3、散る花

 * * *


「宮殿を案内させていただきます」


 ジェードの泊まる部屋を訪れたリーリヤは、そう申し出た。彼の世話は何人かの花の貴人の侍従をつけてさせているが、本人はそう構わなくても自分のことは自分でできると言っているらしい。

 人の国と花の国は遠いので、何人もぞろぞろと従者を連れて来れないのはわかるが、それにしても一人も供の者を連れていないとは。


「何故あなたのような身分の方がお供も連れずにいらっしゃったのです?」

「お前も侍従が一人もいないと聞いたが?」

「私は庭師ですから」

「しかし身分としては貴人だろう」

「自分の世話は自分でする主義ですので」

「私も同じだ」

「さようですか……」


 思い返せば、お互い正体を明かさず出会った時も彼は一人で旅をしていたのだった。一人で行動するのに慣れているのかもしれない。

 変だ変だと問いつめたところでどうにもならない。まあいいか、とリーリヤは歩き出す。


「いつまでご滞在の予定か、お聞きしても?」

「この騒動が終わるまでだ」


 とするとどのくらいだろう。王の代理がいつ頃決定するのか、とんとわからない。

 大体長きに渡り王は不在で、何故今突然その代理が選ばれることになるのか理由が不明だ。それに――引っかかることがいくつかあった。


「殿下」

「名前で呼んでもらおう」

「ジェード様。あなたのお世話は私、白百合のリーリヤが務めさせていただいてもよろしいですね?」

「むしろお前以外は考えられないな。私はお前の身を守るために来たのだ。私から離れるな」


 後ろを歩いていたはずのジェードだったが、いつの間にか隣に並んでいる。彼はリーリヤより長身だ。

 リーリヤは花の貴人の中でもさほど上背のある方ではない。百合自体は大きな花だが、元になっている花の形状がそのまま花の子の体の大きさや能力と関係があるわけではなかった。


「久方振りに私と出会った感想は?」

「お懐かしゅうございます」


 ジェードは目を細める。


「それだけか」

「と、申されましても……。ああ、驚きましたね。またあなたと顔を合わせることになるとは思いませんでしたから」


 百年会っていないのだ。普通の人の子であれば寿命が尽きているはずである。石持ちなので彼は長命なのだろう。以前会った時と比べて、皺ひとつ増えていない。

 石は体表に露出している場合も多いらしいのだが、交わった時には気づかなかった。腕に包帯を巻いていたから、あの部分に石があったのかもしれない。


「会いたいと思ったことは?」

「ええと……」

「私はお前に会いたかった」


 目をぱちぱちとまたたかせ、リーリヤはジェードの顔を見る。特に冗談を言っている風でもなく、至って真面目な顔つきだ。そんなに付き合いが長いわけではないから断言はできないが、彼はふざけて誰かを口説くような浮ついた性格ではないだろう。

 何人かとすれ違い、リーリヤは彼らに挨拶をする。すれ違う花の子も挨拶を返しながら、物珍しげにジェードを眺めて去って行く。


 おかげで話は中断され、リーリヤはいささかほっとした。まだ彼の熱量を受け止めきれない。

 敵意を受け流すのは案外楽だが、好意となるとそう簡単にはいかないのだと思い知らされる。


「どの程度花の子についてご存知かわかりませんが、簡単に説明しておきましょう」


 吹き抜けの回廊を歩きながらリーリヤは語る。


「花の子も人の子とさほどの差違はありません。人のような食事はせず、ほとんど水分しか摂らないところなど、少しは異なりますが」


 花の子と人の子は見た目でいうとそれほど違いがない。食事のこと、花の香りをまとっていること。それくらいだろうか。眠りもするし歌は歌うし、生まれは土からというのを除けばごく似ている。


