7、口を塞ぐ
ジェードは白百合公に命を救われて、恩がある。その恩返しでやって来た。花の国も人の国も関係なく、ジェードが贔屓するのは白百合公のみ。
単純明快である。
納得した者は少ないかもしれない。ジェードとリーリヤが何かを企んでいるという疑いが晴れるような話ではないし、リーリヤが騙されている可能性もある。
しかしジェードは、多く語っても意味がないと思っているのだろう。彼らが満足いく証拠をこちらは提出できないのだ。
きっぱりとした宣言と態度を見せ、出来ることといったら今後の行動による証明だ。
遠くの席で元気良く、赤薔薇公ローザ一人だけが納得して「なるほどな!」と大声をあげていた。
しかし胡蝶蘭のファラエナは甘くない。
「殿下の仰ることはまるきり偽りで、あなたは花の国を掌中に収めたいと思っているかもしれない。白百合公は王の代理候補です。彼を王の代理にしようと目論んでいるのでは?」
それもない、と言いながら目をすがめ、ジェードは再び集まる貴人の顔を眺める。
「しかし聞いた時から疑問に思っていたのだが、『王の代理』とは何なのだ? 何故『王』ではなく『代理』なのだ」
そんなことも話していないのか、という沈黙の視線を皆から向けられたのはリーリヤである。そういう顔をされても、ジェードとは再会したばかりで騒動に巻き込まれたのと睦まじくしていた他は、まだ落ち着いて語り合っていない。
この場を借りて説明しよう、とリーリヤはジェードの方を向いた。
「殿下。王は不在なのです。それは王たる者が存在していないという意味ではなく、この宮殿にいないという意味です。王はおります。姿が見えないだけなのです。ですからこの中から選ばれるとすれば王の『代理』となります」
石版にも「王の代理」という文字が浮かんでいた。
リーリヤの説明に、ジェードは眉をひそめる。
「いないのであれば、地位を放棄したと見なされるのではないか? 姿を消したことに関して、本人からは何の声明もないのだろう。そもそも、王は誰なのだ」
妙な沈黙が流れた。花の貴人達が一瞬、それぞれ目をそらす。
「忘れてしまったのですよ、殿下」
リーリヤが静かに言う。ジェードはますます訝しげな顔をした。
「我々は王についての多くのことを忘れてしまったのです。ただ一つ確実に覚えているのは、王は消滅したわけでないということです」
「そんなことが有り得るのか」
「花の貴人はほぼ不死ですが、一度散ると記憶の一部を失うのです」
補足の説明をしたのは
「宮殿に住まう花の貴人は、全員、最低一度は散っています。そこの千年散らずの白百合公が最長で咲き誇られておりますが、そのリーリヤですら一度散っている。それが千年前なのです。王が姿を消したのはその辺りより前だ」
宮殿には、絶対的存在の「王」がいた。それは誰しもが何となく覚えている。彼に傅くことに抵抗もない。だが王に関する記憶の大半が失われており、記録を残す習慣もあまりないために、王についての手がかりがないに等しかった。
花の貴人は王の命しか聞かない。しかし王はいない。だからこうして統率のとれないまま、宮殿内は混沌とした様相を呈しているのである。
それに不便を感じているのも事実であり、王の代理が選ばれて、彼に王としての仕事が委任されるのなら、少しはここの空気も落ち着くのではないかと期待された。
現実は抗争が激化して、酷い有様になっているのだが。
「民主的に王を選出するという方法もあるだろう。石版など無視をすればいい」
ジェードの言葉に異を唱えたのは胡蝶蘭のファラエナだ。
「異種族のあなたにはおわかりにならないでしょうね、我々の性質は。花の子は、誰もが美しく生まれ、実に自己中心的なのです。気まぐれで自堕落。建設的な会話は苦手です」
「自覚があるなら正せばいい」
「人間的な思考ですね。我々はそれが出来ないのですよ。野放図に蔦やら葉をのばして、互いに押し合い巻き付き、首を絞め合うような生き物なのです、花の子は。まとめられるのが花の王。花の子が王に従うのは自由意志でなくて生まれつきの性質です」
本能というものに近いと言うべきか。尊敬や感謝の念から従うわけではないのである。ジェードにとっては奇妙な話に感じられるらしく、怪訝な表情は消えない。
「王とやらに、もてあそばれているとは思わないのか? お前達を争わせる、暇つぶしのゲームだと」
胡蝶蘭は笑った。
「そうであっても、構いません。王の意志に我々は従うだけですから」
実際、貴人達は「面白がって」いる。王の代理という椅子取りゲームは娯楽の一種になりつつある。不死ゆえに、生命に対する危機感は薄れ、何事も面白がる者が増えていた。
何を思うのか、ジェードはしばらく腕を組んで何事かを考えていた。やがて口を開く。
