第9話
ズズズズズ、とガタガタ揺れながらドアが開く。
途端に、空気が何やら変わるのを感じる。
「あれ、彩華じゃん。珍しい、こんなところに来るなんて」
「急に、読書に目覚めた?」
友達二人が手提げバッグをぶら下げてすれ違った。
「いや、違うくて……」
リアクションを返した時には、二人は薄暮の中へ溶け込んでいた。
――やっぱ、私がいるところじゃない。
初めて九十九町の小さな図書館に来て思ったのは、そういうことだった。
というのも、図書館や学校の図書室にいると、至る場所を埋めている本がだんだん迫ってきているような錯覚を覚えるのだ。
今回の目的は、本ではない。
「あの」
乾いた口から、カウンターの司書へ呼びかける。
「はい、どうしましたか?」
眼鏡をかけたおばさんはピクリとも笑わずに対応してくる。横に太い体形が、何だかこちらに威圧感を与えている。
「鎮御山神社や、ドッカラ沼についての資料を集めているのですが、ありませんか? 本でも雑誌でも新聞でも……」
「……」
目つきを細くして、おばさんはカウンターから出ていく。慌てて私はその人を追う。
「ここで、待っていて」
新聞・雑誌の購読コーナーで私を座らせると、一人そそくさと飛び出していった。
十分くらいで、机の上に資料が集まった。研究室の偉い学者の机はこのようになっているのだろうか、と考えると顔が青くなる。
「……こんなものかね。それじゃ、頑張って」
それだけ言うと、おばさんは、またそそくさとカウンターへ戻っていった。
「って言っても、これはヤバいよなぁ」
図書館が閉まるまで残り一時間半ほど。その間に三十以上もある資料にくまなく目を通すのは、とてもではないが無理だ。そんな修行のようなことが出来る集中力を私は持ち合わせてはいない。
ひとまず私は、ドッカラ沼に関するものをまずは抜き出すことにした。その中でも、江戸時代の歴史などを話しているものではない、ここ二十年以内のもの。
私は、父と沼・神社が関係あると見込んでいた。そう思えるだけの判断材料があった。
――父の死因。
その数日前までラジオで生放送を続けていた父が、なぜ。
それだけで、まずは資料を十くらいに絞り込むことが出来た。
「『四行・九十九の出生率大減少』……『市民の不安、沼で祈りも』」
十六年前の、昨夜見たネット記事と同じ地方紙の記事だった。
『権平嶽周辺の四行市、九十九町では、昨年からの飢饉の影響で出生率が大きく減少した。また、出産することが出来てもすぐに死んでしまったり、栄養失調症になってしまう症例が多くなっている。同時に、高齢者の死亡率も増加しており、七十代から九十代に掛けて顕著だ。
原因不明の飢饉の収束は未だ見ることが出来ず、長年使われてこなかった鎮御山神社(九十九町灰沼)では、飢饉の原因を、江戸時代の噴火により形成された“ドッカラ沼”と呼ばれる沼に沈んだ何人もの死者に求める人々が沼で祈りを行うという。市民・町民の精神の安定、そして飢饉の収束のためにも専門家による原因究明も急がれる』
原因不明と言うのが引っかかる。その翌年は、兄の生まれた年なのだ。
――心当たりがある。
私たちの一つ上、二つ上の年の人たちは極端に人数が少なく、また痩せこけている人が多い印象を受ける。それは栄養失調から来るものだったのか。
――なら、なぜ授業などで教わらないのだろう。
今度は一年後の十二月の新聞だった。
「『未だ終わりの見えない飢饉、沼で行われる“祈り”の衝撃の全容』」
サブの見出しには、「新興宗教か」と書かれている。
『二年前からの前代未聞の権平嶽周辺の大飢饉は未だ終わりが見えないどころか、さらに悪化している。未だに原因も不明なままで、市民らが不安に駆り立てられている中、昨年から九十九町のいくらかの人々は「ドッカラ沼に沈んだ人の祟りだ」として、鎮御山神社(灰沼)付近の山中にある“ドッカラ沼”で祈りを行っている。民衆の隠せない恐怖から出る行動だが、山中に月日も知らせられず、数人の人々だけで行われる“祈り”がどのようなものなのか、周辺住民も知らないという人が多いという。今回、本紙が“祈り”について調査した結果、驚くべき事実が明らかになったのでお伝えする』
