花の貴人と宝石王子

石野月子

第一部 再会

第一章 王子との再会

1、花の貴人達


 花の国の空に浮かぶ太陽は、巨大な発光する花だった。

 

 ――花の国、花宮殿。

 宮殿の空中庭園に、一人の容顔美麗な青年が佇んで、太陽の花を見上げていた。

 彼の名はリーリヤ。白百合公リーリヤと呼ばれている。

 風になびく長い髪は、白百合のような白。手には色とりどりの花を抱え、辺りには様々な種類の花弁が舞っている。


 太陽の花は朝になると開いて輝き、夜になれば閉じて月として冷たく光るのだ。

 今日も変わらず天に咲く太陽の花をなんとなく見上げていたリーリヤだったが、誰かが己を呼ぶ声で我に返った。


「リーリヤ、リーリヤ大変です!」


 つんのめりながら駆けてきたのはすみれ公イオンである。花の菫を思わせる、小柄で愛らしい人物だった。リーリヤの友人であるイオンは短い紫の髪を風に揺らしながら、蒼白な顔で近寄ってくる。外は風が強い。


「どうしました、イオン。そんなに慌てて」


 イオンは心配性でいつも何かと騒いでいるが、今日の彼は顔色からしてもただごとではない雰囲気だった。


「リーリヤ、あ、あなたが……」


 胸に手をあて、どうにか息を整えてからイオンは顔をあげて驚くべきことを口にした。


「あなたが王の代理候補に選ばれたんですよ!」


 悲壮感すらこもるその言葉を聞いて、リーリヤはまばたきを繰り返し、ぽかんとしていた。


「冗談でしょう?」


 そう言うしかない。

 だって。


「だって私はただの庭師ですよ」



 長らく、宮殿の玉座に王の姿はない。滅多に人が立ち寄らずにがらんとした玉座の間の中央には、台に置かれた石版がある。

 時折その石版に浮かぶ文章は予言めいたことが多かったが、近頃浮かんだのは王の代理が選ばれるという文言だ。


 そしてその候補者名が日々少しずつ浮かんでくる。

 薔薇などの有力な花の子の名が選ばれていて、宮殿内では話題になっていた。どのようにして王の代理が選ばれるのかは不明だが、花の子の間では大方、美しい月下美人公ルナ辺りだろうと噂されていた。



「……本当だ。私の名前がある」


 眉根を寄せてリーリヤは石版の文字を指でなぞった。昨日まではなかったはずの自分の名前がそこにある。間違いではなさそうだ。


「どうするんです? リーリヤ」


 隣で心配そうな顔をして立っているのはイオンだ。


「消しておきましょうか。面倒事に巻き込まれたくない」


 己の着ている裾の長い白い服を指でつまんで持ち上げ、リーリヤは石版の文字を消そうと懸命に表面を拭き始めた。


「いやぁ、消えないな」


 文字が浮かぶといっても実際は刻まれているので、拭いたくらいでは消えないらしい。かといってさすがに削り取るのはまずいだろう。


「弱りましたね。でもついでだから全体を磨いておきましょう」

「……あなたの服で磨かなくてもよいのではないですか、リーリヤ」

「庭仕事をした服なので、どうせ後で洗濯しますし……。それにしたって、どうして庭師の私がこんな大層な場所に名を刻まれなくちゃならないんだろう?」

「庭師庭師って言いますけど、それ、あなたの自称でしょう。あなたも一応立派な『花の貴人』なんですよ」


 花の子は太古より花の特性を受け継ぐ種族で、「花の貴人」を自称できるのは選ばれし者だけ。彼らは貴い身分であり、矜持もあれば自覚もある。身だしなみに気を使うのは当然で、間違っても服の端っこを雑巾代わりにはしないのである。貴族なので、普通は掃除もしない。


 ふむ、とリーリヤは石版に刻まれる自分の名をもう一度指でなぞり、ため息をつくと一歩後ろに下がった。

 困った、としか言いようがない。王の代理など自分には関係のない話だと決め込んでいたのだ。しかしこうなってしまった以上どうしようもない。


「これは早々に絡まれそうですね……」


 呟いて、白百合は菫を伴い、石版のある玉座の間を離れた。



 そして、予想通り早々に絡まれた。

 廊下を歩いていると、前方からずんずんと歩いてくる人影がある。

 複数の侍従を連れたその青年は、宮殿の中でもことさら華やかで美しい容姿を持っている。赤い巻き毛の長髪が歩くと揺れて、煌めいていた。ややきつい印象を与える目元は、しかしそれがゆえに高貴で麗しい。


