7 月へ
ホシはナニエルを自宅のガレージに連れて行った。大人はどこに住むのも特に制限はなかったが、自然と大人同士で集まってコロニーのように地域を形成してそこに住んでいた。子供は一人一室アパートの部屋を与えられ、同年代の子供たちをいっしょにこの世界で生活していくが、大人は子供の部屋よりも少し大きい住処を持っているようだった。アパートではなく、テラスハウスと呼ばれる、二階建ての家が連なって連結され、一つのマンションになっているタイプの住宅がたくさんある。ナニエルは大人の居住区域に来る用事など今までになかったので、周りのものがなにもかも珍しく見えた。
「ここ数年は近所の仕事ばかりだったから全然このガレージを開けることが無かったんだ。維持費もかかるし、中身ごと売ってしまってもよかったんだけれど、今思うと売らなくてよかったと思うよね」
ホシはガレージのシャッターを開けた。奥に細長いスペースにたくさんの荷物が詰め込まれており、少し埃臭い。一番手前の良く見える位置に、銀色のシートをかぶせられたものが置いてあった。
「ロケットってこれのことですか?なんていうか、ずいぶんイメージと違うんですが」
ホシとナニエルは協力して銀色のシートを外した。そこには、色あせた水色の少々古いデザインの軽自動車があった。
「これがロケットだよ。月で仕事があるときはこれで出勤する。大人はこういうアイテムを持ってるものなんだよ」
ホシとナニエルは車に乗り込んだ。少し大きなエンジン音を鳴らしながら車はベニの元自宅へと向かった。月は丸く輝いていた。
ナニエルはダッシュボードの中に月までのガイドブックというものが入っていたので取り出してぱらぱらめくった。子供には決して知り得ない情報がそこには載っていた。自分の部屋の一歩外には未知の世界が広がっていることをナニエルは意識した。
ベニの部屋の前には黄色い規制テープが張られていた。それらを必要な分だけ取り払って部屋の中に入る。家具や布団などは没収されたのか、それとも最初から無かったのか、きれいに片付けられていて、あまり物のない部屋だった。ホシは迷わずベッドの骨組みを退かして、その下の床をコンコンと叩き始めた。やがて、空洞のありそうな音を聞くと、その床板の隙間に指を入れて取り外した。その下には二泊ぶんのスーツケースくらいの空洞が作られており、瓶が何本か入っていた。ホシは瓶を一つ取り出した。中にはどろりとした透明な液体が入っていた。光の加減でオーロラのように虹色に輝くように見えた。
「珍しい燃料ですね。この世界は大体のものが電気で動くのに、この時代にまだ液体の状態の燃料があるなんて」
「一人の子供が電力をたくさん消費したりしたら目立つし、爆弾を作るのにちょうどいいエネルギーだったんだと思うな。この燃料はすごく効率がいいし。ロケットを月まで送り届けることができるくらいね。噂ではペンダントの素材と同じものでできているとかいないとか」
ホシはそこにあるだけすべての瓶を抱えると、部屋を出て行く。
「あの車はその燃料で動くんですか?」
「動くよ。古い型だからね」
ホシは燃料タンクを開けてそこに透明な燃料を瓶3本分流し込んだ。そして今度はボンネットを開けていくつか機械をいじった。
「いつもは電気で動く特別なハイウェーの力を借りて月まで行っていたけど、今回はハイウェーの力を借りずに自力で飛んでいかないといけないから、いつもよりたくさんの燃料がどうしても必要というわけ。君は知らないかもしれないけど、一昔前はこの燃料が主流だったんだよ」
ナニエルは車体にヒビを見つけてぞっとする。
ナニエルが読んでいた月へのガイドブックの情報によると、ハイウェーとは、この世界の上空にあるパイプのようなもので、そこを自家用ロケットで飛んで月へ向かうことができる。子供は大人にならなければ一度もそのハイウェーを使う機会は無いため、ナニエルは今まで空の模様の一部のように思っていた。ハイウェーは重力の問題を軽減し、効率的な月までの航路を保証してくれるため、安全な宇宙旅行ができる空の道であった。万が一事故があってもハイウェー内ならば速やかに救助が来てくれる。ハイウェーを使わずに行くということは、それらの恩恵をまったく受けられず、完全に自力で航空しなければならないことを意味していた。
宇宙という未知の場所へ自分を乗せていく乗り物の頼りなさがどうしても気にかかった。
「空気ボンベと専用ヘルメットはあるんですよね。航空交通法にありましたよ」
「大丈夫だよ。ヘルメットなんてつけなくても誰にもばれないよ。ばれたらそれ以前に延滞者として君は捕まるし」
「僕は死にたくないんです」
ホシはうるさそうに手を振った。
「いいから助手席に座って待ってなよ。夜が明ける前に出発しないと月を見失うから。それに、案外君は、君が思うより簡単には死なないものだよ」
ナニエルは言い返そうと口を開きかけるが、無駄なことのように思えて口を閉じた。ホシは今、ナニエルの命を唯一助ける可能性のある人間だったが、ナニエルとは思考回路や生き方がまるで違う存在であった。ホシに助けを期待するのならばそのやり方に従う他なかった。