写真がいくらか掲載されている。沼の写真や、捨てられたいくつかの紙、鈴のようなもの、松明、意味不明の象形文字が書かれた教本のようなもの……。
――この文字って。
額にじんわり、汗がにじんだ。
『この“祈り”と称した集会の中心となっているのは、四行市に住む五十代女性だということだ。
女性は以前は九十九町に住んでいたが、夫の早世後、息子に家を譲り、自身は四行市へ向かったそうなのだが、それから数年は住居を構えずにいたという。記者が取材を行ったところ、権平嶽の頂上付近にある小屋で過ごしていたということなのだ。普通、権平嶽は登山を楽しむことが出来ない。今でも火口付近は高音などでかなり危険の高いことが分かっているためだ。にも拘らず、小屋があるのだという。
ドローンを飛ばして空中から撮影してみると、小屋と言うよりは小さなモスクのような建物があることを確認することが出来た。四行市役所に問い合わせてみると、ここは新興の宗教団体の施設なのだという。
女性は、ドッカラ沼の泥の上に、神社で使うようなしだれた紙の残骸や複数の鈴、焼け焦げた木、そして、解読不能の象形文字が刻まれた書物を残している。
神社へ入っていく、ボロボロの薄い着物をいくらか重ね、下から鋭い突起物が出ている下駄を履いた中年女性を見たという証言もあり、集会がどのようなものなのか、一層興味深くなる。今後の動きに注目だ』
――カルト宗教?
脳内で電撃のように予感が突っ走る。
――まさか、兄はそれにのめり込んでしまったのではないか。
気を紛らわすように次の新聞をめくる。これのまた一年後のもので、全国的な週刊誌だった。
ごくり。
私が生まれた年の十二月最後の週に発刊されている。
その一カ月前、十一月四日は父の命日でもある。
『〷県での大飢饉に便乗し、新興宗教が奪った実子の命』
二ページを大胆に使ったドッカラ沼の写真から、記事は始まる。
『三年前から始まった、〷県の真ん中あたりにある権平嶽周辺の四行市、九十九町での原因不明の大飢饉。一カ月前、一気に畑に野菜が芽吹き、事態は突然収束した。三年に及んだ大飢饉で多くの命が失われ、人々は大きな混乱と恐怖を感じた。その“原因不明”から来た悲劇が、ある新興宗教による“祈り”の集会だ。今回、地元のある新聞とタッグを組み、一カ月前、事態が収束する原因となったのかも、しれないある極秘の儀式に迫った』
突然の収束。
背後から冷水をぶっかけられたような衝撃を覚えた。
――現実の沙汰じゃない。
そこから、ドッカラ沼や三年間の飢饉についての説明、そして、先程の記事の内容が書かれており、その次、十一月四日に、一体何があったのか。
――ついに、分かるのか。
机の下で握る拳の中が、汗で蒸されてきた。
『今年の十一月四日のことだ。度重なる“祈り”の集会で、一向に効果を得ることが出来なかった、女性Aを中心とする一団は、ついに“あるもの”を、沼の中の死者に捧げることにしたのである。各地区からくじ引きで選ばれた代表が集まり、さらに運命のくじ引きをした。
死へのくじを引いたのは、某ラジオ局の人気DJの座を築いていた男性Oさん、三十三歳だった。
Oさんはその日のうちに、神社の巨大な松の木に縛り付けられ、火にあぶられた。その上で喉を切り裂かれて絶命。火を囲んで、女性Aとその信者たちが呪文を唱えていたのだという。Oさんの遺体を、その宗教の方法で供養した後、彼らはドッカラ沼に遺体を沈めた。Oさんの最後の願いは、自分のヘッドフォンとマイクを一緒に持たせてほしい、と言うことだった。
話はここで終わらない。後に、我々の取材で女性AはOさんの実母だったことが判明したのだ。女性AはOさんとは仲の悪く、女性Aの夫が亡くなった時点で家をOさんに明け渡し、出ていったのだという。
仲が悪くとも実の息子を火あぶりにし、喉を切り裂いて殺した挙句、白骨死体が折り重なる呪いの沼に沈めた女性Aの心境はいかがなものだったのだろうか』
ガタン!
私は思わず机を叩いて立ち上がっていた。
バサバサバサ、と資料が雪崩となって机から落ちていく。
そんなことには目も暮れず、週刊誌を放り投げて、私は無我夢中で駆けだした。
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