「白百合!」


 赤をまとう美青年は、リーリヤを見つけるなり目をつり上げた。


「ああ、これは、赤薔薇公。ご機嫌よう」


 軽い挨拶をして通り過ぎようとしたのだが、相手がそうさせてくれなかった。


「あり得ないぞ、白百合! お前なんて山育ちで庭師じゃないか! 王の代理候補なんて、絶対にあり得ないっ!」

「いや、ローザ……。それは私も同感なんですけどね」


 赤薔薇公ローザはリーリヤよりいささか背が高い。リーリヤは怒りを滲ませるローザの顔を見上げた。今日も今日とて彼は美しい。さすがは薔薇である。

 ローザも白百合のリーリヤが王の候補に選ばれたという話を耳にしていたらしい。


「いいか、当然、王の代理に選ばれるのはこの僕だ。なんてったって、宮殿で一番美しいのは僕、赤薔薇のローザだからな」


 赤薔薇の侍従達もやはり皆髪が赤く、可憐な顔をしている。が、主人が暴れ出しそうな気配に不安そうに眉を曇らせていた。ローザはこんな具合でよく他人と衝突しているのだ。


「そうでしょうね。私の名前が浮かんだのはきっと何かの間違いでしょうから、気にすることはないですよ。私が選ばれるわけがない」

「それは勿論だ! けれど、お前が候補に上がって僕のライバルとなるのが気に入らないんだ!」


 それはこちらにもどうしようもないので、文句なら石版に言ってほしいのだが。

 ふん、とローザは鼻を鳴らす。


「そんなに悠長な態度でいいのか? きっとお前も命を狙われるぞ。ひ弱なお前だ、きっとすぐに仕留められる。千年『散らず』の白百合もここまでかもしれないな」


 リーリヤがにっこり笑った。


「おや、心配してくれているのですか」

「だっ……誰がお前の心配などするか! 勝手な解釈をするんじゃない!」


 リーリヤは赤薔薇の侍従達を眺めて、「あなた方の主人は身も心も美しいのですね」と褒めちぎる。褒められるのが好きなローザは満足が半分、反論したいのが半分といった微妙な顔をしているが、用事があるらしく侍従達に急かされてどこかへと行ってしまった。


「さすが、扱いが上手ですねリーリヤ」


 と菫のイオンが感心して言う。


「あれは私の本心ですよ。ローザは綺麗です」

「見目の良さは否定しようがないですが、中身があれでは……」

「そうですか? あの子、可愛いでしょう」

「あの高慢ちきを可愛いと言うのはあなただけです」


 赤薔薇達が去って行った方向に目をやり、イオンはため息をつく。廊下にはわずかに薔薇の芳香が残っていた。花の子ばかりが住まうこの宮殿は、どこもかしこも花の香りが漂っている。


「しかしリーリヤ。赤薔薇公の言うことももっともですよ。あなたも王の代理候補なら、誰かに狙われないとも限らない」


 近頃宮殿で問題になっているのはそれだ。勢力争いが激化しているのである。花の子は不死ではあるが、「散る」とダメージを受ける。少しでも力を削ごうと、あの手この手で競争者を傷つけようとする動きが目についた。


 一応、花の貴人達が会合をした結果、無闇な殺生は禁じることにはなっている。しかしそれは建前でしかなく、結局のところ死なないのだからさほど深刻には捉えられていない。

 そんな争いには、庭師で注目もされない自分は無縁だと思っていたリーリヤだったが、状況が変わってしまった。


 赤薔薇公ローザは気性の荒さゆえにこれまで何度も何かと揉めて散っているが、結局のところ彼は剣技などが貴人の中では上位であり、誰かからの攻撃に関しては怯えていない様子である。

 一方、白百合公リーリヤは剣などてんで駄目だった。貴人であれば持っているはずの魔力もまるでない。皆が剣を持つ中、一人丸腰でいるような状態だ。身を守る術がなかった。

 たとえば、赤薔薇公などに斬りつけられたらひとたまりもない。


「私も早晩殺されそうですねぇ」

「そんな、他人事みたいに言わないでください。困りますよ、こんな無茶苦茶な宮殿の中で、あなたが一時的にでもいなくなってしまったら、ますます混乱してしまう」

「そうなったらあなた方で頑張ってください」

「無理ですよ……。ああ、誰かに警護を頼んではどうですか?」

「私などを警護して下さる方なんていませんよ」


 何せ白百合公リーリヤは同族の従僕もおらず宮殿で一人きり。そういう種類の花の貴人もいないでもないが、人の子の国の有力者を呼んで身を守ってもらっているという珍しい場合もある。

 リーリヤにはそういった伝手がない。他の花に頼ると派閥争いに発展しないとも限らないし、やはり自分で対処するしかないだろう。誰も巻き込みたくなどない。

 まあ、なるようになるだろう。


「私が散った時のために、いろいろと書き置きを残しておいた方がいいかもしれませんね」

「今からそんな弱気では困りますよ、リーリヤ」


 そうは言っても力ではなかなか猛者達にはかなわないのである。今までは注目もされず誰かと衝突する機会もなかったので無事で過ごしてきたが。

 なんとなくまた空を見上げる。巨大な太陽の花がそこに咲いている。

 自分は誰かに気にかけられるような花ではない。これからもただ一人で自分の面倒を見ながら過ごしていくだけだ。

 だが数日後、そんなリーリヤに思わぬ助力の手を差し伸べる者が現れるのだが、この時は夢にも思わなかった。

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