ナニエルは黙って助手席に乗り込んだ。ダッシュボードの上に置かれたすっかり音の出なくなったラジオは、ただの置物のように背景に溶け込まんとしているようで、注意して景色の中を探さなければ、意味のある一つの道具として見つけることが難しいように感じた。
しばらくしてホシがボンネットを閉めて運転席に乗り込んできた。二人は特に何も言わず、車はガレージから発進した。
深夜の道路に車通りは少ない。ただ等間隔に立った街灯の光が窓ガラスを通り抜けて、同じ間隔で車内を照らしたり影を作ったりした。ナニエルは頬杖をついてその繰り返す光と影を眺め、タイヤとコンクリートの立てるゴーッという音を聞いていたが、ホシは車のオーディオをいじってラジオをつけた。
『……こんばんは。午前二時半をお知らせします。丑三つ時の怪談コーナーを始めます。お相手はわたくし、東京ユーレイのアマドがお送りします。さっそく今日のお便りを読んでいきましょう』
アマドというのは、実際に存在するラジオコメンテーターの人間のペンネームや芸名ではなく、東京ユーレイという小説に出てくるキャラクターの名前である。そのキャラクターがラジオをやっているという体で放送が行われており、東京ユーレイはアニメ化しているために、そのアニメでキャラクターを演じた声優が声を当てている。アマドというキャラが言いそうなことが台本につづられる。この世界では、多くの人に自分のキャラクターを認知されると、そのキャラクターがメディアを浸食し、世界を動かすこととなる。それはつまり、キャラクターの創作者が意図的に自分の考え方を託したキャラクターを産めば、世界を自分の考え方で染め上げることができる可能性があるということを意味している。自分の思想を自分の作品の人気によって説くという事実があってなお、エンターテイメントによって、退屈さえまぎれればこの世界の人はなんでもいいのであった。
「東京ユーレイって、作者誰だっけ?」
少し首をひねるようにしてホシがつぶやいた。
「エビネです」
「ああ、エビネ。私の同僚が担当した創作者だ。ヒットする作品を創ったのに、すぐに創作者をやめてしまったと聞いたな」
「そうです。エビネは僕の知り合いですが、東京ユーレイを完成させた後、一切創作をしていません」
「そういう子も多いね」
「あのまま創作をやめていなければ創作者として期限がきた後も子供として生きていられたのに」
「私の経験から言わせてもらうと、飽きちゃったんだと思うよ」
ナニエルは少しだけ目を動かしてホシの方を見た。ホシはまっすぐ前方の道路を見ていた。
「何か一つ作品を作り出すためには部屋で一人自分に向き合う時間が必要だ。彼はたぶん外に出たんだと思うな。外で何か、心躍る物に出会った。一人で部屋にいるより、外で誰かと遊んだり、何か派手なものを食べたり、身体を動かしたり、異性とデートしたりね。彼は創作者を辞めたから、多分期限が来たら死ぬことになる。彼は外の世界を知って、別に死んでもいいか、と思ってしまったんだよ」
「創作より外の世界で遊ぶのが楽しいから、楽しくない創作をして生きながらえるより、楽しいことをしてぱっと死んでしまいたいということですか」
「好きなことをやってられるのは子供のうちだけだからね。創作が好きなことじゃなくなった時点でしょうがないよ」
「さっき、外の世界って言いましたけど、アキに会ったらどうするつもりですか?」
「どうするってどういうこと?ベニが言っていたように外に連れ出すってこと?」
「はい。ベニはアキが部屋の中でネタ切れを起こしたから続きが書けなくなったんだと言いました」
ホシは少し笑った。
「アキはただ、ラジオを辞めただけだと思うよ。それか、そのオンボロのラジオにとうとう寿命が来たか。クライマックスに向けて、今もきっと小説を書いてる」
「それも経験則からですか?」
「いや、ただの予想だけど。彼女を外に連れ出すことはしないよ。ベニは外に出ないからそう言っただけ。外に出たらエビネのように創作を辞めてしまうかもしれないでしょう。私はただ、アキを部屋の外に連れ出すことなく原動力を与えたいんだ。原動力とは、多くの場合、他者からの評価と承認だね。これは、一人でいるだけでは決して得ることができないものだから、私たちが行って与えてあげないといけない」
車はウィンカーを出して道を曲がる。広い道路に出る。等間隔に立っていた街灯はもう無く、代わりに野球のナイトスタジアムを照らすような強烈な照明が道路を照らし、道路わきには青い誘導灯が点灯している。ここが月へと空へ上昇していく滑走路である。ホシがアクセルに力を入れ、車はスピードを上げる。シートに押し付けられるような慣性力を感じる。
本当にネタ切れだったら?ナニエルの頭の中でその問がぐるぐるととぐろを巻き、頭の真ん中に居座るような気がした。本当にネタ切れだったなら、僕は彼女に、続きを書いてもらうために部屋の外に連れ出す必要があるのだろうか。胸の前にぶら下がるペンダントの石が冷たく揺れた。
車は空へ飛びあがった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます