4、お前が欲しい

 * * *


 片づけは終わり、調べてはみたが結局、騒動は誰の仕業とも知れなかった。こうなってくると治安は悪くなるばかりで、力のない者達は怯えきっている。

 主人を置いて宮殿を出ることが出来ない侍従達は逃げ場がない。どうにか少しでも事態を沈静化させなければならないだろう。でなければ無法地帯になり、そのうち誰もいなくなる。


 リーリヤはこのままではよくないので話し合いの場を持つべきだと提案した。よって本日、花の貴人達の会合が会議室で開かれることとなっている。

 貴人達の間でこの争乱を鎮めたいと本気で思っている者が何人いるかは不明だが、とりあえず会合には概ねの貴人が出席することを約束していた。


 しかし、自分で提案したものの、何か意味のある会合になるかどうか、とリーリヤは自室でため息をつく。そしてため息をつく理由はもう一つあった。

 部屋に、とある御仁が押しかけてきている。

 今、まさに迫られているところなのだ。


「殿下。私はこれから会合があるのです」

「まだ時間に余裕があるはずだ。名前で呼べと言ったはずが」


 寝台の前まで追いつめられているリーリヤは、無駄だと知りつつやんわりと抵抗していた。まだ陽は明るいのだし、集まりもあるのだし、何も今でなくていいと思うのだが、王子は引きそうにない。


「ジェード様。夜にしてはいかがですか? それならたっぷり時間がありますから」

「今だ。嫌ならはっきりそう言ってもらおう」


 リーリヤは、嫌だから拒否をしているのではない。時間に余裕がある方がいいのではないかと思うのだが、どうも彼は頑なである。目つきを見たところ、話し合う余地はなさそうだ。諦めるしかないだろう。


「では、湯浴みをしてまいります」

「このままでいい」


 腕をつかまれ、寝台へと押し倒された。柔らかい寝具に体がやや弾む。冷たい翡翠色の目が、リーリヤを見下ろしていた。リーリヤがそうしているように、彼もまたリーリヤの瞳に視線が釘付けになっていた。ごく近いところに、端正な顔がある。


「お前の花が見たい」


 ジェードは口づけをしつつ、服に手をかけた。

 その口づけは、ゆったりと味わい、飢えを満たすかのような雰囲気であった。

 私のような者をそれほど欲しがるだなんて、と考えながらリーリヤは遠い昔の、彼と出会った時のことを思い出した。


 今以上にすさんだ目をして、その目つきだけで誰かを射殺すような凄惨さがあった。


 ――何も欲しくはない。


 言葉と暗い眼差しで、そう主張していた。あらゆるものを遠ざけていた。

 初めて抱かれた時は労りの欠片もなくて、しかしその時の体の痛みは他人事のように忘れてしまっている。


 深い口づけが繰り返された。

 やっとジェードが顔を離す。リーリヤは両手首を合わせて顔の前に上げ、悪戯っぽく笑って見せた。


「今日は縛らなくてもよろしいのですか」

「……忘れていないというのは嘘ではないようだな」


 ジェードはリーリヤから片時も目を離さない。


「私がどれだけさがしたかわかるか? お前はとうに死んだのだと思った。誰かの為に尽くしすぎて、すぐに命も投げ出したのだろう、とな。貴人であるとは想像もしなかった。一人で旅をしていたのだから」


 王子のあなたもお一人でしたけど、と笑うリーリヤの手をとって、指先に唇で触れる。


「だが、お前は私のことを今日までほとんど思い出しもしなかったのだろう」


 恨み言のような言葉に、リーリヤは目をしばたたかせた。返事はせず、誤魔化すように視線をそらして詰問するような眼差しから逃れる。


「正直な奴だ」


 怒るでも呆れるでもなく、無表情でジェードは言った。手をのばし、リーリヤの白い髪をすくう。そして指からさらさらと髪をこぼした。


「長いな。あの時はもっと短かった」

「いつも長いのです。旅をしていた頃は邪魔だったので切りました」


 確か、肩辺りで切りそろえていた。髪を短くすると、幼く見えると誰かから言われたのを覚えている。

 記憶の中のリーリヤと、現在のリーリヤを重ねているらしい。ジェードの目が過去をさまようように揺れていた。

 だがその目は、つと険しくなる。


「お前が今私と寝るのは、先程の礼のためか。それとも奉仕精神のためか。お前は求められれば私以外とでも寝るのだろう?」

「断ることだってありますよ」

「しかし、他の男であっても交わるのだろうな」

「うーん、それは、まあ……、私でお役に立てるなら極力応じたいとは思うので」


 これではまるで淫乱みたいな台詞であるが、そういう生き方をしてきたので仕方がなかった。力がないから体を使ってやり過ごしたこともあったし、体が欲しいと乞われれば与えてやった。