「私は白百合公の身の安全以外に関心がない。白百合公に手を出す者がいないなら、貴殿達には関わらないと約束しよう。害する者がいたら容赦はしないが」
そして続けた。
「私の兄弟王子がどのようなつもりでここを目指しているのかは知らない。くだらぬゲームは我が国でも起こっている。余所者の私が言っても心に響かぬだろうが、人は欲深い。内乱に気をとられていると足下をすくわれるぞ」
「ご忠告をどうも、王子殿下。万が一あなたのご兄弟が花の国を滅ぼすようなことがあれば、その最後の時に我々はしんみりと今の言葉を思い出すでしょう」
つまり、ジェードは絡んでいないものの、人の国でも王位を巡る争いは起きているのだろう。そしてそこで優位に立つ為に、花の貴人を利用しようと考える者も現れた可能性がある。
花の子は石持ちの人の子に勝てない。これは危機である。
が、大多数にいまいち緊張感がないのはこれもまた花の貴人の悪いところだった。美しさゆえに劣等感が少なく、水と光だけで生きて飢えを知らず、散っても咲くを繰り返し、長く生きているせいだ。
何の為に集まったのだかわからない会合はこうして終わった。
騒動の責任は誰も取らず、懸案事項は増え、場は険悪になり、リーリヤは無駄に目立っただけだった。
「毎度のことながら、酷い会合でしたね。花の貴人は協調性も思いやりもなくて勝手な人が多すぎる。おかしいんですよみんな」
「そういうところが、愛らしいんですけどね」
リーリヤがにこっと笑うとイオンが顔をしかめた。
「あなたもおかしいです、リーリヤ」
会議室からそれぞれ静かに退出していく中、赤薔薇のローザの元気な声が聞こえた。
「つまらん話し合いだったな! 僕は途中で寝たぞ。無駄なんだよ!
その隣では白薔薇のヴァイスが「今までもそうやってあなたが先走るから、何人も冤罪で泣いているよ」と言っている。
「白百合公リーリヤ」
胡蝶蘭のファラエナが近づいてくる。ああ、どうも、と挨拶をしようとすると、彼はリーリヤの首元をちらりと見た。
「首に何か痕が」
そう言われた瞬間、素早くリーリヤは首を押さえた。するとファラエナは笑みを浮かべ、「失礼、見間違いでした」と立ち去っていった。
リーリヤは半目になりながら押さえた部分をさする。この手のからかいは今後増えるのだろう。いびられる原因がまた一つ増えたわけだ。
ジェードは話が終わるとさっさと先に退出していが、おそらく外でリーリヤを待っているのだろう。いそいそと出て行けば、やはり壁にもたれて背の高い青年がこちらを見ている。
「先程は、私のために来ていただいてありがとうございました」
「こんな狂ったところで長年暮らしているのか、お前は」
「それなりに楽しいですよ」
リーリヤはみんなのことが好きなので、多少疲れることはあっても苦ではない。リーリヤは花が好きなのだ。そして彼らは花の子だ。わがままなところも愛らしく思える。
ジェードの沈黙は呆れが混じっていた。呆れられるのも日常茶飯事なので慣れているリーリヤは笑顔のままだ。他人の評価を気にしていては、自分が好きなように生きられない。
「それにしても、あなたは話を盛りましたねぇ。私に命を救われただなんて」
「事実だ。お前がいなければ死んでいた」
「何を仰いますか。あなたはお強いのだから、あの時私と出会わなくても、必ず生き延びましたよ。私はまた要らぬお節介を焼いてしまったのかもしれませんね」
自室を目指して二人並んで廊下を歩いていたのだが、突然ジェードがリーリヤの腕を強く引っ張って廊下を曲がる。
力の弱いリーリヤは体を振り回されるようにしてどうにかついていき、次の瞬間には強引に口づけされていた。
ひと気のない場所に行く配慮が出来るのだから、案外理性的な方だとリーリヤは思った。
ジェードは顔を離してリーリヤの瞳を見つめる。
「要らぬお節介などではない。お前が決めるな。今度また私の気に食わないことを言えば、こうして口を塞ぐぞ」
「……ではあなたの気に入ることを言うように心がけましょう」
「気に入ったことを言っても口を塞ぐ」
「それでは私は、口を塞がれっぱなしではないですか」
リーリヤはくすくす笑う。
四六時中口づけをされてはたまらない。お節介、という言葉にやや傷ついたような表情を見せたので申し訳ないと思い、リーリヤはそっと片手でジェードの頬に触れた。
「さて、部屋に戻りましょう、ジェード様。お茶の用意でもしましょうか」
微笑むリーリヤはジェードの手をとって引っ張り、先程の広い廊下へと導いた。まだ来たばかりで道順なども知らないだろう。
手を引かれるジェードは、リーリヤの細い指を見つめ、「変わってないな」と呟いた。
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