10 アキ
締め切ったカーテンの隙間から青白い光が差し込んでいる。ドアを乱暴に叩く音が聞こえる。
アキはクローゼットの中で身体を丸め、息を殺していた。両手で耳を塞いでも、恐ろしい声が頭に流れ込んできた。
「子供管理局のハヤシだ。再三の警告の通り、君は11か月も子供期間を延滞し続けている。義務違反として今ここで連行する。ドアを開けなさい」
アキはクローゼットの中で首を振る。クローゼットに対して大きくなりすぎたその身体は、扉や板にぶつかった。
「無理だよ」
爆音がして、ドアが破壊されたのがわかる。アキはますます身を縮め、膝をきつく抱えて胎児のように丸くなる。クローゼットの前に大人が立つのが分かる。
「いつまでそうしているつもりだ。お前はもう子供ではないんだ。自分の部屋に引きこもって好きなことだけをして生きていける時間はすべて使いつくした。これから生きていきたいのなら、そこから出てきて大人になりなさい」
「私は、……私は創作をしているから。だからまだここにいてもいいでしょ」
「創作者を名乗るのなら良い作品を創りなさい。お前は何も生み出していないじゃないか。駄作しか生み出せないのなら創作者を名乗るな。インプレッションがすべてを証明しているではないか」
「芸術は他人から認められなければしちゃいけないの?違うでしょ」
「したっていい。でもそれは、子供の間だけだ。子供の時間が終わったのなら、駄作はもう何の価値もない。お前はたっぷりあった子供の時間を、技術を伸ばすことや良いものをつくるための勉強に使うことなく、ただ自己満足のために作品を創って来た。別にそのことについては何も言うまい。自分のために作品を創って楽しむ子供は大いに結構だが、駄作しか創れない大人を存在させておけるほどこの世界はお人よしではない。今この世界で創作者として生きている者はみな、子供時代を創作者として生きていくための勉強に捧げた。または、単にセンスがあった。時が経っても感受性が尽きない才能があった。お前には努力も才能もなかった。お前の創る物は芸術ではない。駄作だ」
ハヤシの声が頭の中でワンワン響く。
「私だって他人に評価をもらったことくらいある。読んでくれた人から面白かったと感想をもらった。大勢に知られることの方が、誰か一人の胸に刺さることより大切なの?」
「大勢に知られるということは、より多くの人の胸を刺すものだということだ。負け惜しみはやめなさい。お前がインプレッションが付くたびに一喜一憂していたことは調査済みだ。お前は芸術家を気取っているようだがそれは間違いだ。お前は他人に認められたいがその力が無く、しかたなく自分を納得させるように思い込んでいるだけだ。届かない葡萄を酸っぱいと決めつける哀れなキツネのようじゃないか」
クローゼットの扉が開けられる。ハヤシはアキの顔に懐中電灯の光を向けた。髪は伸び放題でボサボサ、上下のスウェットは数日間着替えていないようだった。
「目が眩みそう」
アキは両膝の間に顔をうずめた。
「私といっしょに外に出なさい。大人になり、他人のために何かを生み出せる存在になるんだ」
「私は何でも生み出せるんだよ。紙の上なら何でも私の思い通りになるんだ」
「紙の上ではな。では今は?外ではどうだ?とんだ役立たずだ!大人として生きるなら、外で役に立たなきゃ意味がないんだよ」
「外で生きるのは怖いよ」
「じゃあ死ぬのか?」
「死ぬのも嫌だ」
ハヤシは話にならない、とばかりに鼻息を一つ吐いてアキの腕を掴んだ。その腕は驚くほど細く、ハヤシが軽く引っ張っただけでアキは立ち上がらせられた。
「やめろ!」
突然背後から声がしてハヤシは素早く振り返った。窓が勢いよく割れて破片が飛んでくる。窓を割って飛び込んできた二人の人物は、ハヤシにとびかかり、組み伏せた。ハヤシは舌打ちをする。ここのところ、延滞者の連行をしようとするとことごとく邪魔が入る。ハヤシは腰に挿してある銃身の長い銃を抜こうとするが、バールのような物、いや、確実にバールで腕の関節を砕かれ、叶わない。
「アキ、書くんだ!駄作だっていい。自分のために物語を書け!」
アキは突然の侵入者に目を丸くした。
「あなたの作品が好きでした。できればそのままのあなたで続きを書いて欲しかったのですが、やはりここに来て正解だったようです。あなたのような創作者がこの世界からいなくなるのはもったいない」
「アキはもう子供ではないんだ。感受性が消え去った大人に作品を創り続けることなどできない。役に立たない無価値な大人は死ぬべきだ!」
ハヤシは叫び、自分の身体に馬乗りになっている侵入者を押しのける。
「アキ!書くんだ!」
ナニエルとミカがアキに手を伸ばす。アキは二人の手をじっと見る。そして、二人の手を取った。その瞬間、まばゆい光が部屋に満ちた。
ナニエルとミカは消えた。アキの手は、別の手を握っていた。
「もしかして、……ケロ?」
アキは掠れた声でつぶやく。
それは、ぬいぐるみのカエルだった。後ろ足で二足歩行する、薄黄緑色のカエルのぬいぐるみ。アキの幼い頃にいっしょに遊んでいたぬいぐるみだった。
ケロはアキに微笑んだ。
「アキ、君はなんでも生み出せる。本当だよ。昔は僕と夜になるまで遊んでくれたじゃない。忘れちゃったの?あの頃のアキは、アキのために僕との物語を創ってくれたじゃん。思い出してよ。いつの間に、誰かのためとか、役に立つとか、価値のことばかりになったのさ」
アキの頬を温かいものが伝った。
「そうだった。私は、私のためだけに物語を創っていたかったんだ。それだけできればあとはどうだってよかったのに。どうして時間は私を放っておいてくれないんだろう。そうだ、この世界がおかしいんだよ。ねえケロ、そうだよね」
誰かに評価されるためにひたすら書いて、興味を持たれないから寂しくなって、話し相手が欲しくなって迷走する。本当はわかっていた。そんなのは現実逃避だ。私はあの頃のようにただ自分のためだけの物語を創っていればよかったのだ。
アキはペンダントを取り出す。ケロが手のひらで包むようにそれを触ると、黒かったペンダントに輝きが戻った。
それを見たハヤシは素早く床を転がるようにして壁の陰に隠れた。
まばゆい光が再び部屋に満ちた。
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