3 ホシ
カフェテリアの窓際の席に女が一人座っていた。
「ねぇおじさん。お勤めご苦労さま」
女は隣のテーブルに腰掛けた男に声をかけた。男は灰色のきっちりとしたスーツに身を包み、やや白髪の混じった髪はワックスで丁寧に撫で付けられていた。男は帽子とコートを二人掛けの席の反対側の座席に置いた。
「おじさんとは失礼だな。大人に対する口の利き方にもう少し気をつけなさい。君も大人ならな」
女はひょいと肩をすくめてグラスのオレンジジュースを一口飲んだ。しばらくそこにいたのか、グラスの置いてあった場所は結露で濡れていた。女は口を大きく開けて最後の一口を氷といっしょに口に流し込んだ。女の机にはスマホを眼鏡が置いてあった。
「大人はグラスに残った氷を食べたりしないよ」
男は女の氷で膨らんだ頬をちらりと見たが、黙って席に着き、自分のホットコーヒーをすすった。
「あ、すいません。これもう一杯」
女はカウンターまで歩いて行って定員に声をかけた。バイトの青年は「はいっ!」と元気よく言った。女は自分の席に戻って来ると、青年がジュースを作る姿を口元に笑みを浮かべながら眺めた。
「君、ペンダントを見せてくれないか」
男は言った。
「もしかして私を延滞者だと思ってるの?ま、いいけどね」
女は胸元からペンダントを取り出して男に見せた。そのペンダントの石は真っ黒な色をして、表面には万年筆のようなマークと番号が彫られていた。
「はい、これで満足?」
「提供者、か」
男は言った。提供者とは、この世界において子供のした創作活動を世界に広めるための手伝いをする大人のことだった。女はペンダントの提示を求められたことが、若く見えないことの証明だとぶつぶつ呟いては嘆いた。
男もお返しに、とばかりに胸元からペンダントを出して女に見せた。もちろんその色は真っ黒で、二本の棒がクロスするようなマークと番号が彫られている。
「おじさんの恰好を見て子供管理局員だとわからないほど馬鹿じゃないよ。管理局員はみんな全身灰色で疲れたような顔をしているんだもの」
女は机の上に置いてあった眼鏡をかけて男の顔を改めて見た。男の背筋は姿勢よく伸び、しゃんとして良い体つきであることはスーツの上からでもうかがえたが、顔には深いしわが刻まれていた。そのちぐはぐな見た目から年齢を推しはかろうとすると脳みそがバグを起こすということも、口にこそ出さなかったが、女は管理局員に共通する特徴として見ていた。
「これからお仕事?誰をしょっぴくところなのか教えてもらえたりする?」
「機密事項だ。延滞者をただ迎えに行くだけだ」
「延滞者だとしても、創作者である可能性もあるでしょ。私は、子供の期限をうっかり超えてしまったけれど、いい作品を創る創作者をひとりでもこの世から取りこぼさないようにするのが仕事なの」
「前々から気になっていたんだが、君たち提供者はもしかして、私のような仕事前の管理局員を待ち伏せして捕まえ、延滞者を救おうとしているのか?」
オレンジジュースが届く。女はバイトの少年に笑顔で会釈する。
「無駄なことだ。君たち提供者はもともと、よい作品を創ってもそれを世間にうまく公表することができない、または公表などの手続きをめんどくさがってやりたがらない子供を支援するためにできた仕事だ。いったいいつから君たちの仕事は、大人になったくせに死ぬことも働くこともしない延滞者、いや、義務放棄者の支援をするようになったのか。義務放棄者がどうして義務を放棄をするのか根本的な理由を考えてみたことがあるのか?彼らはただ怠慢なだけだ。怠慢な彼らが死にたくないという理由だけで下手な創作を脅迫的に始めたところでいい作品など生まれない。そもそも、そんな怠慢な精神を持った輩にいいものは創れない」
女は指を振った。
「因果が逆かもしれないよ。今まで創作を普通にしてきたけれど、世間に公表が上手くいかなかったおかげで認められていないと感じて、死期が迫る焦りのせいでうまく創作ができないのかもしれない。おじさんたち管理局員が死をせっついてくるせいでいい作品が生まれないだけかも。私たちはそういう子供と大人の中間でさまよう人に対して重点的に支援をしたほうがいいと気付いたんだよ。私たちの支援のおかげでいい作品をまた作れるようになるかも」
「いい作品が創れる技量があるのなら今までたっぷり時間があったと思うがな。我々と君たちの考え方はどうも合わない」
「咲くために長い時間を要す花もあるんだよ。でも、私たちはそりが合わないけれど、おじさんたちの仕事が間違っているとは思っていないよ。機械が管理するこの世界にあまりに人口が増えすぎてもやっていけない。それに、この世界で延滞者のままで生きていくのはあまりに厳しいから、延滞者たちはよく精神を病んで狂ってしまう。それらを処理するのは、延滞者を無理やり処理するのの何倍も面倒で大変ということは理解しているつもり」
「私はしなくていいなら極力殺人という仕事はしたくない。君が我々の仕事の責任と重大さを理解してくれているのならば、少しは我々の苦労を減らそうという思考回路になってもらえないかと少し思うのだが」
「いい作品を世界に一つでも広めたいって気持ちも理解してくれたら嬉しいな」
男は話しは終わり、とばかりにコーヒーをぐいと飲み干して立ち上がった。
「私がおじさんの捕まえようとしている人を横取りしたら怒る?」
「怒る、怒らないの問題じゃない。ただ私たち大人は課せられた仕事を粛々とこなすだけ。君も大人なら自分の責務を全うしなさい」
「応援してくれるんだ」
男は女を鋭い目で見下ろす。
「勘違いするな。君たち提供者が我々管理局員と対立するような立場を進んで取るのなら、こちらもしかるべき対処をさせてもらうということだ」
女は男に笑顔でヒラヒラと手を振った。
「さて、あのおじさんが向かったのはここから少し東、と」
女はスマホのマップアプリを開いた。赤いビーコンが移動している。女は席から立ち上がった際に男のコートに位置情報発信装置をこっそりと取り付けていたのだった。
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