第20話 畏怖城の残光3-⑸


「飛田です。匣館新聞の記者です。花夢曲芸団の脱出芸でお見かけしました」


「ああ、記者さん。これはまた奇妙なところで」


「宝治さん、ここで一体、何をしておられるのです?」


「こいつの走りを試しているのですよ。上り下りを自転車と同様に走ることができるのか」


「えっ……まさかこの三輪車で、坂をかけ下りるつもりではないでしょうね?」


「そのつもりですよ」


 舟雲が流介に不敵とも取れる笑みを返した、その時だった。


「ああ、もうすぐ下り坂かあ。今日こそは無傷で下までたどり着かねば」


 ぶつぶつ言いながら自転車を押してやって来たのは神出鬼没の美青年――水守天馬だった。


「天馬君、また性懲りもなく自転車で街中走り回っているのかい」


「走り回ってはいませんよ。ここにやってきたのは、坂道を下りて自転車の耐久性を試すためです」


 天馬がにこやかな顔でそう言うと突然、舟雲が「あなたも自転車で坂を下りるのですか」と興奮した口調で尋ねた。


「そうですが……あなたは?」


「これは失礼、私はこの街で商いを始めたばかりの宝治舟雲と言います」


「私は水守天馬。港で伝馬船の船頭をやっています」


 天馬が自己紹介すると流介は「ああ宝治さん、この人は私の知り合いで船頭兼通訳をされている方です」と二人の会話に割って入った。


「ああ、あなたが探偵で有名な天馬さんでしたか。一度、お会いしてみたいと思っていました」


「えっ、僕の……私のことを知っているんですか」


「ここの船乗り仲間の間では有名ですよ。……実は私も一応、船乗りなのです。最近は陸に上がっている時間の方が多くなりましたが」


「……ええと、事件のことについて曲芸団の中で何か動きがありませんか宝治さん」


 流介は二人のやり取りに再び割りこむと、問いを放った。


「いや……特にないですね。しばらく脱出芸はやりませんし。このままだと事故という形で終わってしまうような気がします」


 ――ううむ、なかなか思うようにはならないな。


 流介ははかばかしくない首尾に気落ちした後、待てよそういえばと膝を打った。せっかく天馬が見つかったのだから暗号について聞かなければ。


「天馬君、実は……」


 流介が会話の切れ目を狙って切り出すと、「あのう、脱出芸とおっしゃいましたがどんなふうにやるのですか?」と天馬が話の矛先を違う方向に向け始めた。


「やり方ですか?脱出の担当者を鎖で縛って箱に押しこみ、蓋をするのです。それから箱の下に火を点け、本体に燃え移る前に自分で鎖をほどいて脱出する――という芸です」


「あなたが脱出するのですか?」


「いえ、私は脱出の担当者を縛る係です」


「へえ、縛り係とは面白いですね。船乗りをされていたと言う話ですが、それがなぜ曲芸団に?」


「実は以前、三輪車を売る商いをしておりまして、その流れで熊用の三輪車を曲芸団から注文されたのです。そして品物を収めたり組み立てたりしているうちに脱出芸の方たちと知り合いになっていったのです」


「鎖で縛るという役割を請け負ったのは、どうしてです?」


「私はここ匣館に体を鍛えるための道場を開こうと考えているのですが、その話を団長さんにしたところ「では君は怪力なのですね。脱出芸を手伝ってくれませんか」と誘われたのです」


 だめだ、この分では話題が暗号の方を向くのはだいぶ先だろう。流介は暗号の話を引っ込めると、舟雲と天馬のおかしなやり取りにしばし聞き入った。

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