17、美しいと感じる
そんなわけでイオンと別れ、離宮へ赴こうと廊下を歩きだしたところだった。
「どこへ行く?」
黒い服に身を包んだジェードが壁にもたれて立っている。宮殿内での彼の格好は軽装に近いが、腰にはいつも剣を帯びていて隙がない。
リーリヤは戦闘については生まれつきさっぱりなので、剣の腕が確かな白薔薇公ヴァイスにジェードの力量はどのくらいだと感じるか尋ねてみたことがある。すると白薔薇は「かなりのものだね。俺は負ける」と言い切っていた。立ち姿でもそれくらいはわかるそうだ。
「部屋でゆっくりなさっていればよろしいのに」
「そういうわけにはいかない。お前を守りに来たのだから」
「千年散らずに頑張ってきたのですから、そうそう散りませんよ」
「先日目の前で殺されそうになっていたがな」
そういえばそうであった。あの時ジェードが抱えて避けてくれなければ、あっさり散っていただろう。あんなことがあったばかりでは、過保護な扱いをされても仕方ない。
「煩わしければ距離を取って追いかける。好きなところへ行くがいい」
ジェードがそんなことを言い出すので、リーリヤは困ったように笑って彼の腕に手を添えた。
「煩わしいわけがないでしょう。そんなことを仰らないで。私はあなたが好きなんですから。あなたがよろしいのであれば、一緒に歩きましょう」
体を寄せて微笑むリーリヤを、ジェードはしばらく黙って見つめていた。何か言いたげである。
「どうしました?」
「お前は誰にでもそうやって、好きだ好きだと言うのか」
「嫌いでなければ言いますね」
ジェードは息を吸いこむと、表情を変えず微かなため息をついていた。
「危ない男だな、お前は」
危ないというのがこの場合どういった類の意味を持つのか考えている間に、ジェードが「行くぞ」と声をかけて歩き出すのでリーリヤも足を進める。
気に障ったのかと表情を盗み見ると、そういうわけでもないようだ。ほんのわずかにだがその横顔に浮かんでいる感情は、困惑や疲れに近い。といっても本当にごくわずかなので、リーリヤの思いこみかもしれないが。
リーリヤが離宮に行く予定だと伝え、二人は並んでその目的の場所へと向かった。
すれ違う花の貴人や侍従達はまだちらちらとリーリヤとジェードの二人に視線を寄越してくるが、もう関係は知れ渡っているし(おそらく正確には伝わっていないだろうが)、誤魔化そうとしても無駄なのだ。それに、初めこそ庭師と王子の愛人関係という話題は刺激的で面白がられただろうが、そろそろ飽きがきているだろう。
新たな王子が現れ、さらにそれが増えると聞けば、興味関心はそちらに移っている。長く生きてる花の子達は慣れるのが早いのだ。
ジェードも兄王子テクタイトを強く警戒して密かに動静を探っているようだが、今のところ大きな動きはないという。テクタイトは供を連れて宮殿をあちこち見て回り、貴人達と会話を交わしているそうだ。今日は部屋にこもって休んでいる。
花の国の花宮殿は巨大だ。人の国の城の比ではなく、敷地も広大だった。
はっきり言って、不必要に広かった。使われていないところがほとんどなのだ。使用されている石材は主に白いが、一口に白と言っても色合いは場所によって異なっていた。銀白色、月白、生成。
全体としての宮殿の色、外壁は象牙色である。
階層は一部を除いて二十。花が住まう宮殿ということもあって、採光は重要視されている。吹き抜けが多く、空中庭園もたくさんあった。いつでも日光浴ができる。
「ここへ来る時にご覧になられたでしょうが、建物の外も庭園が広がっているのですよ」
リーリヤは立ち止まり、外廊下から窓の向こうを手で示した。
宮殿を囲んでいるのは植物が生い茂る庭だ。青々とした樹木で作られた生け垣で迷路のようになっている部分や、数多の花が咲き乱れる花園もある。それが三百六十度、見渡す限り広がっているのである。
「あれもお前が管理しているわけではあるまいな」
「さすがにそこまで手は回りません。私が面倒を見ているのは宮殿の空中庭園だけです。外の植物達は聞き分けが良いのでさほど手入れをしなくても平気なのですよ。手がかかるものは空中庭園で世話をしているのです」
庭は森とは違うが、ここ一帯の庭を見回ろうとすれば何日もかかる。慣れない者が足を踏み入れれば、迷ってしまうだろう。
