第5話 不穏な気配

「ただいま、母さん、姉さん」


家の中に入ると、母のジュリアと姉のキャロルが待ち構えていた。


幸い居酒屋にお客さんは誰もいない。いつもこの時間は混雑しているのに珍しいなと思いながらも、ジョシュアは二人にリラを紹介する。


「この子が昨日話したリラだよ」

ジョシュアに紹介され、リラはブライアン達にした時と同様に丁寧に挨拶をした。


「はじめまして。リラと申します。この度は快く迎えてくださりありがとうございます。不束者ですが、どうぞ宜しくお願い致します」


そう言って深くお辞儀する。 


「まあ! なんて可愛い子なんでしょう! ジョシュアから聞いてるわ。私はジュリア。リラちゃん、宜しくね」


ジュリアはとても嬉しそうに甲高い声を出している。


「私はジョシュアの姉、キャロルよ。宜しくね、リラちゃん」


キャロルは温かい言葉と柔らかい笑みをリラに向けたかと思うと、ジョシュアにはニヤニヤしながら言う。


「ジョシュアがまさかこんな美少女連れてくるなんてね! やるじゃないの! あんたも来年成人だし、お嫁さんにぴったりね」


キャロルに茶化されたジョシュアは思わず顔を赤くした。


「ちょ……ちょっと姉さん! 何言ってるのさ! リラが困るじゃないか!」


ジョシュアは慌てた様子でリラをチラリと見ると、彼女も少し顔が赤くなっているようだ。


その様子をジュリアとキャロルは見逃さない。


「あら良いじゃない! リラちゃん、うちのジョシュア、どうかしら? 親目線で言うのもあれだけど、性格の良さは保証するわ!」


ジュリアまでもノリノリな様子なので、ジョシュアはさらに慌てふためく。


「母さんまで変なこと言わないでよ! リラ、ごめんね! 気にしないでね!」


ジョシュアが困惑した表情でリラに謝る。


「う……うん」

リラも少し照れているのかオロオロしている。


何となく気まずい空気になったので、ジョシュアが話題を変えようと、声を弾ませてジュリアに言った。


「あ! そうだ! 母さん、ぶどうジュースってまだあるよね?」

「え? ああ、もちろんあるけど……」


ジュリアはジョシュアの突然の話題転換に少々戸惑いながら答える。


「良かった! 実はここに来る前にリラにぶどうジュースの話をしてたんだ。ぜひ飲んでほしくてさ」


「ああ、そうなのね! 確かにうちのぶどうジュースは絶品だからね。たくさん飲んで欲しいわ。ちょっと待ってて。今から持ってくる」


そう言うとジュリアは、ぶどうジュースの準備をしに家の外へ駆け足で出ていった。


「ぶどうジュースを飲んだら、村長様の所へ向かおう」


ブライアンがジョシュアとリラを交互に見ながら言う。


「うん。父さんも一緒に来てくれるの?」


「ああ。もちろん。まあ、村長は明るくて気さくで話やすいから、お前達だけでも良いとは思うが、念のためな」


「ありがとう。あ、リラのことって領主様にも伝えなくちゃいけない感じかな?」


ジョシュアに言われて、ブライアンは首を短く横に振る。


「いや、俺たちから領主様に直接報告する必要はない。村長様がそこは伝えてくれるからな。まあ、うちの村の領主様はかなり誠実で優しいお方だから、大丈夫だと思うがな」


「領主様……? 村長様とはまた違うお方なのですか?」

リラが首を傾ける。


どうやら領主というのがどのような存在かしっくり来ていないようだ。

ブライアンが丁寧に説明する。


「ああ、領主様というのは、簡単に言うと、この村を所有している権力者のことさ。つまりこの村の全ての土地や建物は領主様の物になる。俺たちはそこに住まわせてもらっている感じかな。村長は、この村に住んでいる人達を統率するリーダーで、その上が領主様というイメージだな」


