ドライブガール×カットウーマン

黒砂糖

序章

「センパイ、まってくださーい」


 部活を終えて帰宅しようとした私に、ショートヘアの小柄な女の子が小走りに駆け寄ってきた。

 綺羅百合女学院という卓球の名門校でブラック企業も真っ青な超ブラック部活、日付を跨ぐことも珍しくない超ハードな練習漬けの毎日で終了時には部員ほぼ全員が疲労困憊死屍累々の有り様だというのに、この子は新入生にも関わらずケロっとした顔でささっとシャワーを浴び制服に着替えて「センパイ、はやくはやくぅ❤」と疲労の欠片も感じさせない元気な声で一緒の帰り道を所望する。

 黒潮つばめ。

 綺羅百合卓球部期待の超新星。

 中学時代卓球大会の各タイトル総ナメにした怪物。

 小学生に見間違えるくらいちみっちゃい体躯とほんわか可愛い顔立ちを見るととてもそうは思えないのだが、文字通り「人を見かけで判断してはいけない」。

 今日もワンコ系の愛らしい笑顔でありながら卓球特有のフットワークを駆使した走り方で駆け寄ってくる様は、どこか小型の肉食獣が笑顔で獲物を油断させて無防備にいるところをがぶりと襲いかかる様を想起させる。ゆえに警戒モードで対応せざるを得ない。


「……なにか用?」

「ひっどーい!?」

「用がないならこれで」

「あるあるあります!」


 私の塩対応にもすかさず反応できるようになった辺り、ひと月前よりは確実に成長したようだ。全然喜ばしいことではないけど。


「部活前に約束したじゃないですか、今日の練習試合でわたしが勝ったらつきあってくれるって」

「……勝ってないじゃん」

「あ、あれはセンパイが千日手ににげたから分けただけですぅ!実質勝ちにも等しい分けだから勝ちなんですぅ~~~!!」


 なんじゃそりゃ。

 駄々っ子みたいな屁理屈になんと言い返そうか私が脳内クリックしたその時。


「なになに、痴話喧嘩ぁ~?」


 出たな。

 赤澤しずく。

 卓球部部長の地位にありながら練習メニューの作成や他校との試合戦績よりも部員同士でのおしゃべりにうつつを抜かすという大阪おばちゃん枠確定の淑女。こんなんでも卓球の実力はもちろん、顔と頭の良さも学年トップクラスというから世の中不公平だ。


「聞いてください部長。真白先輩ってばわたしが勝ったら『つきあう』っていったのに」

「『付き合う』?買い物にでも『付き合う』の?」

「ちがいますぅ。‘LOVE’の意味で『つきあう』ですよ?」

「OH……」


 しばし絶句。

 これは「あなたたちにはまだ早すぎます!」とおばちゃんらしく嗜めるフラグか?


「……面白そうね!」


 前言撤回。

 こいつに良心を一瞬でも期待した私が馬鹿だった。


「やったあ!これでわたしとセンパイは晴れて公認の……!」

「いやいやいや。さすがにあの結果は『勝ち』じゃないでしょう?」

「うぐっ」


 「うぐっ」じゃねーよ。

 さっきのあの試合は他の部員たちも固唾を飲んで見守っていたから全部員が証人であるともいえる。

 スーパールーキーの超攻撃型ドライブガールVS新米副部長の鉄壁カットウーマン。

自分で言うのもなんだけど、校内での練習試合とはいえ中盤までは十分お金の取れる名試合だったと思う。とはいえ、結果としてはつばめの強力ドライブを泥臭くカットカットで凌ぐ文字通り泥仕合と化してしまいにはこちらも意地になって日付が変わるまで粘ってしまったんだけど。


「ていうかなんで狙い打ちスマッシュとかカウンタードライブとか織り交ぜなかったのよ?その方がリスク孕んでも勝率は上がるでしょうに」


 しずくの至極真っ当な試合分析につばめも追随する。


「そうですよセンパイ。『初日』の練習試合みたいに三球目攻撃とかでもっと積極的にしかけるかと思ったんですけど~?」

「あれは特別」

「「特別?」」


 顔を見合わせるルーキーと部長にこれ以上この場にいることの気まずさを感じた私は、つばめのちっちゃな手を取る。とても体育会系とは思えない、白無垢みたいな可愛らしい手。