「花の貴人は不老不死と聞いているが」


 並んで歩き、前を見据えながらジェードは言う。


「それに近いですね。正確に言うなら、不死ではないのですが……。我々花の貴人と呼ばれる、花の子の中でもごく一部の者は老いませんし、死んでも大抵の場合復活します」


 侍従の花の子達はそうではないので命は一つきりである。一方貴人と呼ばれる者、一族の代表たる者達は何度も蘇る。

 そのせいか、度々混乱が生じるのだ。


「花の貴人は生命活動を維持できない状態になることを、『散る』と表現しています」

「お前は『千年散らずの白百合』と呼ばれているそうだな」

「よくご存知で」


 リーリヤは笑う。

 つまりリーリヤは、千年の間一度も死なずに咲き続けているのである。宮殿でそれほど長く咲いているのは白百合だけだ。大概は何度か散っている。

 蘇るという生態のせいで、気に入らないことがあればさほど抵抗なく相手を害する者が多いのだ。宮殿内では数え切れないほど刃傷沙汰が起きている。


 階下で騒がしい声が聞こえ、リーリヤは吹き抜けの下を見下ろした。

 走ってくるのは梔子くちなしのガルデニアである。

 同じように声を聞きつけたのか、一つ下の階を歩いていた赤薔薇のローザが手すりから身を乗り出す。そして大声を出した。


「避けろ、梔子!」


 振り向いた梔子が、大きく目を見開く。

 次の瞬間、彼の胸の真ん中に矢が刺さった。

 梔子のガルデニアは自分の体を見下ろし、驚愕の表情で凍りつく。

 そして――梔子の体は消滅した。その場で一気に花弁が散り、ガルデニアは影も形もなくなる。代わりに床に積もるのは、先ほど散った白い花弁の山だ。


「……ちっ」


 ローザが舌打ちをして、手すりを飛び越えて一階へと飛び降りる。それを見たジェードが呟いた。


「随分と軽そうだな」

「軽いですよ。我々は花ですから」


 なので高所から飛び降りても着地は優雅で、負傷もしない。


「では、今度確かめさせてもらおうか。お前を抱き上げてみよう」


 とジェードが言うので、まさか今ではないだろうなとリーリヤは少々警戒したが、さすがに彼もそんな突飛な行動には出なかった。

 散った梔子公ガルデニアの側に立ったローザは、険しい顔で周囲を見回してから声を張り上げた。


「宮殿内での無闇な殺生は禁じられている! 誰だ、出てこい、卑怯者め!」


 追いついてきたガルデニアの侍従達は、散ってしまった主人を前に途方に暮れている様子だった。


「これから犯人をさがす。梔子の家来共、僕について来い。事情を聞くからな。……それから、庭師!」


 リーリヤがいることをローザもとうに気づいていたらしい。ローザはリーリヤの方を見上げた。


「お前の仕事だ! ガルデニアの面倒を見ろ」


 声をかけられたリーリヤは、隣にいるジェードに視線を向けた。


「……ということなので、申し訳ないのですが少々仕事をしてもよろしいでしょうか」

「構わない」


 ジェードと共に階段を下りていく。梔子のガルデニアの侍従達は、慌てふためきながらも強引な赤薔薇のローザに連れて行かれようとしていた。そのうちの一人に泣きつかれたので、「あなた達の主人は私が責任持って世話をしますから、行ってらっしゃい」と送り出した。


