16、離宮の貴人
* * *
「それで、聞きました? 人の国の王子はさらに後三人、花の国を目指しているそうですよ、リーリヤ」
「宮殿が王子だらけになりそうですね……」
宮殿内の一室で、白百合公リーリヤと
花の子は食事をとらないが、茶などの飲み物はよく飲むのである。だから茶葉などは多く宮殿に取り寄せられているし、庭師のリーリヤは花茶のために自ら花を摘んで乾燥させたりなどして用意していた。今日の蝶豆もそうだ。
茶を飲むと心が和む。だが山積している問題が頭から離れず、いつものように落ち着いてティータイムを楽しむことは難しかった。
――王子が、まだ増える。
とすると、宮殿内で「殿下」と呼びかければ何人もの人間が振り向くことになってしまうだろう。
ほう、とリーリヤは嘆息した。
「王位を巡る争いが、こちらで繰り広げられることになりそうですねぇ」
人間の国では王がこの世を去り、新しい王がいずれ決まるとされているのだ。王子達はその戦いの真っ最中のはず。
「何故わざわざ花の国の宮殿でやるんですかね」
「さあ。しかし何か意味があるんでしょう」
「あなたの殿下はその辺りの事情は詳しくないのですか。当事者でしょう?」
「ジェード様はご自分を取り巻く状況について、驚くほど疎いみたいですから……」
尋ねてみても、「知らん」「興味がない」という返答ばかりである。周りが一応耳に入れるはずなのだが、聞き流しているのかもしれない。
彼の兄弟王子はテクタイトを筆頭に王位を狙っているのだろう。そして王の座につくために必要な何かがここにあるから押しかけて来るのだ。
だとしたら、その目当ては何なのか。
「花の子の力をあてにしているのでしょうかね……。人の子が増幅させて使う魔力の源は花の子です。それなりの力を持つ花の貴人を味方につければ、今まで以上に強い魔力を操れるようになるのかもしれない」
今までは花の子側が人の子が近づくのを拒んでいたが、王の代理騒動で道の一部が開通してしまったために、花の国へ入りこめる。足を踏み入れさえすればどうにかして目をつけた貴人と交渉できるかもしれない。
そして力を手にして、兄弟達より優位に立つ。
「――というのが目的だとしたら、ジェード様は完全にはずれですね」
リーリヤは彼の王子が気の毒になった。
何せリーリヤはほとんど魔力を持たない。いくら仲良くしたところでジェードにとっては何の足しにもならないだろう。
「でも、あなたの殿下はあなたを利用したいのではなくて、守りに来たのでしょう?」
「その、みんなして『あなたの殿下』と言うのはやめてもらってもいいですか? しかしジェード様もご兄弟から命を狙われる立場なのだから、私を守っている場合ではないと思うんですけどね。いよいよ私は申し訳なくなってきましたよ」
現在二人の間で話題になっているジェード王子はというと、リーリヤの部屋にいる。彼は白百合公の部屋に腰を落ち着けることを決め込んでしまったらしかった。
どこに行くにも護衛のためについて来ようとするのだが、菫公と茶を飲むだけだからとなだめすかして置いてきた。彼は兄王子であるテクタイトの動向が気になっているらしい。他人に興味のないジェードがあれほど警戒するのだから余程である。
「……石の方のテクタイトは火を呼ぶ力があるとされ、人の子には喜ばれます。しかし、我々は……」
言いかけたリーリヤの言葉を、イオンが続ける。
「火の魔術を苦手としていますからね」
花が歓迎するものは水であり、忌避するものは火であった。
火にも良いものと悪いものがある。あの王子は石そのものではなくて人であるから意志があり、力をどうとでも使えるのだ。
「人の国の王子は、花の国を滅ぼすつもりなのでしょうか」
菫のイオンは不安げに眉根を寄せている。魔力を増幅させて使う分、圧倒的に人の国の王子の方が有利ではあった。
「そんなことはさせませんよ、イオン」
「しかし……」
「彼らの争いのために、みすみす滅ぼされてたまりますか。王子のどなたかが妙な動きをしたら、私が牽制しますから安心なさい」
