5、花の会合
* * *
「疲れた顔をされてますね」
隣を歩く
リーリヤは軽いため息をついた。
「久方振りの運動をしたもので……」
結局あれから何度も花を咲かせることとなり、さすがに疲労感があった。リーリヤが馬鹿正直にも「他の男と寝た」と打ち明けたり、一度交わっただけで用は済んだとばかりに抜け出そうとしたことがジェードは気にくわなかったと見える。散々苛められて、声がかすれかけたので何度も咳払いをして喉の調子を整えた。
「殿下のご様子はどうですか?」
「あなただから
なおも疲れた顔と声で言うリーリヤに、イオンは気の毒そうに笑う。
「リーリヤは色恋沙汰は得意ではありませんからね。しかし、後ろ盾が出来て良かったではないですか。聞くところによると、人の国でジェード王子は最も剣の腕が立つ猛者だそうですよ。護衛にはもってこいじゃないですか」
「頼んでないんですよねぇ」
散るなら散るでいい。何がどうあっても散らずに生き残ろうと意気込んでいたわけではないのだ。
イオンの言うように「良かった」とは到底喜べなかった。皆がジェードを気にしていて、リーリヤは宮殿内で確実に目立ち始めている。
朝、目が覚める度に問題が増えていっているのはどういうことだろうか。
庭の花と、散った花の子の蕾を世話をするという仕事が自分にはある。リーリヤはそんな仕事が好きで、自分を取り巻く問題のあれこれに時間を割きたくはなかった。
ジェードのことは好ましく思っているし、自分を欲しいと言うならどうとでも好きにしてくれて構わない。元より自分の身にはほとんど興味がない。
けれど彼は注目を集めすぎるのだ。再会するには時期が悪かった。嫌な予感がしてならない。
会議室には楕円の長い机があり、花の貴人達は各々席に着いていった。リーリヤとイオンは隣り合って座る。
貴人が皆会合に出席しているわけではなかった。だがこれは遠い昔からそんな有様で、ただ寝て起きて過ごす花の子達は取り決めることが少なく、話し合いというものに必要性を感じなくなってきた者も多かった。
白薔薇と赤薔薇、それに月下美人の姿もあった。月下美人公ルナは月光のごとく清らかな白色を全身にまとっている。彼はいつも泰然自若としており、放つ香りも大変良い。物静かで発言はあまりしないが、一目置かれる存在であった。
リーリヤは庭いじりが好きな、じいさんじみた雑用係だと周囲から思われているのであまり気にされていない。されていなかった、と言うべきか。
王の代理候補と人の子の王子を味方につけたという情報により噂され、今回ばかりは視線を寄越してくる者も多い。
「さて、
会合を仕切るのは上座に座る、
「この中にいるなら手を挙げろよ。姑息な奴は僕がぶった斬ってやる」
声をあげたのは赤薔薇のローザである。もちろん、挙手する者はいなかった。
「他の者に危害を加えてはならないと、改めて決めた方が良いのではないでしょうか」
おずおずと意見するのは、リーリヤの隣に座る菫のイオンだ。するとそれを鼻で笑う声がする。
「またですか? 以前の会合でそう決めたでしょう。そして、守らない者がいる。何度決めたってそうです。意味がない」
冷たい声で言い放ったのは、月下美人のそばに席を陣取った胡蝶蘭公ファラエナ。顔つきは冷たく、髪は白い。
「ですから、もっと細かい取り決めを……」
「取り決め」
つまらないジョークでも聞いたみたいに、胡蝶蘭のファラエナは鼻に皺を寄せる。
「つまり、それを破った者は吹き抜けで吊し刑にするとか、縄をかけて引きずり回す刑にするとかいう、法のようなものを作ると言いたいのですか? 菫公イオン。法なんて作ったところで遵守する者はいませんよ。皆、自由で気まぐれですからね。己が不利益を被らない限り動かない」
刑罰とまでは言ってない、と反論したそうだったが、菫のイオンは口を閉じた。
この宮殿にはまとめ役がいない。命じる者がいない。
――長きに渡る、王の不在。