「センパイ?」

「……勝ちじゃないけど分けだから、帰りだけなら『付き合って』もいい」

「はいっ!」


 元気な声で心底うれしそうに手を握り返してくる。

 おめめきらきら、しっぽぶんぶん振っていそう。


「それでは部長、みなさん、おさきにしつれいします!」

「……お先」

「おしあわせにぃ~」

「「「おしあわせにぃ~~」」」


 いつから見ていたのかバテバテだったはずの部員たちが皆揃ってみぞれの後ろで祝福の拍手を送っていた。まるで新郎新婦の新婚旅行を見送る友人一同みたいに。なかには調子に乗ってお手製のリボンシャワーを振りまいているヤツまで。

 お前ら全員、明日特別メニューな。





 上履きを指定靴に履き替えて外に出ると真夜中の満月が煌々と私を照らす。

 月が綺麗ですね。

 不意にそんな台詞が脳裏を掠める。


「センパイ、お待たせしました!」


 南側にある一年生の昇降口からぱたぱたとワンコが駆け寄ってくる。

 飼い主に甘えてくる子犬みたいに。


「じゃ、帰ろうか」

「はい!いっぱいいっぱいおはなししましょうね❤」

「え」

「ひどっ!?」

「つばめの家までたった20分じゃん……」

「20分もあったらいっぱいおはなしできますよ!」


 早く家帰って寝たい。おしゃべりとかであまり余計なエネルギー消費したくないんだけど。でも、期待に目を輝かしているワンコを失望させるのも罪悪感で夢見が悪くなりそうだし。


「……何話す?」

「はい!わたしたちのなれそめとかどうでしょうか!?」

「馴れ初め?」

「はい!!」


 力いっぱいうなずくワンコ。

 いまこいつのピンク脳には結婚披露宴の馴れ初めスピーチとかがものすごい勢いで脳内再生されていそう。

 ま、どうでもいいけど。




 こいつと初めて出会ったのはそう、新入生を迎えた初部活の日だからもう一か月前になる――――。


 





「曙光中学出身、黒潮つばめです!目標は綺羅百合全国制覇!日本一です!」


 体育館中に響き渡った宣言に卓球部全部員の視線が注がれた。

 「たまたま」その場に居合わせた私たちも例外ではない。


「すごいね、あの子。あの台詞を臆面もなく言い切っちゃうなんて……」

「去年の最優秀選手だからね。ハッタリじゃない」

「つばさちゃん卓球詳しいんだ?」

「……たまたまネットで見ただけ。それとつばさちゃん言うなし」


 ぷい、と顔をそむける私の反応にふふ、と悪戯っぽく微笑みかける少女。

 黄泉路まよい。

 三年とも同じクラスで三年とも同じ帰宅部の友達。

 だからだろうか、不運にも三年生にして初めて一緒のクラスになってしまった邪神、もとい、卓球部部長の赤澤しずくに目をつけられてしまい一日だけ手伝うはめに。


「私と一緒に卓球で青春の汗を流しましょ?」

「この白球に若人の魂を賭けようではないか!?」

「お・ね・が・い❤」

「せめて初日だけでも!ラケット振らなくてもいいから見学だけでも!」

「人手が足りないのおおおおおお!!!」


と硬軟使い分けた必死の勧誘アピールされたら誰だって落とされるわけで。

 まよいも一緒に手伝ってくれると言ったし、報酬として洋菓子店「レスコンパンス・ド・トライゾン」のチーズケーキをおごってくれると言ったから、コスパ的にも心情的にも決して悪い話ではない。