だがイオンはますます心配そうな顔をする。
「体を張ったりしないでくださいよ、リーリヤ……。あなたってすぐ無茶をするから……」
「無茶なんてしたことありませんよ」
「あなたは常識人ですけど、そういうところがズレているからなぁ」
何を嘆かれているのかわからず、リーリヤは首を傾げた。
王子達が遊びに来たわけではないのは確実なので、こちらも油断せずに予防線を張っておくべきだろう。少しずつ出方を探らなければならない。
「こちらには睡蓮公がいらっしゃるので大丈夫だと思いますよ。私、これから睡蓮公のところへ行って来る予定なんです」
リーリヤは微笑んで蝶豆の花茶を口に含んだ。
花の貴人は皆宮殿に住んでいるが、睡蓮公アイルだけは例外で離宮で暮らしている。彼は宮殿の敷地を管理する立場であり、長いこと離宮にひきこもって顔を出すことは一切なかった。
何百年も皆彼の姿を見ていないのだ。
睡蓮公の名を聞いて、イオンは一瞬眉間にしわを寄せた。離宮の扉は開かずの扉だ。誰であろうが交流を拒む睡蓮公に会うのはおよそ無理なことに思われたのだろう。
だが、イオンはすぐにある事情を思い出したらしく頷いた。
「まあ、リーリヤなら会ってもらえるかもしれないですね」
睡蓮公は他の者との連絡を全く絶っているから、現在の宮殿での騒動を知らない可能性もあった。
宮殿で散っていない年数が一番長いのはリーリヤだが、月下美人と睡蓮も次いで長い。そういえば、この二人は遠い昔仲が良かったように記憶しているのだが、いつから疎遠になったのだろう。
散った千年より前の記憶は曖昧だ。
リーリヤはイオンにこの二人の関係についての疑問を口にした。
「言われてみれば、月下美人公と睡蓮公は付き合っていましたね」
リーリヤは他人の交友関係などにさほど興味がないので詳しくないが、確か恋仲であったように思う。宮殿の中で有力者であった、物静かで人格者の月下美人と睡蓮、二人の貴人。気づけば一緒にいるところはとんと見なくなった。
「月下美人公ルナは、離宮に訪れることがあるのでしょうかね」
「私が知る限りでは一度もないですよ」
リーリヤは顎を撫でて「ふむ」と唸った。何らかの原因があって不和が生じたのか。とはいえそれは珍しいことでもない。長く顔を合わせていれば関係が破綻するというのはよくある出来事であった。
現在二人に表立った争いの話は聞かず、月下美人公は静かに宮殿で過ごしているし、睡蓮公は宮殿の守護者として独立した存在となり務めを果たしている。何の問題もない。
「睡蓮公のところへジェード殿下を連れて行くのですか?」
「それはやめておいた方がいいでしょうね。睡蓮公は大の人間嫌いですから」
ごくたまにではあるが、宮殿内に人間が訪れることがあった。花の子の手引きがあれば人の子もやって来ることは不可能ではない。人の国から商品を輸入しているから、そういう関係で入って来たりもする。
だから花の貴人達は宮殿から出ることはないが、人の子との接触が全くないわけではないのだ。それでたまにいざこざが起きることもあって、睡蓮公は何かのきっかけで人間に嫌悪を抱くようになったらしい。
「……連れて行くと面倒なことになるでしょうからね。睡蓮公はあなたを少々気に入っている」
イオンのこの言葉に、リーリヤは目を見開いた。
「睡蓮公がですか? そんなわけはないでしょう。あの方は気難しいのだから、私など気に入るはずがない」
と言えば、イオンは腕を組んで「あなたのそういうところがね……」と謎の嘆きを漏らしている。
「とりあえず、ジェード殿下はあなたにかなり執着なさっているようですから、あまり嫉妬されないよう気をつけた方がよろしいかと思いますよ」
「それは……そうですね」
経験人数の話をしただけでも機嫌を損ねていた彼だ。正直リーリヤにはその「嫉妬」という感情がよく理解できないのだが、ジェードが妬くと行為の激しさにも繋がるようなので注意が必要だろう。
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