2、再会
* * *
リーリヤは花の貴人達にちらほら噂されるようになっていた。さすがに王の代理候補に選ばれたので、多少は注目されるらしい。
今のところは急襲を受けたりもせず、普段と同じように庭園の花の世話をしながら穏やかに生活できていた。
そうしていつも通りの様子で廊下を歩くリーリヤを、誰かが呼び止めた。
「白百合公リーリヤ」
リーリヤが振り向くと、そこにいたのは白薔薇公ヴァイスだった。白薔薇は赤薔薇と同じ巻き毛の長髪で、白薔薇の方はいつも大体片側で結っている。同じ薔薇ということもあり、赤薔薇と白薔薇は容姿も似ていた。しかし、気性の激しい赤薔薇と比べると、白薔薇は随分おとなしい。
「何でしょう、白薔薇公」
「あなたにお客人だよ。外の人だ」
はて、とリーリヤは首を傾げる。「外の人」が指す言葉はつまり、外つ国の者――人の子のことである。人の子の客などが何故自分のところへ? 全く思い当たる節がない。
何の権力も繋がりも持たない自分と関わって得する人間などいないはずで、わざわざ遠路遙々花の国まで訪ねてくる者などいるだろうか。
人違いではないですか、との言葉が口をついて出そうになる。
「あなたに御用があるという人はね、もうここにおいでになっているよ。人の国の第十五王子、ジェード殿下だ」
王子、との言葉がすんなり頭に入ってこなかった。
長身の白薔薇が体をよけると、後ろに人が立っている。
一人の若い美丈夫だ。精悍な体つきをしており、背が高く、黒い服に身を包み、腰には剣を帯びている。短い黒髪。瞳は美しい翡翠の色。
彼は口を開き、低く耳心地の良い声で告げた。
「話は聞いた。王の代理の件で、相当宮殿内は揉めているそうだな。白百合公リーリヤ、お前の身辺は私が警護する」
役目を終えた白薔薇は涼しい顔をして礼をすると、「俺はこれで」と硬直しているリーリヤと王子を置いて去ってしまった。
たまたま通りかかった他の貴人や侍従達も王子の言葉を耳にすると仰天して足早に立ち去り、広い廊下には二人だけが残される。
滅多なことでは動じないリーリヤだったが、この展開には面食らっていた。ただまばたきを繰り返し、沈黙の時間が過ぎる。
しかしそのうちふと我に返り、こういった身分の人と込み入った話を廊下でするのも失礼だろうから、しかるべき場所へお通ししなければ、と思う。
なので「とりあえず、こちらへ」と彼を案内して歩き出した。
「お供の方はどちらへ?」
「いない。一人で来た」
「はあ……」
前を歩きながら、リーリヤは振り向かずに軽く首を傾げた。先ほど言われた言葉を思い出す。
「殿下。私はあなたに守っていただくような者ではございません。ただの庭師ですし、あなたは……」
突然、ぐいっと手首をつかまれて、柱へと体を押しつけられた。
見上げると翡翠色の瞳が自分の方へ真っ直ぐと向けられている。体を近づけられ、逃げられないように手はつかまれたままだ。
「リーリヤ。私を忘れたわけではあるまいな?」
言って、ジェードは懐からとあるものを取り出し、指でつまんだそれをリーリヤに見せつける。
花の種であった。
少々変わったそれはただの種子ではなく、二人の間にとある行為があったことを示すものだ。
リーリヤは翡翠の目を見つめ返した。
「抱かれた相手は忘れませんよ」
そして苦笑する。
「……まさか、あなたが人の国の王子様などとは思いませんでしたけど」
* * *
今日もよく晴れて心地の良い朝だった。
リーリヤは日課の花の世話をするために、宮殿の庭園を歩き回っている。
腰を落として花の様子を見る。風もなく、甘やかな芳香が周囲に満ちていた。
「白百合! 白百合!」
聞き覚えのある怒声が、静寂を破って遠くより響き渡る。今日は随分と早起きだな、と思いながら、リーリヤは声のする方へと首をひねって立ち上がった。
「どういうことなんだ、白百合!」
華やかな赤がこちらへと近づいてくる。大股で歩く彼は、自惚れるのも仕方ないほどに美しい。
「お前の警護に人間の王子がやって来るだなんて! 信じられない! どうなっている!」
「朝から元気ですねぇ。元気なのは良いことですが」