 そう思ってホイホイついてきたのだが。

 さて、彼女はこれにどう対応するのか。




「……面白そうね!」


 喜色満面といった面持ちで新入生の青い決意表明、あるいは入部早々の挑戦状を讃える卓球部部長。


「でも、それには貴女が我が綺羅百合卓球部のAチーム入りしないといけないんだけど?」

「自信あります!」

「いい返事ね。そういう子は嫌いじゃないゾ☆」


 笑顔でウィンクとリップを投げて、背後で「生意気なルーキー」に青白い敵意オーラを燻らせているレギュラー陣に顔だけ向けると、そのうちのひとりをご指名。


「青海!この子と練習試合!」

「は、はい!」

「道は『潰すか潰されるか』のどれかひとつ。貴女の好きな方を選んでね❤」

「ひ、はい……!」


 百獣の王に睨まれた哀れな草食獣のようにぷるぷる涙目で震えつつも自前のラケットを取り出すや覚悟を決めて戦士のオーラで卓球台の前に立ったのはさすが名門綺羅百合のレギュラー陣といったところか。


「ずいぶんおとなしそうな子ね。あの子もレギュラーなの?」

「う……」

「?」


 解説しようとするも、卓球に精通していることがバレて厄介なことになるのも嫌だから無理くりストップしたら変な声が出てしまった。

 青海つぼみ。

 二年生でただひとり、綺羅百合卓球部のレギュラー入りを果たした実力の持ち主。

 高校入学してから卓球部に入った初心者だがものすごい勢いで上達し、個人戦では一年生でただ一人ベスト8に進んでしまい、Aチーム入り、つまり一軍入りを早くも確定させてしまった。

 一方、黒潮つばめは最優秀選手に選ばれるほどの実力の持ち主だが、それはあくまで中学生でのお話。

 中学生と高校生の実力格差は如何ともし難い。

 もし彼女がレギュラー入りするならば避けては通れない最初の壁になるだろう。

 しかも遠目でもわかる、青海つぼみのラケットは粒高ラバーだった。

 どんな回転がかかっているのかがわかりづらいまさに初見殺しの魔球ラケット。

 今年のスーパールーキーが去年のスーパールーキー相手にどう戦っていくのか。


「ラブオール!」


 審判の声を合図に、新旧ルーキー対決の戦いの火蓋が切って落とされた―――






「……ゲ、ゲームセット!」


 信じられない光景を目の当たりにしたような審判のおびえた声で試合終了が告げられる。

 3対0。

 名門綺羅百合卓球部のAチームが新入生相手に1セットも取れないまままさかのストレート負け。

 しかも最後のセットは1点も取られることなく完勝。

 スピードドライブとパワードライブを織り交ぜた怒涛の波状攻撃。

 粒高ラバーの魔球返しなど歯牙にもかけない、まさに圧巻の勝利だった。


「ありがとうございました!」

「……あ、ありがとう」


 勝者と敗者の見事なコントラスト。

 彼女たちを迎える陣営の反応もまた対照的だった。

 新入生たちは自分と同じ一年生が名門校の先輩相手に完全勝利を収めたという事実に盛り上がりまくり、まさに凱旋パレード。

 一方の上級生たちはぽっと出の新入生に名門校のレギュラーが敗北したという事実に大きく打ちひしがれ鬱蒼とした雰囲気、まさにお通夜モード。


「すみません……」


 彼女の眼鼻から涙と洟がとめどなく溢れる。

 周囲の仲間は同情と諦観の想いで小声で慰めたりハンカチを差し出したり。

 その陰鬱な空気を打ち破るように彼女の肩をぽん、と叩く手。


「よくやった」

「部長!?」

「あれはしゃあないよ。あそこまでよく持ちこたえた。がんばった」

「すみません……」


 労うように抱きしめる。

 スポーツドリンクの用意をしていたまよいはなぜか紅潮した面持ちでふたりを見つめつつスマホで写真撮影。教室で決して見ることのできない百合星人としての貴重な一コマ。

 と、そこへ。


「部長!」

「ん?」

「次は部長と勝負させてください!」


 黒潮つばめのさらなる挑戦状に体育館のボルテージはヒートアップ。

 赤澤しずくは個人戦優勝に輝いたほどで実績は折り紙つき。

 綺羅百合卓球部のエースオブエース。

 これで彼女も倒したら、黒潮つばめの実力はまちがいなく超高校生級。

 さて、どう応えるか?


