4 ハヤシ
真夜中。満月の光がカーテンの隙間から部屋に差し込んでいる。ドアを乱暴に叩く音が聞こえる。
「誰もいないよ!」
ナニエルはドアに向かって怒鳴ったが、ドアを叩く音は止まなかった。ナニエルは悪態をついた。
「くそ、もう清算の時が来たのか」
ナニエルはキッチンに向かい、電気を点けていないために暗い視界の中、手探りで戸棚の中の包丁の柄を握る。
「子供管理局のハヤシだ。再三の警告の通り、君は8か月も子供期間を延滞し続けている。義務違反として今ここで連行する。ドアを開けなさい」
「僕は物語を創ってる!逮捕されなくてもいいはずだ!」
「君はこの延滞期間のどの瞬間においてもたいして作品を生み出していないことは確認済みだ。ドアを開けなさい。これが最後の警告だ」
ナニエルはキッチンから居間に戻り、ドアに背中をつける。手の中の包丁がやけに冷たく、重い。心臓が激しく跳ね、今にも口から飛び出しそうに感じた。
「嫌だ!」
ナニエルが叫んだ瞬間、玄関のドアが爆風によって吹き飛ばされ、ナニエルのいる居間に吹き飛んできた。銃を構えた灰色のコートの男、ハヤシが部屋に踏み込んでくる。ハヤシが両手で油断なく構えているそれは、小さな部屋のサイズには見合わない、長い銃身のいかにも凶悪そうな獲物であった。
「うああああ!」
ナニエルは包丁を持ってハヤシに突進したが、銃身で殴られて倒れる。包丁はあっけなく部屋の隅まで弾き飛ばされた。銃口を突き付けられ、部屋の隅にじりじりと追いつめられたナニエルの背中には気持ちの悪い汗が流れた。
「ま、待て。僕は創作者だ。今までは死の恐怖のせいで投稿をしなかっただけで、本当は物語を創れる。本当だ!」
「今まで見てきたどの延滞者もそう言って命乞いをした」
「発表しなかっただけだ!パソコンの中には未発表の原稿がたくさん入ってる!それを確認してくれよ。僕としては出来はいまいちだけれど、こうなっちゃしょうがない。それを公開するよ。それでいいだろ?それで創作者と認めてくれるか?」
ハヤシは感情のない冷たい目でしばらくナニエルを見下ろしていたが、だしぬけに手を伸ばし、ナニエルの首元からペンダントをつかみ取った。そのペンダントは夜の闇より深い漆黒だった。カーテンの隙間からの月光が映り込んでいる。ハヤシはそれをナニエルの目の前に突き付ける。
「お前はもう時間切れだ。このような駄作を認めてしまうのならば、この世は大人になりそこなった、大きなだけでしょうもない子供であふれかえってしまう。だから私はお前をここで葬らなくてはならない」
「どうしても僕を殺すのか?」
「どうしても生きていたいのか?」
ハヤシは銃口をナニエルの眉間にぴたりと合わせた。
「死にたくないんだ」
「答えになっていない」
ハヤシは指先に力を籠める。生きたいという理由は、死にたくないからであり、それ以外の訳などなかった。それ以上の言葉で説明することは不可能だった。ナニエルは目を瞑った。
「まだ死んでない」
銃声が聞こえた瞬間、ナニエルの身体は床に転がっていた。はっとして目を開けると、目の前には灰皿がある。何者かに突き飛ばされたのだ。
「君とはカフェで会った」
ハヤシの忌々し気な声がして、ナニエルは急に部屋の中に現れた何者かの気配を感知すると同時に、腕を引っ張られてその人物に立ち上がらされた。
「ナニエル君、だよね。私はホシ。君をひとかどの創作者として見込んだ提供者だよ。さあ、逃げようか」
ナニエルの腕を掴んでいる女は言った。眼鏡の奥の目が自信ありげに細められている。
「やはり邪魔をするんだな」
ハヤシは銃を構えたままだが、ナニエルと銃口の間にはホシが立っているために引き金を引くことができなかった。ホシは自分の後ろにナニエルを隠してゆっくりと玄関へと向かった。
「あっ!待って!忘れ物をした」
ナニエルはホシの背中から飛び出して部屋の奥へ駆け込んだ。すぐに発砲される。間一髪で弾は外れたが、ナニエルの頬のいくつかの細胞は不気味な風圧を感じた。
「何やってんの!助けられるつもりあるの?」
ホシが叫ぶ。ハヤシは冷酷な目でナニエルに狙いを定めている。部屋の中なので当然至近距離の発砲となる。
「ああもう!」
ホシはハヤシの銃に飛びついて銃口を天井に向ける。ナニエルは自分のベッドまでたどり着くと、ベッドサイドに置いてあるラジオを掴む。ホシとハヤシはもみ合い、何発か天井に向かって発砲される。上の階に住む住人が騒音で訴えるかもしれない、とナニエルは危惧したが、これから自分はこのマンションを出て行くのだから何の問題もないことを思い出した。
「待て!」
「待てと言われて待った悪者を見たことがないよ」
ナニエルは窓を開けてベランダに駆け出し、柵を乗り越えると、躊躇することなく飛び降りた。
「ナニエル!」
ホシは叫んで窓辺に駆け寄るが、もうベランダにナニエルの姿はない。月光だけが降り注いでいる。
「……」
ハヤシは無表情で黙って銃を下ろした。部屋には静寂が戻った。ハヤシは、足元に散乱したガラスや灰皿の欠片を顔をしかめながらつま先で避け、玄関までの自分の道を作った。コートについた埃を払い、あくまで事務的に仕事を終えた。
「ま、ここ一階なんだけどね」
ホシはベランダの柵から外を覗き込んで言った。ハヤシはひどく顔をしかめた。
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