第19話 畏怖城の残光3-⑷


「まいったな、『幻洋館』にも『匣の館』にもいないとは」


 港、末広町、宝来町、谷地頭と歩きまわって足を棒にした流介は、さすがにへとへとになって八幡坂の下でついにへたり込み動けなくなった。


 ――仕方ない、いったん会社に戻るか……


 回らぬ頭であれこれ思案を続けていた、その時だった。


「飛田さん、こんにちは」


 ふいに名を呼ばれ流介が振り向くと、末広町の方向からなじみの顔がやってくるのが見えた。


「国彦さん」 


 大きな荷物を手に現れたのは『五灯軒』の料理人香田国彦だった。


「今日も取材ですか」


「うーん……まあ、そんなところです」


「僕はこれから、この上にあるカロライン女子学校にパンを届けに行くところなんです」


「パンを?」


「はい。なんでも旧奉行所跡のあたりに先生が生徒さんたちを連れて散歩に行くのだとか」


「ああ、あそこは眺めがいいし、今日のように天気が良い日は楽しいでしょうね」


「飛田さんもご一緒にいかがですか?気分ががらりと変わって記事の元になるひらめきがうまれるかもしれませんよ。パンを大目にこしらえて来たので、飛田さんにも差し上げます」


「あ、いや気を遣わなくても結構です。そうですね……行ってみますか」


 流介は焼き立てパンの甘い匂いに誘われるように、国彦と共に八幡坂を上り始めた。


 陽当たりのよい坂道を上り切ると、どこからかかすかに讃美歌のような物が聞こえてきて流介はふと心が洗われるような気持ちになった。


「学校はすぐそこですが、このあたりで待っていればいずれ出てくると思うのでパンでも食べながら待ちましょう」


 国彦はそう言うと、道端の草地に流介を誘った。


 午後の陽射しを浴びつつ焼きたてのパンを頂くというささやかな行楽に流介が目を細めていると、突然、近くでがしゃんという金属的な音がして「うむ、一応直ったようだが果たして下り坂はどうか……」という男性の声が聞こえてきた。


「なんだか珍しい物をいじっている人がいますね」


 国彦が目で示した方を見た流介は、思わず「あっ、あの人は……」と驚きの声を上げた。


「お知り合いですか?」


「いや、ついこの間会ったばかりの人です。……すみません、ちょっと声をかけてきていいですか」


「あ、はい。……だったらここで解散しましょう。私はパンを届けに行かねばならないので」


「そうしてもらえると助かります。では……」


 流介は国彦に別れを告げると、残ったパンを口に押しこんで男性の元へ近づいていった。


「宝治さん……でしたよね?」


 いきなり声をかけられた男性は、いじっていた三輪車から手を離すと「んっ?」と声を上げて流介の方を振り向いた。


「ええと、あなたは……?」


 男性――宝治舟雲は端正な顔を捻じ曲げると、流介の方を訝しむように見た。

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