「美しいな」
眼下に広がる庭園を見たジェードが抑揚なく言って、リーリヤはそんな感想に顔を綻ばせた。
ややあってジェードは眉をひそめる。
「……妙な気分だ」
「何がですか?」
「人斬りと呼ばれた私が、こうして景色を見て美しいと感じているのが不思議でならない。お前と再会するまでは、そんなことは思いもしなかった」
「そうなんですか。どうしてでしょうね」
リーリヤはジェードの顔をのぞきこんだ。
「けれど、良いことです。あなたが何かを美しいと感じることは、私も嬉しい」
ジェードが血にまみれた人生を送ってきたことは想像に難くない。本人に自覚がある以上に陰惨な場面に遭遇してきたことだろう。
常に命を狙われ、人に欺かれ、殺伐とした日々をやり過ごしてきた彼が美しいものに心を動かされる暇などなかったはずだ。
「あなたはそうして、心を動かすことができる方だということです。ジェード様は本来優しく、また感受性が豊かな方なのですよ。私にはわかります」
ジェードの唇の端には、自嘲めいた冷ややかな笑みが滲んでいた。
「人ばかり斬ってきた。先日あの厄介な兄王子はたくさんの人間を葬ってきたとお前に教えたが、私も大して差はないわけだ」
リーリヤは微笑みを崩さないで彼の手を己の手で包んだ。
「……あなたが望んでしたことではなかったのでしょう? 人を斬るのは仕事だった。その仕事を楽しんでいるわけではなかった。違いますか」
「…………」
ジェードは遠くに視線を投げたまま、答えなかった。
初めて会ったあの時。彼は自身の中に広がる虚無にしか目を向けていなかった。そこに存在するのは諦観と怒りだけ。
そんな彼の中に新たな芽吹きがあることを祝福したい気持ちになった。それはきっと、彼をもっと良い方向へと導くだろう。
やがてジェードは自分の手に重ねられたリーリヤの手を見下ろした。リーリヤのその行動に気を良くしたのか目つきは穏やかになっていたが、何故か不満そうに変化していく。
「……お前は、そうやって誰の手も握るわけではあるまいな」
「どうしてジェード様はそんなに、私が誰に何をするかが気になるのです?」
「人の話を聞いていたのか? 私はお前に惚れている。
嫉妬の自覚はあるらしい。自身を俯瞰して見られているのは立派だな、とリーリヤは感心してしまった。一部の殿方はそういった感情を持て余すことを恥じて認めないものだ。潔い。
けれど過剰な心配だと思う。
一体誰が変わり者と評判の白百合公リーリヤなどに妙な気を起こすというのだ。
宮殿を出ていくつかの庭を抜け、橋を渡る。
すると離宮が見えてきた。こちらも象牙色の建物で、さほど広くはない。とはいえ一人で暮らすとなるとやはり広すぎるのだろう。彼は侍従もつけずに長いことここで孤独に過ごしていた。
「ジェード様は少々お待ちいただけますか? そこらの庭でも見ていてください」
彼は人間嫌いなので、と一応説明しておく。
「その睡蓮公とやらは危険な奴ではないだろうな」
「常識人に分類されていますよ。もっとも……昔よりはかなり気難しくなられましたが」
散る前のことなので記憶がかなり朧気なのだ。あの頃は睡蓮公も宮殿に住んでいて、月下美人公と睦まじくしており、人望があったから花の子達の相談にもよく乗っていた。次第に口数が減って、他人との交流を絶ってしまったのだが。
「睡蓮公がお前を傷つける可能性は?」
「ないと思いますがねぇ。決して他人に手をあげるような方ではありませんから、安心してください。私は昔、彼と仲良くやっていた方ですし」
口に出してからしまった、と思った。仲良く、という言葉の意味を勘ぐられはしないだろうか。ジェードの眉がぴくりと反応したようだったが、追求は控えたようだった。
よかった、とほっとする。
ジェードは聞き分け、待っていてくれると約束した。
一人離宮に近づいていったリーリヤは、門番もいない扉の前に立ち、建物を見上げてから声を発した。
「睡蓮公アイル。私です。白百合のリーリヤです。お話があって参りました。中に入れてはもらえないでしょうか」
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