剪定鋏を腰のポーチへとしまい、リーリヤは笑う。赤薔薇のローザは柳眉を逆立ててリーリヤを見下ろしていた。
白薔薇は何かが起きても他人に吹聴して回るような性格ではないが、王子がやって来てリーリヤにあの驚くべきことを告げた時、周囲には他にも花の子達がいた。噂話はあっという間に広がったらしい。
「人間の王子と言えば石持ちだ。強力な後ろ盾になる。そんな男が、どうしてお前みたいな庭師に力を貸すなどと言い出すんだ? どうやってたらしこんだ!」
「たらしこむとは人聞きが悪いですね……」
人の子はいずれも体内に石の欠片を持っているという。通常それは非常に微細で、砂のような大きさだそうだ。
しかし王族など有力者の一部は、大きな石を持っている場合もある。そしてその石持ちは、石を持つゆえに強い魔力を扱える。その魔力の強さは大体花の子を上回るのだ。
リーリヤ一人とローザであれば、面と向かって戦えば当然ローザが勝つ。しかし王子とローザなら王子の方が強いのだ。
リーリヤは一夜にして、一顧だにする価値もない弱い花から、強力な助っ人を得た有力者になってしまったのである。
「王の代理候補になってもへらへらしていると思っていたら、こういう理由があったわけだな」
「誤解ですよローザ。私が頼んだのでもないですし、あの方が来るだなんて思いもしなかったんですから」
「ではどういう関係だ。どうして王子はお前の身辺警護を申し出た」
「ええと……あの方とは以前外で出会ったことがありまして」
「その時にたらしこんだんだな」
「あなた、そういう悪い言葉をどこで覚えてくるんです? 悪い子ですね」
「子供扱いするんじゃない!」
「若いでしょうが。あなたは散ってる時間の方が長いですよ」
「自分が千年散ってないからって偉そうに! 逃げるのが上手いだけじゃないか!」
「褒めていただきありがとうございます。ね、ローザ。あなたもお気をつけなさい。あんまりやんちゃをするとまた散って力を落としますよ」
「うるさい! 僕に説教するな!」
ローザが、だん、と威嚇するように足を踏み鳴らすが、勿論それくらいでリーリヤは怯まない。
「散った後に世話をするのは私ですから。もう何度もあなたの世話をしています」
「だからそれは……! 礼を言ったじゃないか! 僕はお前にありがとうって何度か言ったぞ! また言わせたいのか? いいや、もう言わない!」
ローザはぷいっと顔を背けると、来た時と同じように大股で庭園を去っていった。渡り廊下からは彼の侍従数人が、先日と同じように困り顔で待ち構えている。主人が特別問題を起こさず引き返してきたのに安堵した様子で、足早に去るのを追いかけた。
王子の件は追求されると答えにくいので話をそらして追い払ってしまった。
たらしこんだつもりはないが、彼と寝たのは事実である。
ややこしい展開になりそうだからなるべく秘匿しておきたいことではあるものの、いずれは露見するだろう。人間が花の子と関わるというのはそもそも、そういう関係を期待してのことがほとんどなのである。
人間が花の子の誰かを贔屓しているとすれば、性的関係を期待しているか、あるいはすでに体の繋がりがあるということを示す。
リーリヤは昨日のジェードとのやりとりを思い出した。
――お泊まりになる部屋を用意させます。
――お前の部屋でいい。
――それは、さすがに。
貴賓室に案内して、他の花の侍従達と手分けしてあれこれ準備をした。込み入った話は後日、と別れたのでさほど会話はしていない。
(さて、どういうつもりかな。あの人は)
「こんな……」
と呟いて、リーリヤは作業のために着ている簡素な服を見下ろした。花の貴人はいずれも着飾るのが当たり前であり、身綺麗にするのを好む。
「こんな花を好んでいるとしたら、随分と物好きな方だ」
まだ真意がわからないし、もしかしたら別の花に目移りするかもしれない。
とりあえずは自分が指名されているので、当分は相手をするべきだろう。そういうわけで朝の仕事を終えると、リーリヤは自室へと着替えに戻った。庭仕事の道具を持ったまま王子に会いには行けない。
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