6 ベニ

「これから部屋に入るけど、ちょっと人見知りの子だからあまり刺激しないようにしてほしいな」

 ドアノブに手をかけたホシは言った。ホシはナニエルを連れて街はずれの大きな建物にやってきた。ナニエルは、移動に関して今までは機械の自動運転による車での移動しかしてこなかったために、長い距離を歩かされて少し疲れていた。公共交通機関や自動運転車のネットワークには延滞者ナニエルの情報がすでに共有されていて、利用すればたちどころに捕まってしまっただろうが、街をただ歩く分にはシステムはナニエルを検知することはなかった。

「ここは一体どこですか?」

「問題児収容施設。ま、牢屋だね」

 ホシはドアを開けた。ナニエルはホシの後に続いて施設の中に入った。廊下がまっすぐ続いていて、右手側は壁、左手側には牢が並んでいる。牢と言っても、部屋には柔らかそうなベッドや、玩具、パソコンや本棚などが充実していて、壁がたまたま一面だけ無い子供部屋が並んでいるように見えた。収容されている子供たちは、ナニエルを見ると睨みつけたり、低くうなったりしたが、大半は少し反抗期を迎えてグレているだけの普通の子供に見えた。

 ホシがある牢の前で立ち止まった。その牢は、他の牢とは雰囲気が違った。コンクリート打ちっぱなしの寒々しい床に、無数の紙や本が散乱しており、固そうなベッドとプライバシーの欠片もない位置に存在する便器が薄暗い照明の下にあった。壁に固定された書き物机には一人の少女が座っていた。少女は他の子どもとは違って、白と黒のボーダーの囚人服を身に着け、両手両足が鎖で鉄球に繋がれていた。長い髪はどぎつい赤色に染められ、耳にたくさん開いたピアスが治安の悪さを演出するのに一役買っていた。

 少女は首だけをぐるりと回してホシを見とめる。目の周りは黒々としたクマが縁取り、まるで落ちくぼんでいるかのように深い影になっていたが、目だけはギラギラと光っていた。口の端を吊り上げるように笑うと、とがった八重歯がむき出しになったが、それは左右のうち片方のみで、もう片方は生え変わりのせいか、抜けていた。

「ホシ。久しぶりじゃん。何しに来たの?」

 子供特有の甲高さがあるが、ざらざらとした声で少女は聞いた。ホシは無意識のうちに及び腰になっていたナニエルの方へ向き直り、紹介した。

「彼女はベニ。大量無差別殺人の未遂で二年間ここにいる。君と同じ創作者だよ。で、ベニ、こっちはナニエル」

「何しに来たのって聞いてんじゃん!」

 ベニは叫ぶと、急に癇癪を起したように甲高く大きな声で喚きだした。非常ベルを鳴らしたかのように騒々しい喚き声が耳をつんざき、ナニエルは目を丸くする。

「大量無差別殺人未遂?彼女は何をしたんですか?」

「人がたくさん集まるところ、駅や住宅ビルに爆弾を仕掛け、派手に爆破しようとした」

「はあ?ど、どうして」

 ベニの叫び声が止んだ。

「どうしてか教えてあげようか」

 ベニは椅子からゆらりと立ち上がると、牢の鉄格子まで鉄球を引きずりながら歩いてきた。鉄球によって、床に散らばっていた紙がくしゃりと音を立てる。その紙はどうやら、原稿用紙のようだった。

「私はなァ、全部を壊してやらなくちゃならなかったんだよ」

 ベニは床に散らばる本を手で示した。

「私は本を読むのが好きだ。この世界には、ものすごい作品を書くやつがたくさんいる。達人のような人が作り出すすばらしい作品に触れられるから。私自身が大したことのない創作者だとしても、彼ら、もう、神みたいな創作者たちは、そんな私にも自分たちのすばらしい作品を見られることを惜しまない。何たる幸せか!読むだけなら努力もいらない。神たちの積んだ努力を、丁寧に編み上げた物語を、まるでスプーンいっぱいに乗せたキャビアを大口で食うみたいに、そのままつるっといただけるんだ」