 けれども求められなければ自分からせがんだりはしないし、なるべくはそういう展開になるのを避けて過ごしている。痴情のもつれほど厄介なものはないからだ。


「今まで、私以外の何人に体を許した?」

「淫売みたいな言い方はよしてくださいよ。そんなにしておりません」

「何人だ」

「数えていないんですよね……、でも、私は年齢の割に経験がとても少ないのですよ。あなたを含めてせいぜい十人くらいではないでしょうか。あー、いや、十五人はいたかな……。ジェード様と別れた後は五人くらいは……」


 花の子同士でも交わることは多いが、リーリヤみたいな風変わりな者を抱こうとする者はほとんどいない。リーリヤの経験はもっぱら人の子ばかりである。なのでかなりご無沙汰だな、と頭の片隅で考えた。


 花の子にとって交わりというやつは、さほど深刻な意味を持つ行為ではなかった。

 経験人数の告白を聞いたジェードの目が、すうっと冷たくなる。視線から冷気を感じそうなほどで、どうも不愉快に思っているらしい。


 この方は前より表情豊かになった、と面白がる一方で、そんな顔をされても、と困ってしまった。

 出会って行動を共にした時間はごく短く、我々は特に恋人同士の契りを交わしたわけでもない。だから浮気をするなと言われた覚えもないし――。


 リーリヤは、はたと先程のことを思い出す。

 私のものになれ。彼はそう言ったのだ。


「これからは、私以外の者とは交わるな」


 ジェードが行為を始めていく。

 久方振りの感覚だった。自分がこれを――交わりというものを好きなのかどうかがよくわからない。得意ではないのは確かだった。


「以前寝た男はどんな男だ?」

「あ……まり、覚えてないのです」

「私よりも印象に残っている男はいるか?」

「わからな……ッ」

「どういう経緯で寝ることに?」

「ゆ、ゆるしてくだ、さい」


 理不尽な嫉妬に対して早々に音をあげるが、彼の怒りがおさまる気配はない。

 ジェードの責めはなかなか苛烈であった。


「あ……の、ジェード様……」


 何度も言っているが、この後に集まりへ顔を出さなければならないのだ。どうかお手柔らかに、と懇願したいところだが、喉がひくついてなかなか声にならない。


 熱が溶け合って一つになる。恥じらいは押しのけられて、懐かしい感覚が奥から激しくこみ上げてきた。


 そして、弾ける。


 二人の間に白い花が浮かんで咲いた。花弁が大きく、ふわりと丸みがあるのが特徴的な形をしているが、この花に名前はない。

 これは、花の子が絶頂を迎えた時に咲く、世にも淫猥な花なのだ。


 ジェードは浮かぶ花を手でつかみ、口へと運ぶ。一枚の花弁をくわえて飲み込むさまを見たリーリヤは、ぞくりと背筋を震わせた。


「お前が欲しい」


 ――この人にも、欲しいものができたのか。


 あの時の瞳を思い出しながらリーリヤは他人事のように考える。そして、乞われているのは自分なのだと遅れて認識した。息を切らしながら、微笑んで見せる。


「私が欲しいなら、どうぞ。差し上げますよ」

「違う」


 ジェードが顔を近づけてきた。


「望んでいるのは、そういうものではない。お前が誰にでもやろうとするものではない」


 難しいことを言う。

 困ったようにリーリヤは笑うが、ジェードは真顔で見下ろしたままだった。リーリヤは花の国で毎日のように花の子の美しい顔を見て過ごしていて、美というものは見慣れていたが、ジェードの顔もまた花に負けぬほど美しいと心打たれた。

 鋭く硬い美しさ。まるで宝石のような。


 ジェードの左上腕には、緑の石が皮膚の外に露出していた。あれが翡翠。彼の持つ石なのだろう。綺麗な石だから、今度頼んで是非とも触らせてもらおうと思う。今は忙しいのだ。


 さて、とリーリヤはジェードの下から抜け出そうと動き出す。やることはやったのだし、これで解放してくれるだろう。

 ところがジェードはリーリヤを離さなかった。


「一輪で足りると思うのか?」


 どうも私は大変な方に好かれたらしいな、とリーリヤは苦笑を浮かべながら肩をすくめた。

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