第16話 畏怖城の残光3-⑴


 大十間邸を出た流介たちは、厳島神社へ行くという巌に「御邪魔しました」と一礼して宝来町のの方へと歩き出した。


「天馬君、暗号は解けそうかい」


「そうですね……考え得る限りの解釈を当てはめて見ようとは思いますが、数日中に解けなければ難しいかもしれません」


 天馬が珍しく答えを濁した、その時だった。ふいに背後で男性同士が呼びかけ合う声が聞こえた。


「巌ちゃん」


「笠ちゃん」


 振り返ると魚見坂の方からやってきた人影と巌とが互いに足を止め、笑みをかわし合っているのが見えた。やってきた人影は流介がよく知っている人物――実業寺の住職、日笠だった。


「笠ちゃん相変わらず顔色が良いな。旨い物をたらふく食べているに違いない」


「これは心外なことを。顔の色が良いのは功徳を積んでおるからだ。巌ちゃんこそ陸に上がってすこし恰幅が良くなったのではないか?」


 楽し気に語らう巌と日笠を呆然と眺めていると、ほどなく巌が「じゃあ急ぐのでこれで」と話を切り上げ神社の方へ去って行った。


 身を翻し再び歩き出した日笠は、流介たちに気づくと「おや、これはまた奇遇というか」と表情を緩めた。


「あのう住職、大十間さんとはお知り合いなのですか?」


 流介が尋ねると日笠は「さよう。私と彼は巌ちゃんがこの匣館に来た時からの友人でな。いつも神社に参ってばかりいず、たまには寺の本堂に来て説法を聞けと働きかけているのだ……」と言った。


「あまり来ないのですね」


「彼の家は門徒宗でうちは法華宗。説法は間に合っているそうだ」


 流介はいい大人が互いをやり込めようとしていることに苦笑しつつ「なるほど」と頷いた。


「住職、もしお急ぎでなければお知恵を貸していただきたいのですが」


「何だね飛田君、また事件を追っているのかね。聞きたいのは山々なのだがあいにくと檀家の所に行かなくてはならないのでな。ちょうど明日、『港町奇譚倶楽部』の例会がある。よかったらその時に話を聞かせてくれぬか」


「あ……はあ、わかりました」


                   ※


「それでは『港町奇譚倶楽部』の例会を始めたいと思います。本日のホスト役は浅賀ウメ様です。よろしくお願いいたします」


 酒屋の地下に設けられた秘密のカフェ―『匣の館』で、オーナーの安奈がそう前置くと谷地頭の料亭『梁泉』の女将であるウメが席を立った。


「みなさんこんにちは。本日のホスト役、浅賀ウメでございます。今回のお題は匣館新聞の飛田様より賜りました『曲芸団員怪死事件』についてです。なお、この事件には暗号らしき一文が関係しているとのことで、暗号のみの推理もありとさせていただきます」


 ウメが恭しく一礼すると、「では私から推理を述べさせていただきます」と貿易会社ハウル社の社長ウィルソンが手を挙げた。


「大の男が大樽の中に入って死んでいたという、いかにも奇怪な事件でありますが……私はこの事件、練習に熱が入り過ぎた余りの「事故」ではないかと考えております」


「事故?自分で樽の中に入ったというのですか」


「さようです。佐井氏は熊の三輪車乗りを成功させたものの、何かさらにもう一つ、人目を惹く芸を欲していました。そこで思い出したのが仲間であるハリーさんたちの脱出芸です」


「熊に脱出をさせるんですか」


 意外な展開に流介が思わず尋ねると、ウィルソンは「まさか。熊を鎖で縛るなどという乱暴な芸などできるはずありません」と答えた。


「では、どんな芸を思いついたのです?」


「佐井氏自身が樽に入り、その上で熊が樽を足で転がすという芸です。しかも本番では自分は回転する樽の中で縄抜けをする――そんな芸を思いついたのではないでしょうか」


「それも、熊に縄抜けをさせるのと同じくらい難しい芸だと思いますが……」


「まあ、とにかく佐井氏はの仲間たちにもこの新しい芸のことを秘密にしていました。そして匣館公園から少し離れた空地で樽に入って転がる「訓練」をしていたのです」


「それが事故に繋がったと?」


「おそらくは。身体こそ縛らなかったものの、傾斜のある場所で樽に入り下に向かって転がってゆく――そんな練習を繰り返していたと思われます。そしてある時、何らかの体調不良で転がっている最中に意識を失ってしまったのです」


「もしそうなら発見された時、樽は横になっているはずだが」


「確かにそれが最も疑問な点ではあります。そこで私はこんな風に推理しました。樽の中に入っている佐井氏がおもりのような役割を果たし、転がった勢いもあってあたかも自力で起き上がったかのように樽が立ちあがりそのまま止まったのです。もちろん、中の佐井氏は意識を失ったままです」


「そんな……」


「不幸なことに佐井氏はそのまま亡くなってしまいましたが、亡くなる直前に何か思う所があって持っていた紙片を握りしめたのでしょう」


「ということは、あの紙片は下手人が佐井氏を殺害した時に破り取ったのではなく、初めから暗号が記された部分しかなかったと?」


「私はそう考えます。理由は……ざんねんながらわかりません。いささか粗雑ではありますが、私の推理は以上です」

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