「ん~悪いけどこれから職員室で申請の手続きしなきゃいけないのよ。だから…」

「逃げるんですか?」


 まさかの挑発。

 周囲の新入生陣からもそうだそうだ、という扇動のヤジが飛ぶ。

 普段ならあり得ないその言動は、同級生の勝利に昂揚し陶酔したせいもあるのだろう。

 その声に赤澤しずくは――――。


「そうよ」


 微笑んだ。

 ぞっとするほど透き通った声で。

 底の見えない程透き通った瞳で。

 その静かな圧に一瞬にして体育館が静寂に包まれる。


「っと、ごめんなさい。驚かしてしまったみたいね」


 てへ、とおどけたポーズを取ってみせたけどもう遅い。

 道化を演じつつ本質は恐怖政治の女帝枠確定。


「でも逃げるのは仕方ないと思うの。誰だって黒潮さんみたいな本物のドライブガールぶつけられたらあっという間に火だるまにされておしまいだと思う。だから」

「そうですか……」


 褒められたので悪い気はしないだろうが、一方で燃え盛る闘争心に水をかけられたような、そんな複雑な表情をする黒潮つばめ。


「わかりました。あと失礼なこといってしまい、申し訳ありませんでした!」

「まあ待って。誰も試合をしないとは言ってないわ。本物には本物をぶつければいい、ただそれだけのことよ」

「本物?」

「ええ。貴女には我が綺羅百合卓球部の本物、彼女と勝負してもらう」


 そういって、こちらに振り向いて。

 ん?


「真白つばささん。お願いね」


 ………………はい?







「……どうしてこうなった」


 半ば放心状態で黒潮つばめと試合前の練習ラリーをする。

 手にはもう何年も触っていないあいつのラケット。

 しずくがスポーツバッグからそれを取り出したのを見た時は文字通り心臓が跳ね上がった。聞くところによると公民館の市民卓球大会で私の母親と試合相手として出会い意気投合して娘と同じ学校に通う卓球部部長だと知るといつか娘が通うことになるかもしれないからと手渡されたという。あんのクソババア。「あいつの遺品」を相続人の知らないところで勝手に他人任せにするなや。

 しかも当事者の部長は私達残して本当に職員室に行ってしまったし。がっでむ。


「では試合始めます。ラケットの交換を」


 審判の声を合図にラリーを止め、互いに歩み寄る。


「よろしくお願いします」

「よろしく」


 そういって軽く一礼すると、お互いに自分のラケットを相手側がグリップになるようにして手渡す。

 つばめのラケットはドライブガールに相応しい、特厚の裏ラバーだった。

 それも両面とも。

 スピードと回転に特化した、まさに超攻撃型。

 守ることなんてこれっぽっちも考えていない。

 この重厚なラケットであの「つばめドライブ」が繰り出されるかと思うと、武者震いすら覚える。

 一方、私のラケットというと。


「……先輩、中なんですか?」


 私にラケットを返しつつ、訝しげに問う。

 私は答えない。

 答えようがない。

 あいつのものだったラケットなんて。


「ラブオール!」


 審判のコールで試合が始まる。

 最初のサーブ権は私。

 プレイする以上手抜きはできない。

 すっと一呼吸置くと、「サーッ!」という気合を入れた声と共に天井目がけてピンポン球を高く高く高く放り投げる。

 体育館がざわめく。

 通常の投げ上げサーブが3m4m程度であるのに対し、超投げ上げサーブはその倍。

 凄まじい落下速度を利用して強力無比な回転サーブを生み出し、相手コートを蹂躙する。

 「つばめドライブ」が繰り出される前に初手で決める……!

 これに対する対抗策はふたつ。

 ひとつはサーブの強力な回転に逆らわず同じ回転をかけてレシーブ、いわゆる突っつきで返すこと。

 返せるメリットは高いが、相手にとって脅威とはなりにくい消極的な対応策。

 もうひとつは――。


「――っ、シャアッ!」


 猛禽類じみた攻撃声と共に強力なドライブ回転で打ち返してくる。

 下回転を上回転で相殺してしまう超積極的な対抗策。

 目には目を、歯には歯を、下回転には上回転を。

 返せないリスクは高いが自分の攻撃パターンに入れるリターンも大きい、まさにハイリスクハイリターンな戦術。

 超攻撃系選手ならではの発想だ。

 自陣を大きく侵略する白い弾丸ミサイル。

 それを私は大きく後ろに下がってまるで対空防衛システムの心境で迎撃する。

 芸術的な音色と小気味よいリズムに乗ってネットギリギリ超低空を通過して相手陣地の奥エッジ寸前まで美しい放物線を描いて着弾する。


「「「カットマン……!!?」」」


 周囲の動揺をよそにすでに黒潮つばめも再迎撃態勢に入っている。

 これ以上ないというくらい強力な下回転がかかった超低空カット。

 さしものドライブガールも回転を相殺するだけで手一杯だろう。

 誰もがそう予想していた。

 私も含めて。

 が。


「ッシャアアアアアアアッ!!!」


 愛らしい顔立ちからは想像もつかない猛々しい叫び声と共に、さっきとは比較にならないほどの超高速超低空ドライブが自陣を爆撃。それは私という対空防衛システムですら反応しきれないまま、目の前をあっという間に通過してしまう。


「ら、ラブワン!」


 審判がうろたえた声でコールし、点数板の相手点数があたふたとめくられる。

 

「これが『つばめドライブ』……!」


 背中に滝のような冷たい汗が噴き出るのを実感しつつ、思わず独りごつ。

 つばめというその名に違わぬ美しい超高速超低空ドライブ。

 話には聞いていたしさっきの試合でも何度も見ているが、実際に対峙してみると脅威と迫力が段違いだ。

 これはいまの―――否、過去の「最強」だった頃の私ですら返せるか。

 少なくとも次のことは言える。

 このセットは取れない。

 そんな確信と共に私はなお禍々しいオーラを放ったまま高速回転の止まない白球を落穂拾いのような体勢で拾いに行った――――。







 1セット目終了。

 3対11。

 完璧な敗北だ。


「つばさちゃんお疲れ様」

「つばさちゃん言うなし」


 文句を言いながらもまよいの差し出したスポーツドリンクをありがたく頂く。

 まだ1セット目だというのに敗色濃厚な気配と相俟って疲労度も半端ない。

 これは負けか。

 まあいい。

 負けたって何のデメリットも――


「あきらめたらそこで試合終了ですよ…?」


 ぶほっ。


「つ、つばさちゃん大丈夫ぅ!?」

「あ、ごめ~ん。びっくりした?」

「びっくりするわ!」


 いつの間に職員室から戻ってきたのか。

 赤澤しずくが背後でにやにや笑っていた。


「どう、勝てる?」

「これ見て言う?」

「それもそうか。そんなつばさ君に素敵なプレゼントをあげやう♪」


 わざとなのかガチなのか。

 昔の仮名表記通りの発音と共に一枚のプリントを差し出す部長。

 嫌な予感しかしない。




 綺羅百合女子卓球部副部長候補者として下記の者を推薦する。


                 副部長候補者 真白つばさ


                 綺羅百合卓球部部長 赤澤しずく




「……なにコレ」

「プレゼントよ♪」

「ふざけないで」

「私は本気よ」


 一瞬沸騰しかけた私を、彼女の目と声が瞬時に冷却する。

 わかる。

 本気だ。

 そして、なぜこんなことをするのかも。

 私の過去を知っているから。

 全部知っているから。

 あいつとのことも。


「負けたら顧問の先生に提出するから」

「勝ったら?」

「あげるから好きなようにして」


 そういって用紙をぴらぴらさせつつ、こう付け加える。


「あなたを不快にさせたことについては謝る。本当にごめんなさい。でも私は『本気』。だから、あなたにも『本気』になってほしい」


 そういって上級生たちの陣営に戻ってなにやら話しはじめる。

 

 いきなり殊勝なこと言わないでほしい。

 そもそも後だしジャンケンでそんなこと言われたって。

 卑怯じゃん。

 でも。




「赤澤さん、大丈夫だよ」

「え?」

「つばさちゃん、肩と手をぷるぷる震わせているでしょ?あれは『本気』モードになった証拠だから」

「そうなの?へえ……」




 くっ……!

 部長のにやにや笑いの波動がこっちの背中越しにまで伝わってくる……!

 まよい余計な事いうなし。

 後つばさちゃんいうなし。


 でも。

 久しぶりに「本気」を出してみるのも。

 久しぶりにあいつのことを思い出して卓球をプレイしてみるのも。

 悪くはない。






「スリーテン!セットポイント!」


 審判の声が無情にも響き渡る。

 3対10。

 1セット目と変わらぬ得点差で2セット目もセットポイント。




「つばさちゃん……」

「大丈夫」

「え……?」

「見た目は一方的だけど、さっきと違って撒き餌してる。あれならうまくハマれば」

「??」




 まったく、解説役がいると便利だ。

 そう、このセットのここまで私は「わざと」黒潮つばめの得意な展開へと持ち込み好みのコース、スピード、タイミングを読み取ることに専念していた。一方的な展開で手を抜く懸念は彼女に限って言えばあり得ない。卓球が大好きで相手が強敵だろうと初心者だろうと自分の今現在の持てる全力をもって倒す、そんな純粋にまっすぐな信条の持ち主。

 まったく――あいつにそっくりだ。


「――サーッ!」


 気合を入れた声と共に私は得意なしゃがみ込みサーブを繰り出す。

 その名の通りしゃがみ込んで繰り出されたラケットにより生み出される超複雑な斜め横回転サーブは、初見はもちろん慣れていても上手く返すのが難しい。

 しかし、それすらも。


「ッシャアアアアッ!」


 人斬りさながら血飛沫をあげるような声と共に強烈なドライブで無慈悲に打ち返される。

 知ってる。

 そして返ってきたそれに強い下回転をかけて相手陣地の奥エッジギリギリまでの超低空飛行カット返し。

 問題はここからだ。


「ッッシャアアアアアアアアッッ!!」


 愛らしい顔に似合わぬ猛々しい声と共に自陣奥深くに着弾する「つばめドライブ」。

 超高速超低空ドライブ、来るとわかっていても迎撃はおろか、反応すら困難。

 が。

 すでに来る前から迎撃態勢を構えていたとしたら。

 そして、その体勢が「つばめドライブ」級の一撃必殺の破壊力を秘めた超法規的攻撃手段を生み出すものだとしたら。

 私にもあった。

 かつて。

 中学生時代に。

 あいつがいなくなって以来封印したけど。

 いま、それを解除する。

 卓球台から大きく離れた遠距離型ドライブの構え。

 大柄な体すべてをバネにして、ラケットのピンポン球への摩擦作用一点のみに賭ける。まるでボクサーの鍛え抜かれた全身すべてをバネにしたアッパーのように。

 結果、生まれるのは比類ない強力な上回転と予測不可能な軌道を有した極上のドライブ。




「――サアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!」

「ッッッ!!?」




 私の思いも寄らない反撃に初めて守りの体勢に入るつばめ。

 もう遅い。

 バックに構えた特厚ラバーのラケットは無情にも超強力上回転をまったく殺すことなくピンポン球は遥か天井上の照明にまで高く高く高く跳ね上がって勢い余って誤爆、ぱりんという乾いた音を立てて硝子の雨を降り注ぎ生徒たちの悲鳴とも歓声ともつかぬ声があがる。

 成功したか。

 何年振りかのこのドライブ、ぶっつけ本番でやるのはかなり勇気がいったけど。

 これが―――。




「つばさドライブ……!」


 そう。

 しかし、つぶやいたのは私ではない。

 そこには神の啓示を受けた敬虔な信者の如く、夕陽にきらめく硝子雨の洗礼を受けて恍惚とした表情の黒潮つばめが橙色の影を濃く伸ばして佇んでいた―――。







「……結局あの後一点もとれないまままさかの大逆転、次もその次のセットも落として1-3で負けちゃったんですよねぇ……」


 あれから二か月後経った黒潮つばめはあの時と同じ恍惚とした表情で敬虔な信者の如く恭しく語る。

 あの時は夕陽のきらめく硝子雨を浴びて、今は夜道にともる月灯りを浴びて。


「それにしてもまさか『つばさドライブ』とまた巡り合えるとは思わなかったなあ……」

「私だって思わなかったよ」


 中学時代関西に住んでいて地元の強豪チームに所属していた私は公民館で仲間とよく練習していて、その噂を聞いた腕自慢の大人や子供たちの卓球選手と練習試合することもあったけど、まさかそこに黒潮つばめ、さらには赤澤しずくまでもがいたとは……。


「一回だけだっけ?試合したの?」

「はい!センパイの『つばさドライブ』を見てわたしの『つばめドライブ』が生まれたんですよ!!」

「ふうん」

「反応うっす!?もっとなんかあってもよくないですか!?」

「たとえば?」

「たとえばぁ、『君の羽と私の翼が駆け合わさって「つばめドライブ」が誕生したんだね』とか『つまり私たちの愛の結晶が「つばめドライブ」。なんて愛らしいんだ』とか『わざわざ私を追ってきて、しかもこんな可愛い娘まで生んでくれたなんて。感動した。結婚しよう』とかぁデュフフフ……❤」

「…………」

「無視しないでくださあああああああいいいいい!!可愛い後輩になにか一言!!!」

「気持ちわる」

「ひどっ!?」


 それはこっちの台詞。

 私の声色で歯の浮くような台詞聞かされた上キモ顔まで見せられた身にもなってほしい。

 ていうかこいつは私を追って来たんじゃなくて名門綺羅百合卓球部目指していただけで、その証拠に私のことなんかまったく覚えていなかったんだから。


「センパイ、なんで卓球やめたんですか?」

「…………秘密」

「きいちゃダメですか?」

「駄目」


 ずかずか立ち入り禁止区域に土足で上がり込むその神経、見習いたくない。

 そういう天真爛漫な開けっぴろげさは、あいつひとりで十分。

 そう、あいつだけ。

 こいつとはちがう。

 なのに。


「過去にしばられたままのセンパイも素敵ですけど、未来にむかってかがやくセンパイはもっと素敵だと思いますよ?ほら、あのお月様みたいに」


 そういって、思いっきり無防備な笑顔で無邪気な口調で。

 何の衒いも淀みも無く。

 かつてのあいつのように。




「月がきれいですね」




 どきっ。

 不覚にも胸の昂ぶりを覚えてしまう。

 あいつ以来の。

 趣味も性格も容姿も卓球選手としてのスタイルも、なにもかも違っているくせに。

 不意に見せる笑顔がこんなにも似ているなんて。

 ずるい。

 反則。

 なら、私だって。




 ぎゅっ。




「……センパイ?」

「………から」

「え?」

「次の試合、絶対勝つから」

「……それって、プロポーズですか?」

「ちがう」

「ちょ」


 そう。

 これは愛の告白なんかじゃない。

 いわば決意表明。

 二度と同じ過ちは繰り返さない。

 そんな内心を知る由もない少女は吠える。


「ならわたしだって次の試合ぜったい勝ちますから!そしたらセンパイ、わたしとつきあってくださいね!?」

「はいはい」

「なんですかその生返事!?いいですか、つぎこそは――」




 



 卓球少女ふたりの百合喧嘩いちゃいちゃを夜空の遥か彼方に佇む月はただ静かに見つめている。

 かつて別の卓球少女ふたりの百合恋愛いちゃいちゃを夜空の遥か彼方から観察したのと同じように。

 真白つばさ17歳5か月、黒潮つばめ16歳1か月、卓球少女の物語はまだ始まったばかり―――。





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