12、私の望み
花の子は魔力を持つ。リーリヤは花の子の中でも異常なほど魔力を持たないが、それでも多少は使える力があるのだ。
彼はまじないのかかった香の力も借りて、ジェードが自分を忘れる術を使ったのだった。いつもこうして、関わった人間から自分の記憶を消していた。
普通の人間であれば、それは上手くいったのだ。だが、ジェードは石持ちの王子だった。魔力を操ることが出来、魔力に対する耐性もある。
だから彼との一夜の記憶はほとんど保持したままでいられたのだが、名前だけが失われてしまったのだった。
忘れてしまったことに苛立ちを覚えたが、仕方ないことだと諦めたジェードは城へ帰った。第十五王子が襲撃を受けた話は王城で広まっていたらしく、彼の帰還は驚きをもって迎えられた。
ジェードはもう、襲撃の件などどうでもよくなっていた。犯人探しをする気にもならない。
それより、花の子の名前を思い出せないことに対する苦しみが日々募っていった。
毎日毎日、あの顔を思い出す。彼の声を、香りを。肌の柔らかさや、微笑み。覚えている限りの会話の内容も、何度も反芻した。
(これは、何だ)
いっそのこと、すっかり忘れようとしたのだ。かけられた優しい言葉も、握られた時の手の感触も、笑い声も。
だが、無理だった。
剣術の鍛錬に励んでも、使いでどこへ出かけても、ふとした時にあの男の顔がちらつく。
名状しがたい苦しみに胸が焼かれる思いだった。そして、心の中で呼びかけた。
(お前は今、どこにいる?)
あんな無茶な生き方をして、誰かに傷つけられていやしないだろうか。
もう少しついて行くべきだったのかもしれない。どうして私はあそこで、彼と別れたのだろう。
それからは手を尽くして国内をさがした。大々的に捜索しては迷惑がるだろうからと、ひっそりとさがしたが行方は杳として知れない。
国に戻ったのだとすれば、ジェードとしてはお手上げだった。花の国と人の国はほとんど交流がないからだ。特に花の子が人の子と関わるのを歓迎していない。
ジェードは父王から国を出ることを許可されておらず、ある意味囚われの身に近かった。勝手に出国したが最後、一生追われる身となり、しかも追跡の手の苛烈さは兄王子の比ではなく、一国丸ごと敵に回すことになる。多勢に無勢、間違いなくしとめられるだろう。
名前すらわからない花の子一人を見つけ出すのは、ほとんど無理な話だった。
ジェードに残されたのは、たった一つの花の種だけだった。それをいつも懐に入れて、時折出して眺める。あの夜が幻でないことを、彼が存在したことを証明する唯一のものだ。
ジェードは今まで以上に剣の修行に力を入れた。このまま誰かに殺されるのは癪だ、と初めて思ったのだ。
何度も襲撃を受けたがその度に返り討ちにしてきた。
白い花の子をさがし続けたが、依然として手がかりはない。石持ちの王族は長命で、幾年過ぎてもジェードの見た目は若いままだ。そして何十年も経ち、そのうち諦めも覚えた。
(あいつは、死んでしまったのかもしれないな)
誰かに、腕や足をやってしまって、ついには命もくれてやったのかもしれない。馬鹿だから、それで喜んで死んだのだ。あの話しぶりからすると有りそうなことというか、むしろその方が自然の成り行きだ。
「お前が誰かを助けて……」
ジェードは城のテラスで手すりにもたれ、種を眺めながら呟いた。
「そんなお前を助ける者はいたのか?」
もし今頃消えてしまっているのだとしたら、自分も消えたいとぼんやり思った。けれど一抹の希望を捨てきれずにいた。
――生きていたら、会えるかもしれない。
希望を持ちつつ、さがす方は消極的になっていた。これほど再会を望んでいるのに、名前を思い出せない自分の不甲斐なさを恥じていたのだ。
この、会いたいとの願いは一方的なもので、向こうはジェードのことをまるっきり忘れているかもしれない。
自分は随分変わってしまったと自覚する。
一人の男のことばかり考え、彼のことで嘆き、怯え、腹を立てている。こんな感情はついぞ知らなかった。
――お前は今、どこにいる? 生きているのか?