上下関係がないために、それぞれが好き勝手やってきた。
快適に過ごせればそれでよし。害されれば私的制裁。そんなことが続いたために、法はなく、法を守る習慣もなくなっていた。
なるほど、とリーリヤは心の中で手を打った。
そのうち無法地帯になると案じていたが、とっくにここは手のつけられない無法地帯になっていたのだった。
割と上品な者が集まっているからわかりにくいが、相当治安は悪いのである。
「それに、私にはあまり関係ない。これはつまるところ、権力争いでしょう。『王の代理候補』が揉めているのだ。今のところ散っているのは、石版に名が刻まれた者だけです」
「弱い者が巻き込まれています!」
菫のイオンが反射的に声をあげれば、胡蝶蘭のファラエナに睨まれる。
「弱い者が悪いのでしょう。自然淘汰です」
この視線のやりとりでも、立場と力が現れていた。
胡蝶蘭のファラエナは例の候補に名を連ねていないが強者であり、身の危険は感じていない。しかも彼は有力な月下美人のもとに集っているのである。
一方菫のイオンはか弱く無力。自身が候補でなかったとしても巻き込まれて酷い目に遭う可能性は高い。
イオンとリーリヤは仲が良い。どちらも弱い。弱いもの同士で慣れ合っていると周囲からは見られている。このように貴人達の派閥はいくつかあった。
強者は強者、弱者は弱者で集まりやすいのはどこの社会でも同じ事。赤薔薇のように一匹狼で暴れ回ったり、白薔薇のように誰とも馴れ合わないでふらふらしている者も当然いるにはいたが。
「取り決めをするとしたら、候補に選ばれた方だけで話し合えばよろしいのではないですか? ……時に、白百合公リーリヤ」
鋭い視線が飛んできて、リーリヤはきょとんとした。不意打ちの呼びかけだ。
「あなたは代理候補に選ばれたそうですね。おめでとうございます」
棘のある言い方である。明らかに胡蝶蘭のファラエナは、自分が選ばれていないのが面白くない様子だった。以前より、彼は間の抜けたリーリヤを好ましく思っていなかった。それが候補に選ばれたのだから、もはやこちらへ向ける目つきは憎々しげである。それを露骨に態度では示さず、あくまでも余裕の表情を浮かべてはいるが。
「めでたいことなのでしょうかね……」
思わず本音を漏らしてしまった。リーリヤにとっては迷惑極まりない選出なのである。
「しかも人の子の王子まで味方につけたというから、抜け目がない。しかしあなたは大変お美しいですから、王子のお眼鏡にかなったのでしょう」
嫌みなのだろう。泥だらけで庭仕事をしている白百合を美しいと褒めるのは、せいぜい菫くらいのものである。
こういう会話になってしまうと、その場の視線は二人に集中する。注目されたくない、別の話に移ってくれないかなぁ、とリーリヤは眉を下げた。
「その人の子の王子だが」
と声を発したのは、会合を仕切る天竺牡丹公のギアルギーナだった。
「宮殿内では不安の声があがっている。近頃、人の子が何人も訪れているからな」
他にも人間を後ろ盾にしている花の貴人はいて、その者に皆の視線がそそがれる。当然、リーリヤもだ。
「彼らの目的は何だ?」
「……」
それが、私の体が目的みたいですよ。
という冗談を言える雰囲気ではない。冗談というか一部事実だとリーリヤは思っているのだが。こんな場であるのに、先ほどの濃密な交わりを思い出しそうになってしまったので頭から追いやった。
人の子と花の子は、交流が断絶したわけではないがかなり疎遠となっている。良い意味で関わり合いが少なかったのだ。
それが最近、向こうがやたらと接触を図ってきている。こちらから助力を求める場合もあるが、あちらの国から問い合わせのようなものも増えていた。
花の子が訝るのも当然で、危機感を持つだろう。何故なら、彼らの方が強いからだ。人の子がその気になれば、花の子をどうとでも蹂躙出来る。
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