第三章 第七王子
13、博愛の欠片
* * *
花の子同士は生殖行為をする必要がないのだが、時折戯れに交わるという。遊びと優劣を決めるために。
そんな事情を話した後、まあ、私を抱く花の子なんておりませんがね、あはははは、とリーリヤは笑っていた。
寝台の上で力尽きたリーリヤの目尻に涙が浮かび、それをジェードが舐めとった。
淫猥な花が咲いて、香りが濃密になる。
リーリヤは掛け布に顔を押しつけた。
「まだ朝ではないですか……一日が始まるのにこんな……こんな」
窓の外から射し込む光が、リーリヤの白い髪を輝かせている。昔の短い髪と比べるとまた雰囲気が異なるが、どちらも似合っていた。
「私は百年分溜まっている。この程度ではまだ足りない」
「せめて夜にしてもらえません? 私は仕事があるのですよ」
「花の貴人は自堕落な生活を送るものだと聞いているが」
「皆、好きに暮らしているだけです。私は働くのが好きなので仕事をします」
ジェードとしては、リーリヤに部屋にこもっていてもらいたかった。そうすれば好きな時に交われる。
リーリヤは途方に暮れた顔で部屋を見回していて、「壮観だな」とジェードは小さく笑った。白い花が寝台の周りの床を埋め尽くしていた。それがどういうことをあらわすのか、この宮殿に住まう者なら誰もが知っている。
「まだ朝ですよ……」
リーリヤが繰り返すので、ジェードは彼の長い髪を手にとって口づけた。
「嫌だったか?」
ジェードが言うと、困ったようにリーリヤが笑う。
「あなたとするのが嫌なんてことはありません。寝起きにやる回数ではない、と言っているのです。こんな生活をしていては私の体がもちませんよ。千年散らずの白百合も、さすがに散ります」
「肌の艶はいいようだが」
指摘するとリーリヤの顔は微妙に歪んだ。恥ずかしい時に彼の笑顔はいつもの形をやや保てなくなるのだ。大抵余裕を崩さず、年長者のように悠々としているが、この手のことが得意でないのは変わらない。
好きな相手を苛めたくなる人間の気持ちがよくわかる。もう一輪咲かせて困らせてやろうかと思わないでもない。
リーリヤは服を拾って身につけ始めた。素肌が見えなくなるのは惜しいが、そのゆっくりとした動作を見ているのは悪くなかった。
「百年、お前を想っていた」
呟くと、背を向けていたリーリヤが振り向いて微苦笑を見せる。
「私などを愛すると、あなたも変わり者と言われますよ」
今のところ、ここにいるのが迷惑だとは言われていない。だがリーリヤは、ジェードが花の国にとどまるのを良くは思っていないらしかった。
「ねえ、ジェード様。あなたはここにおられるべきではないと思いますよ。多分、これから揉め事が増えますから、あなたもろくな目に遭わない」
「構わない。人の国もさほど変わらん」
リーリヤは、それはそうだが、というような顔をして黙る。花の子は花の国を出ないが、リーリヤはいくらか人の国を旅しているからある程度の事情は耳にしているのだろう。
二十五人の王子の、骨肉の争い。血に塗れた王座。
噂で聞いていたジェード王子とあなたはかなり印象が違いますね、とリーリヤは笑っていた。
十五番目の人斬り王子と呼ばれたジェードは、氷のように冷たい目をして、血の通わぬような表情を変えることは滅多にない。容赦なく敵を斬り捨て、国防の仕事を請け負ってきた。「殺し」のことしか考えていない。命惜しい者は、あの王子の後ろに立つな。そう言われている。
リーリヤの前でのみ、ジェードは変わるのだ。笑いもするし、肩もすくめる。この男がそうなるようにしてしまった。
「好きなものが見つかりますようにと祈ってはいましたが、よりによって私だなんて」
私はつまらない花なのに、とリーリヤは繰り返す。もっと他にも美しく優雅な花はありますが、とすすめられるが、ジェードの目には入らない。
ジェードは花が好きなのではない。白百合公リーリヤただ一人が好きなのだ。
「自分で言うのもなんですが、私に肩入れすると苦労しますよ」
「承知の上だ」
帰った方がいいとか、せめて護衛相手を鞍替えした方がいいとか、遠回しには忠告するがリーリヤはジェードがそばにいるのを許している。ジェードがこういう男になったのはリーリヤのせいなのだから、責任は取ってもらうつもりだ。
「お前を守りに行くという願いは叶った。後はお前が私を好けばいいのだが」
リーリヤは目を見開いた。
「好いております、ジェード様。私はあなたのことが大好きですよ」
「違うな」
ぴしゃりとジェードは否定する。
「何度も言うが、私が欲しいのはお前の博愛の欠片ではない」
「……難しいことを仰いますねぇ」
リーリヤは額を押さえて嘆いていた。
リーリヤがジェードを好いているという言葉に偽りはないだろう。だが、彼は「平等に皆が好き」なのだ。人の子も花の子も犬の子も。
今ここにいるのがジェードではない男だったとしても、頼まれたならリーリヤはそばにいるのを許している。「好きだ」とも、「愛している」とも言うだろう。
ジェードにはそれが我慢ならなかった。互いの気持ちが釣り合っていない。恋しいという気持ちを教えられたジェードだが、自分に恋を教えた相手がそれを知らないというのが少々憎らしかった。
「まあいい。私が必ずお前に教える」
「はあ」
リーリヤは寝台から下ろした裸足のつま先で、ちょい、と床に降り積もる花を押しやった。白い花はふわりと動く。鳥の羽根より軽いのだ。
「ジェード様、私、仕事に行ってもよろしいでしょうか? 花に水をやらなくちゃ」
ジェードは、餌が足りないと訴える猫のような不満な目をしてリーリヤを見つめ返す。リーリヤは笑ってジェードの額に口づけを落とした。
お前は今まで一体何人に口づけをした? と嫉妬深い台詞が口をついて出そうになるが、あまりしつこいとみっともないのでやめておいた。
その時、遠くから地響きが聞こえ、振動がかすかに伝わってきた。遅れていくつかの悲鳴。
「
廊下を走りながら、誰かが叫んでいる。
リーリヤがため息をつき、「やれやれ」と頭を振った。
「本当に誰もいなくなるんじゃないでしょうかね……」
花の世話より、蕾の回収に行くのが先になるようだ。
「どっこいしょ」
リーリヤは寝台から立ち上がる。
「じいさんのようだな」
「そうですよ。私って、上品でもないし、じいさんみたいなことを言うし、床上手でもないし、色気もないんです。あなたは私のどこが良いのですか」
「全部だ」
見目も中身も、全てが愛おしい。広く愛しすぎるところも、自分をすぐに放り出すところも、ジェードのことを想ってやんわりと遠ざけようとするところもだ。
だが、もうジェードは彼と離れる気がない。そんな気持ちを知ってか知らずか、リーリヤは「仕様のない方だ」と言うように笑っている。
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