11、温もりと別れ
「あ、そうだ。好きなことと言えば、あなたはどんなことがお好きですか? ご趣味などはあるんですか」
リーリヤは楽しそうに話を続ける。
そういうのは普通、親しくなり始めた知人だとか、せめて馬車で乗り合った人間に振る話題だ。
何者かに追われて川からあがってきた傷だらけの怪しい男に趣味を尋ねるのはどうかしている。だが、終始言動がどうかしているのでもう驚きは薄かった。
「好きなものなどない」
「何も?」
「何もだ。好きなものも、欲しいものも、望みもない」
しいて言うなら王族でなくなることだろうが、どうあっても命は狙われ続けるような気がする。それに叶ったところで、やはり別の望みもやりたいこともないのだ。
「そうだとすると、生きづらいでしょう」
目的も生き甲斐もないのだから、そう言える。
「私は好きなことがありますから、生きているのが楽しいですよ」
その「好きなこと」が自分の命を危険にさらしていることについてはどう思っているのだろうか。
リーリヤは種を握ったままのジェードの手をとった。
「あなたにも、好きなことや好きなものが見つかることを祈っています」
「そんなものは見つからない」
「いいえ、あなたは見つけるでしょう。私にはわかりますよ」
確信に満ちた予言なのか、元気づけるための出まかせなのかは不明だ。どっちにしろ信じないので、どうでもいい。
リーリヤは外へ出て行くと、荷物から取り出した豚の血を川に向かって点々と地面に落とした。もしも追っ手が戻って来た時に、死体がなければ不自然に思うだろうから、その対処だという。川に入ったように見せかけたのだ。
間抜けな男に見えたが、一応考えて行動はしているらしい。
見張りは自分がするから休んだ方がいいと言われたが、ジェードは断った。仮眠は座ってとるのが基本だから横にはならない。
「お前が寝ろ」
「しかし……」
「私は剣を扱えるが、お前はどうだ」
「戦いは全く向いておりません」
筋肉のつき方や、身のこなしを見ていてもわかる。度胸はあるが戦闘は不向きだ。
「外への警戒は私がやる。お前は寝るんだ」
それにジェードは例の花のおかげで回復していた。疲れているのはリーリヤの方だろう。逡巡していたリーリヤだったが、「では、お言葉に甘えて」とマントにくるまって横になった。
しばらく、ジェードは黙って壁にもたれて膝を立て、外を眺めていた。あと数時間で夜明けが来る。追っ手が戻ってくる可能性は低い気がした。
川をたどって行けば町があった。ジェードが敵の目から逃れつつ、町に入って身を潜めていると考えて、男達も町に向かったかもしれない。
ふと、川に落ちた時のことを思い出した。冷たい水の中で身が凍る思いがして、心まで冷えたあの瞬間を。全てを手放したくなったのだ。手放すだなんて表現は滑稽かもしれない。何も持っていないに等しい日々だ。
「あの……」
寝たかと思ったリーリヤが、頭を持ち上げてこちらを見ていた。
「何だ」
「寒いんですが……」
「どうしようもないだろう」
岩に囲まれた洞窟内が冷えるのは仕方がないことだ。
「さっきあなたと絡まっていた時は寒くなかった。隣で寝てくれませんか。少しでいいから温めてください、私を」
ジェードは眉を上げた。
「裸でか?」
「服を着たままですよ」
リーリヤが苦笑する。本音を言えば、やはり疲れていたのだろう。まだやりたければやるがいい、と言わないのは正直だった。
ジェードは剣を持ってリーリヤのそばへ行き、隣へ寝転んだ。剣はそばに置く。
そして背後から体の前に腕を回して抱えてやった。
花は体温などないはずだが、花の子は温かい。体を密着させていると温もりが伝わってくる。目の前にある髪からは、花の香りが漂ってきた。
花を愛でる趣味も余裕もジェードにはなかったから、これが何の花の匂いなのかは知識がなかったが、花の芳香というのはこれほどまでに心を安らがせるのかと意外に思った。
「あったかいです」
ふふ、とリーリヤは笑う。
見張りなどどうでもよくなって、ジェードは目を閉じた。
これは疲れた己の頭が見せた、夢なのではないかと思った。目が覚めたらこの男は消えてしまうのではないだろうか?
そんな思いがジェードにリーリヤを抱きしめさせたのかもしれない。
もしかしたら、自分はまだ川の中を流されているのだろうか。死にかけながら見ている夢なのか。
夢の方がいいのかもしれない。
花の子だがなんだか知らないが、こんな男が存在したら、あまりにも切なすぎる気がする。
ジェードは花の香りを吸い込みながら、久方振りに横になったままで眠りに落ちた。
目を開けると、もう陽は昇り始めていた。数時間は眠っていたようだ。特に異変はない。
そして、腕の中の男も消えていなかった。のんきにもすうすう寝息を立てている。
ジェードが起き上がると、リーリヤも身じろぎをした。欠伸を噛み殺して目をこする。
「おはようございます。温めてくださって、どうもありがとう」
そう言って笑うが、ジェードが冷えていたのを気にしてあんなことを言い出したのかもしれない。何せ相手のことばかり気にする男だ。
二人は揃って洞窟を出発した。追っ手が戻ってきた様子はない。
リーリヤが次に向かうという町へ、平野を横切ってジェードも同行することにした。ここで別れても良かったのだが、万が一、追っ手とリーリヤが出会わないとも限らない。ある程度安全な場所に行くまでは見届けたかった。借りが多すぎた。
くだらない話をしながら歩き、町で一緒に食事をして(リーリヤは水分しか摂らなかった)、必要なものを買い、宿屋の一室ではもう一度交わった。
それでもリーリヤはジェードの名前すら尋ねなかったし、ジェードも彼がどういう目的の旅をしているか聞かなかった。
町を出た先の道で、二人は別れることとなった。
「お世話になりました。私を守ってくださったのでしょう」
風が吹く草原が目の前に広がっている。道は二手に分かれ、リーリヤは右へ、ジェードは左へ向かう。
「一つ忠告しておくが、お前はその趣味とやらのために、いずれ死ぬぞ」
「そうなっても悔いはありませんので」
思った以上に頑固者なのだろう。これ以上は言っても無駄だと悟った。
「どうぞ、あなたも生きてください。もっと強くおなりになって、生き抜いてください」
「私の人生は概ね、汚泥に沈んでいる」
「あなたはいずれ、光を見つけますよ。光と喜びを見つけたら、どんなに酷い人生だって慰められることでしょう。それを知らぬままに死なないでください。きっと見つかりますから。そしてあなたは役目を終えて命果てる時に、汚泥の中の光と喜びを祝福するでしょう」
少しも尋ねることはなかったが、ジェードがわけありであり、暗いものを背負って生きてきたことを彼は見抜いているのだろう。
強くなり、生きろと言う。泥のような人生を否定するな、最後には祝福出来るから、と言う。
説教好きなところからして、この男は若く見えるが自分より年上らしいなとジェードは考えた。
「それでは、達者で。私と会ったことは忘れてください。変わった種族の、それもとびきりの変わり者と会って、さぞ戸惑われたでしょう。お心を乱してすみませんでした」
「……忘れるわけがない」
「一週間も経てば、思い出せなくなりますよ」
笑顔で手を振り、リーリヤは去って行った。
こんな衝撃的な出会いを、どうしたら記憶から消すことができるというのか。しかし、リーリヤは知っていたのだ。
彼と出会って丁度一週間後、ジェードは白い髪の青年の名前を、思い出せなくなっていた。
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