 ベニはそこで、裸足の足をどんと床に踏み鳴らした。その音にナニエルは思わずびくりと反応してしまう。

「本を読むのは幸せだ。でも、私はそれだけじゃ満足できなかった。なぜなら私は創作者だから。創作者である以上、私はすばらしい作品を創りたい。私は書いた。物語を創った。でも足りない」

 ベニの顔が急に暗くなったように見えた。

「たくさん本を読むうちに、私の目ばかり肥えていった。足りないことはわかるのに、足りない部分を書くことができない。私はすばらしい作品を創りたいのに!創りたくて創りたくてしょうがないのに!だから私は、壊すことにした」

 ギラギラした目に見つめられてナニエルは、自分の目の前にいるものが、少女だとは思えなかった。まるで、得体のしれない肉食獣と対峙しているかのような緊張感だった。

「壊せばいいんだ!私が描けないのなら、私以外を壊せばいい!創造の前には必ず破壊が必要だ。今ある既存をすべて消し去って、そうしたら何か生み出せるかもしれないと思ったんだ。いいアイデアだ。私はすぐに爆弾を集めた。でも、大人がそれを邪魔した。ああ、あと少しで破壊できたのに」

 ベニは肩を落とした。

「ベニ、今日来たのは、ベニの爆弾の知識と知恵を貸してもらえないかということを相談しに来たんだ」

 ホシは言った。ベニは顔を上げた。

「爆弾?私がホシの相談に乗ったらここから出してくれるの?」

「ここから出たら何をするつもり?」

「できるだけたくさんの物を壊してみたい」

「うん、釈放はまだ先だね」

 ベニはホシを憎しみに満ちた目で睨みつけ、歯をギリギリと鳴らして威嚇した。

「でもまあ、協力してくれたらベニのここでの生活を少しは良くすることはできるよ。欲しい本や作品も無制限に取り寄せる」

「生活の方は構わないで。極限状態じゃなければブレイクスルーはできないと思うから。私は望んでこの環境に身を置いてるの。でも、作品を無制限に取り寄せてくれるっていうのは気になる。話を聞いてもいいよ」

 ホシは牢の前に座り込むと、事の始終を話した。ベニもその場で座り込んでホシの話を聞いていた。

「それでロケットを飛ばす必要があるってことね。まあ、そんなに難しいことじゃない。ホシは自家用ロケットの中古のやつを持ってるんでしょ?私の前にいたアパートの部屋に作りかけの爆弾があるからそれを燃料にすれば飛ぶと思うよ。床下のスペース、瓶3本もあれば飛ぶと思う」

 話を聞き終わると、つまらなそうな声色でベニは言った。そして、ずっと壁のそばに立っていたナニエルの方を見る。

「あんた、盗作したんだ。創作者の風上にも置けないね」

「僕は生きる手段として創作を利用しただけだ。君のような真剣に創作に向き合う人にとってみたら、僕の態度は創作を馬鹿にしているように取られてもしょうがないとは思うけど、でも、やるしかなかったんだ。僕は死にたくない。だから、生きるためになら月にだって行く」

 ベニは鼻をふんと鳴らした。

「私が思うに、そのラジオの向こうのアキって人は、ネタ切れを起こしたんだ。一つ物語をアウトプットするためには、その何倍ものインプットが必要だ。ものを創るには栄養がいる。食べ物をたくさん食べなくちゃならない。毎晩独り言をラジオの電波で話しているくらいだから、相当狭いところで生きて、相当その時間に退屈しているんだろう。もう新鮮な食べるものが無いんだ。あんたが月に行ってアキに会い、彼女に続きを書いてもらおうとするのなら、真っ先にやらなくちゃならないことは、彼女をその部屋から連れ出し、新たな世界を見せることだね」

「そうか……」

 ナニエルはアキの声を思い出す。彼女の放送とは、退屈が結露して一滴流れたものであり、たしかに自分は、そのしずくだけを聞いていたという可能性もあるのだ、とナニエルは思った。

「アドバイスはありがたいけれど、私は彼女の今の作風を気に入って、それを見つけたくて月にまで行くんだよ。だから、彼女を今の状態から大きく変えることはするつもりは無い。ただ、続きを書いて欲しいとお願いするだけだよ」

 ホシは言った。ベニは、あっそ、と吐き捨てて鉄球をひきずりながら書き物机へと戻っていった。

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