ……隠密に……。まあ、それでも私一人では難しい。協力者が欲しいところね……。


頭の中で考えを纏めていると、コンコンと部屋がノックされる音が聞こえた。

一旦思考を中断し、応答する。


「どうぞ」


「失礼いたします」

入ってきたのはセシルだ。


「リラ様、お休みの所を大変申し訳ございません」

申し訳なさそうな表情で深々と頭を下げる。


「構わないわ。それでどうしたの?」


「これを……」


そう言ってセシルは小さな小瓶を取り出した。中には何か液体が入っている。


「痛み止めです。先ほど、調合を終えたお医者様から受け取りました」


「ありがとう。ちょうど痛み止めが欲しいと思ってた所だから助かるわ!」


「それは良かったです。それでは私はこれで……」


セシルがリラの部屋を退出しようとした時


「ねえ……」

リラがセシルを引き留めた。


「リラ様? どうかされました?」


「あのね……、私の話……、聞いてくれる?」


少々声のトーンを落として、リラはセシルの顔をマジマジと見た。







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