「なるほど……」


リラは領主がどういう立場なのか理解できたようで、深く頷く。

そんな話をしていると、ジュリアが木製のコップを二つ持って戻って来た。


「お待たせ! リラちゃん、どうぞ」

リラの前にコップに並々と入っているぶどうジュースが置かれる。


「わあ! とっても美味しそう! ありがとうございます!」

「たくさん飲んでね。はい、ジョシュアの分もあるよ」

ジョシュアの目の前にも香り良いぶどうジュースが置かれる。


「ありがとう、母さん」

そう言ってジョシュアもぶどうジュースを口に運ぶ。


今年のぶどうは特に品質がよく、いつもより良い香り、濃厚な甘さだ。一口飲むだけで口の中一杯に豊潤な香りが広がる。


「すごく美味しい!」

リラはあまりの美味しさにキラキラと目を輝かせた。


そんなリラの表情を見てジョシュアもジュリアも嬉しそうだ。


「お口にあって良かったわ! 今年は豊作だから、まだまだあるわよ。たくさん飲んでね!」


「はい! ありがとうございます」

リラは余程美味しかったのか三杯分をあっという間に飲み干した。満足そうな顔を見て、ジョシュアも嬉しくなる。


「……さて、そろそろ村長に会いにいくか」

二人が飲み終わったタイミングを見て、ブライアンが静かに口火を切った。


「そうだね」

そう答えながら、ジョシュアはゆっくりと立ち上がる。


村長の家はジョシュアの家からそれほど遠くない。

三人で世間話をしているとあっという間に到着した。


村長の家は当然だが、村で一番大きく立派である。玄関まで行くと、村長が出迎えてくれた。


「やあ! よく来たね。いらっしゃい」


和やかな笑みで迎えてくれる彼は、豊かな顎髭を生やした初老の男だ。


「君がリラだね。話はブライアンから聞いたよ。私はロジャー。この村の村長をしている」


「村長様。はじめまして。リラと申します。宜しくお願い致します」

今度も例外なく美しい所作で挨拶をするリラ。


その様子に村長は特に驚くこともなく、優しげに目を細めた。


「丁寧にありがとうね。この村の住人は皆良い人ばかりだから、困ったことがあれば、遠慮なく彼らに頼りなさい。もちろん、私にもね」


ゆっくりと、しかしはっきり凛とした口調で返す。


「はい。お心遣いありがとうございます……!」

リラはロジャーの温かい言葉に感謝の念を抱きながら、深々と丁寧に頭を下げた。


「それから、君には話さなければならないことがあるんだが……この後すぐに領主との会合に出かけなくてはならなくてね……。また明日……」


ロジャーが『改めて』と言い切ろうとしたその時


今まで快晴だった空に突然暗雲が立ち込め、ゴロゴロ……と雷鳴が聞こえ始めた。何か不吉なことでも起こりそうな……。そう思わずにはいられない程の暗さだ。


「あれ? 天気が急に……」


異変に気づいたジョシュアがふと空を見上げた刹那、

ドカン! と激しい雷鳴と共に地面に雷の閃光が走った。


「うわ!」

衝撃のあまり、思わず尻餅をつくジョシュアとリラ。


「大丈夫か!」

すかさずブライアンが二人に手を差し伸べる。


「ありがとう、父さん。ああ、びっくりした! リラ、大丈夫?」

ジョシュアが心配そうにリラの方に顔を向ける。


「ええ……」

リラの表情は青ざめてはいるものの、どこも怪我はしていないようで、ジョシュアは安堵のため息を漏らす。


そんな三人の側で、ロジャーは眉根を寄せ、険しい顔つきで空を睨むように見つめていた。


「これは……神の仕業か……?」


ロジャーが小声でボソッと呟く。


「神……?」


ジョシュアに聞こえているとは思っていなかったらしく、ロジャーは少し慌てた様子で取り繕う。


「ああ! すまん。何でもない。天気が急変したものだから、私も驚いてな……」

そう言って誤魔化すように笑顔を作った。


「そうですね。さっきまであんなに晴れて……。あれ……?」


そこまで言いかけ、また空を見上げると、漆黒の暗雲は、まるで最初から存在しなかったように綺麗に消えており、爽やかな青空が広がっていた。


「え! 天気が回復してる……? さっきのは一体……?」

不思議そうに首を傾げるジョシュア。


「……まあ、何にせよ、晴れてる内に戻った方が良さそうだな。とりあえず村長への挨拶もできたし」

ブライアンがそう言うと、ロジャーも同意するようにコクリと頷く。


「それがいい。また急変するかもしれないしな。それとリラ。この後は家に篭っていた方が良い……。そして万一の場合は、水を用意しなさい」


ロジャーにそう言われ、リラは困惑したように眉を顰める。


「え……? 水? それはどういうことですか……?」


「詳しいことはまた改めて話すよ。とにかく、雷は危険だから気をつけなさい。ああ、もちろんジョシュアとブライアンも」


何だか腑に落ちない回答だが、リラはこれ以上追及せず、素直にコクリと頷いた。


「わかりました。気をつけます」


「僕も。それでは村長様、一旦失礼しますね!」

三人はロジャーに軽く頭を下げると、くるりと踵を返した。


「ああ、またな……」


ロジャーはジョシュア達の背中が見えなくなると、作り笑顔を崩し、再度厳しい顔つきに戻る。


「私もまた、見張られている立場……か。どこまでの干渉なら許される……?」


人知れず呟くロジャーからは、どことなく悲壮感が漂っていた。







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