別れたことを悔いていた。こんなにも想いが募るとわかっていたら、決してあの手を離しはしなかったのに。
彼と出会って別れ、百年が経った。
その間に人の国でも様々なことが起きたが、どれもジェードの心を動かさなかった。思い出すのは一人の花の子のことだけ。
――ひと目、会いたい。
会って伝えたい言葉が、この百年の間に心に積もっている。
国王がこの世を去ったという報せすら、ジェードにはどうでもよかった。
淡々と日々を過ごすだけで、ただ一つの慰めは、心の中に咲く思い出の花なのだ。酷い男だ。私に希望の種を植え付けて、この世にとどめておこうとする。
出会った日の希死観念は消えて、全く新しい人生を歩んでいた。
「兄上、次の玉座に誰が座るかという話にご興味はないのですか」
第二十王子の弟、カーネリアンがテラスにいるジェードに声をかけてくる。ジェードは騎士となっていたが、時期国王候補として動くために解任されたのだ。いよいよ王位を巡る争いが本格化するらしいが、それもどうでも良くて、することがないから城内でぶらついている。
「決まったのか」
「他人事のようですね。まだ決まっていませんよ。どうもごたついてるみたいで……少々時間がかかりそうです」
王の資格を得るのがどうだかという話は小耳に挟んだが詳しくない。ジェードは誰も周りに寄りつかせないようにしているので、権力争いの甘い汁を吸おうとする輩も諦めて離れていっている。ジェードを下手に怒らせると首がなくなるという噂が流れているのだ。
石持ち体質の王子達は総勢二十五人いたが、事故や病気で半分ほどがいなくなっている。勿論死因は表向きのもので、全員が殺されたのだ。
カーネリアンは情報をよく集めているが、さほど王位争いには積極的に絡んでいないように見える。上手くやりすごしてここまで生き残ってきた。力で返り討ちにしてきたジェードとは違うタイプだ。
「それで、面白い話があるのですよ。花の国のことはご存知ですか」
話半分に聞いていたジェードは、意識の半分ほどがまるで眠っているような状態だったが、弟の言葉に覚醒した。
――花の国。確かにそう言った。
普段、誰の話題にもあまりのぼらない内容だ。
目の色を変えた兄に少々驚いた様子のカーネリアンだったが、気を取り直して話を進める。
「花の国も大荒れだというのは、聞いておりますか」
「ああ。何でも、新たな代表者を決める為に揉めているそうだな」
交流はないはずなのだが、風の噂というのは聞く。ジェードは平素からあちらの国を気にしていたから、耳は早い方だった。
「兄上達の中で、花の国に向かおうとしている方が何人かいらっしゃるようですよ」
「しかし、道は閉じられているではないか」
「それがですねぇ、いくつかの道は開かれたみたいなんです。身を守る為に、人の子に助力を求めた花の貴人がいるらしくて。以前から無理矢理入り込んだ人間は数人いたのですよ」
それも知っている。もっとも、自分は目立ちすぎるし、国を離れるのを許されない立場だったから向かうことは出来なかったが。
道が開かれ、助力を求めてきたというのは初耳だ。そう言えば、「あなたは人付き合いが悪すぎますよ。情報を集めるなら孤独でいるのを諦めなければ」とカーネリアンは笑う。
この弟は、ジェードが花の国について気にしていたのを知っていたらしく、今回この話をしにやって来たらしかった。
「一部の兄様は、此度の花の国の動乱の行方に妙に関心を持っています。あれは首を突っ込む気ですよ。このリストの中で誰かが、花の国をまとめる存在になるそうです」
カーネリアンが手にしていたのは、花の貴人のリストだった。代表者候補には印がつけられているらしい。
「私の情報は最新です。一番速い鳥に情報を運ばせていますからね。王の代理候補、最有力と目されているのは、月下美人公のルナ。彼らは案外凶暴なのか、互いに消し合っているそうだから笑っちゃいますね。我々みたいだ。そういうところは人も花も変わらないのかな。候補は減り続けているんですが、新しく選ばれてもいますからね。今日また候補に上がったのは、白百合公リーリヤだそうです」
ジェードは息をするのを忘れた。
記憶が、一気に戻ってくる。彼のかけた術がとけた。
白い髪。穏やかな笑顔。あの香り。
名前は。
――お前の名は?
――リーリヤと申します。
そうだ。リーリヤだ。あれは白百合だったのだ。
それと同時に愕然とした。
花の子とは聞いていたが、まさか貴人だったとは。花の貴人は各種族の代表で、永遠に宮殿で過ごすのだと聞いている。人で言うところの貴族のようなものなのだ。
何故リーリヤは人の国で、たった一人で旅などしていたのだろう。
いや、それより。
リーリヤは生きているのだ。貴人は死んでも復活する。今話に出たところからしても彼は生きて、あの宮殿で過ごしているに違いない。
そして――代表者候補になっているだと?
馬鹿な。あんな馬鹿な男がまた、どうしてそんな馬鹿なことに巻き込まれているのだ。
「カーネリアン。開かれたという花の国への道は、最短で何日だ」
「人が行くなら、最も無難な経路は三十日。ほとんど不可能な経路では三日です」
「三日で着く方を教えろ。今すぐにだ」
言いながらジェードは歩き出した。カーネリアンは呆気にとられていたが、ジェードを早足で追いかける。
「ジェード兄様も行くつもりですか? 三日の方は、下手をすれば死にますが。というか、ほぼ死にますよ」
死ぬつもりはない。それより一刻も早く彼の国に着くのが何よりも重要だ。
気ばかり焦った。飛んでいけるなら今すぐ飛んだだろう。
あの男には助けが必要だ。助けを必要としていないからこそ。
私を覚えているだろうか。拒絶されるのではないだろうか。会いたいなどと思っているのは、私の方だけではないだろうか。
そんな弱気が霧消する。
覚えていない可能性が高い。助けに来たと言えば迷惑がるだろう。会いたいと思っていないし、あれは私を思い出したりもしなかったはずだ。
だが、構うものか。
再び見つけたからには、あれを私の花にする。
誰にも、リーリヤの腕も足もくれてやらない。私が勝手に守るのだ。
心の臓が強く脈打ち、全身に血液を送り出す。体が熱くなる。
やっと見つけた私の花だ。私の光だ。二度と逃すものか。
あれを守る。それ以外に私の望みはない。
人をこんな気にさせておいて、覚悟するがいい。
これが恋だと、ジェードはその時気づいたのだった。
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