 主人が不在となった梔子の子達は、しばらく主人と仲の良い花の貴人を頼るか、宮殿の雑用をすることになるだろう。

 床に積もった花弁の小山にリーリヤは近づく。山の上には、一抱えもある巨大な花の蕾が乗っかっていた。人間でいうところの赤子くらいの大きさだ。


「それは?」

梔子くちなし公ガルデニアです」


 そっと抱き上げたリーリヤは、ジェードの方を振り向いた。ジェードは散った花の貴人を見るのは初めてなのだ。


「このように、再生能力を持つ花の貴人は散っても――死んだとしても蕾になって咲き直し、蘇るのです」

「世話というのは?」


 リーリヤはにっこりと笑う。


「花ですので。咲くまで庭で育てます」


 陽光に当てて水をやる。風にもさらした方が、咲き直した後の具合が良い。

 蕾となった梔子公ガルデニアを抱え、リーリヤは歩いた。

 蕾の花の貴人を咲くまで置いておく庭園というのが宮殿にはある。上階の空中庭園で、ここにも数多の花が咲いていた。


 花の中に寝かされている巨大な蕾は全部で七体。リーリヤは新たに梔子公ガルデニアの蕾を地面に横たえた。

 庭に置いておけば花の貴人はいずれ咲くが、世話をしてやった方が咲き直しは早い。彼らの世話もまた、庭師であるリーリヤの仕事だった。


「お前が世話をすることになったいきさつは?」

「私が勝手にやっているだけですよ。頼まれたわけではないんですが、慣れていますし。花の世話をするのが好きなんです。それだけです」


 ジェードは何を思うのか、目を細めていた。

 リーリヤは梔子公ガルデニアの蕾の表面を優しく撫でた。顔にかかる白い髪を指で耳にかける。


 ――無力な私にできることはごく少ない。やれることをやるのは当然だ。


「このようにして花の貴人はいずれ復活しますが、何もかも前と一緒というわけにはいきません。力は少々損なわれ、記憶の一部も欠落します」


 咲き直す時に力を消費するからなのか、そういった不便があるので散らないに越したことはない。


「知っている。だからお前がそうならないようにここへ来た」


 ジェードの言葉に、リーリヤは首を傾げる。彼は続けた。


「お前に、少しでも私のことを忘れられては困る」


 リーリヤはジェードの顔をじっと見つめた。


 ――なんと返事をすればいいものやら。


 そんなことで、わざわざここまで来たというのだろうか? 私に会うために。私の記憶と生命を守るために。

 いやしかし、花の貴人は見ての通り蘇るし、記憶も完全に喪失するわけではない。彼がわざわざやって来て守るのは大げさすぎる。


「……私は」


 そう言いかけたところで、どこかから轟音が響いてきた。

 リーリヤとジェードは同時にそちらへ顔を向ける。宮殿の中から聞こえたようだった。

 リーリヤはジェードがいるのも忘れて、屋内に駆け戻る。土埃が立ちこめて、何やら騒ぐ声もした。また誰かが派手に仕掛けたらしい。


 ――皆、何でも気軽に壊してくれる。建物を壊すのは簡単だが、修繕には途方もない労力が必要だというのに。

 嘆きの一つでも口にしようかとした時、何かが飛来してきた。先の尖った武器である。

 リーリヤは瞬きをして、それが接近してくるのを見ていた。一瞬のうちに、「千年散らずにいても、散る時は案外このようにして突然で呆気ないものなのだろう」と落ち着いて考えていた。


 すると、体が宙に浮いた。

 誰かに抱えられ、白い髪がふわりとなびく。

 ジェードがリーリヤを横抱きにして、手すりの向こうへと跳んだのだ。

 リーリヤがいたはずの場所には飛んできたものがぶつかり、爆薬でも仕込んであったのか爆発して木っ端微塵になる。


 ジェードは八階という高さから危なげなく着地したが、おそらく魔法なのだろう。人の子の体はそれなりに重さがあるはずだ。着地の際、床にはひびが入ったが、抱えられているリーリヤはほとんど衝撃を感じなかった。


「……軽いな、確かに。いくらでも持っていられそうだ」


 リーリヤを見下ろしながらジェードは呟く。


「ジェード様、お怪我は?」

「私の台詞だ」

「おかげさまで、無傷です」


 周囲の騒ぎは高まっている。逃げ出す者に、原因を探る者。またもや戻ってきた赤薔薇公ローザは、憤慨してわめいている。

 そんな喧噪などまるで耳に入らないようで、ジェードはリーリヤの顔を穴が開きそうなほど見つめていた。


「あの、ジェード様……」


 もう下ろしていただいて結構ですが、と言い掛けたリーリヤにジェードが言葉をかぶせる。


「私のものになれ。リーリヤ」


 リーリヤは口を開けたまま固まった。


「私の望みはそれだけだ。お前だけを求めて、ここへ来た」


 リーリヤは返す言葉を見つけられずに、相手を凝視し続ける。

 美しい翡翠色の瞳の中に、強固な執着が見える。そこから放たれる光に魅せられて、体の自由がきかなくなった。


 また大きな物音がする。ジェードは頭上を確認もせず、リーリヤを抱えたまま壁の方へと歩きだした。今さっきいた場所に瓦礫が降り注ぐ。

 再び舞う土煙で視界不良になる中、ジェードはリーリヤを床に下ろしたかと思うと、顎をつかんで引き寄せた。


 唇が重なる。

 この温もりと味には覚えがあった。

 食むような口づけは一度で終わり、すぐに離れる。

 リーリヤは相変わらず、言葉もなく人の子の王子の顔を見つめ続けていた。

 命の危機から横抱きにされて飛び降り、落下物を避けてからの接吻。それが数分もない間の出来事で、まず何が自分にとって一番の重大事なのか判断が難しい。


 一つ確信したのは、ジェードの自分に対する想いが戯れに近いものではなく、当初想像した何十倍も重いものらしいということだ。

 彼は本気なのだ。


 土煙は徐々に収まりつつあった。

 煙の向こうに立って肩越しに振り返っているのは、半目になった美青年、赤薔薇公ローザであった。今の口づけはしかと見られていたようだ。


「お前、何してるんだ? こんな時に」

「はあ」


 私は上で立っていただけなんですけど、と説明したところで、ローザが納得してくれるとは思えなかった。

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