第10話 Don't call
教会から少し歩けば、断崖絶壁が連なる島の最北端だ。そこからは見渡す限りの大海原。地平線は遥か彼方に広がり、この星の丸みを確認できる。この緯度に関わらず、気候は比較的、穏やかで、初夏を迎えようとするこの季節には海からの穏やかな風が、塩の香りとともに運ばれて来る。
「大神父様。今年もよい茶葉がとれましたよ」
眼鏡をかけた小柄なシスターがそう話しかける。
「あとでお淹れしますね。そうそう。優愛の里にも送らないと。クミコさんたち、毎年楽しみにしてくれているみたいだから」
ふむ、と神父はうなずく。少し前まで、シスター・クミコがこの場所にいたことは話さなかった。何者かに監視されているような気配を感じたからだ。
「よろしく頼むよ、シスター」
神父の言葉に軽く会釈し、シスターは講堂を後にする。
それを見計らったかのように、ざっ・・と足音がした。
神父は足音がした方向に体の向きを変える。
「ご無沙汰しております。エトラテ卿」
男の低音の声が講堂に響く。男のやや後方には女性が立っていた。何れも白のローブに身を包んでいる。男は長身で体格がよく、発達した顎から広く盛り上がった肩まで、頑強な骨格を想像させる。紳士なブラウンの口ひげが、男の野性味を中和しているようだ。一方の女性は男と同じくらいの長身で、艶やかな長い黒髪は背中の中ほどまで伸びている。切れ長の目元に薄赤いアイシャドーが引かれ、唇には深紅の口紅が引かれている。ともに、色白の肌と相まって、ひと際、注意を惹きつける。
「スタンザにイリイか。今日は何用かな」
男が単刀直入に聞く。
「シスター・クミコの居場所をご存知ですか?」
「彼女に会ってどうするつもりかね」
男は眉をひそめ、答える。
「なぜ、問うのです?いまさらお互いの腹を探り合うのやめませんか」
沈黙する神父に男は続ける。
「我々は知っていますよ。シスター・クミコの能力を奪った本当の目的を。遣いの者として不適格というのは表向きの理由でしょう。本当の理由は我々から身を匿うためだ」
「だとしたら、何だというのだね?」
「貴卿も薄々は勘づいておられるようだ」
薄暗い講堂に二人の男の声が交互に響く。
ふっ、と微笑を浮かべ、男は続ける。
「まあいいでしょう。ともかくシスター・クミコを「彼」に合わせるわけにはいかないのですよ。ずいぶんと都合の悪いことが起きかねませんのでね。そもそも、彼はラムダによってとうに排除されているはずだったのですが」
男は開いた両手を腰の位置まで上げる。そして硬い握りこぶしを作る。
「想定を超える速さで覚醒している」
神父は男の言葉を無視するように口を開く。
「そなたらの・・調和を保とうする行動は過剰ではないか?いや・・むしろ異常なまにラムダの安定に神経を尖らせておる。ラムダを少しでも乱す兆候があれば、躊躇することなく、すぐさま対象の排除に動く。そこには一切の寛容さというものが消えておる。神はそのような調和はのぞまれておらぬ」
「お言葉ですがエトラテ卿」
イリイと呼ばれた女性が肩にかかった黒髪を背後に払いながら口を開く。
「我々が異常なのではありません。この世界の不安定さが増しているのです。だから我々としてもラムダを安定させるため、排他機能を強化せざるおえないのです。それに」
イリイは神父を直視したまま続ける。その切れ長の目からは凍り付くような冷たい視線を感じる。
「ただでさえ、そのような不安定な状況下おいて守護者の一人が欠けているのです。排除の振るいの網目を多少は粗くせざるおえないのです。その点はご理解を頂きたいですわ」
「そうかのう。わしにはとてもそのように写らんがのう。むしろ一部の者が他の守護者を煽り、扇動しているように思えてならぬ」
神父は疑念を向けるように目を細める。
視線を向けられたスタンザは肩をすくめながら答える。
「何が言いたいのです?エトラテ卿」
神父は二人を交互に見やる。
「なぜあの女性にそこまでこだわる?守護者としての器が無いことは明確になったはず。そうと判れば、その者を速やかに解放し、次の守護者を探すのが我々の理のはずだ。にも関わらず、そなたらはあの女性をまるで幽閉でもするかのようにかの地に閉じ込めている」
「それは人聞きの悪い。エトラテ卿。我々は何も彼女を拘束したりなどしていませんよ。彼女の意志を最大限、尊重しています。本人が拒絶するなら、我々は即座に彼女を開放し、俗世の人間として生きられるよう配慮します。しかし、彼女は自らの意思で守護者としての責務を果たすことを我々に誓った。何も問題はありません」
「その言葉をそのまま信用せよと?」
スタンザの代わりにイリイが答える。
「ご自由に、エトラテ卿。いま、スタンザは事実を語りましたわ」
「真実を隠したままでか」
一切の間を置かず神父がそう切り返す。
講堂の空気が張り詰める。
「何を企んでおる」
スタンザが答える。
「我々にやましいことなど何もありません。ただ・・そうですね・・一般論として真実を知るものが少ないほど事は円滑に進むものでしょう。あくまでも一般論ですがね」
「自己献身をいとわず、使命をまっとうしようとする真の守護者たちを利用してもか」
両者はお互いから視線を逸らさない。場が膠着する。さきに口を開いたのスタンザだった。
「やれやれ」
そう言いながら教会の高い天井を仰ぎ見る。
「わかりました。ともかくシスター・クミコの行方はご存知ないということで。我々はこれで失礼しますよ。長居している時間もないのでね」
スタンザはそう言い残し、イリイとともに体を翻した。出口の扉に向かって歩き出そうとする。そして神父に背を向けたまま、
「次にお会いするときもお互い紳士に会話できる事を願ってますよ」
そう言い、再び歩を進めようとする。
神父は、その屈強で幅広い背中に向かい、厳かな声を響かせる。
「あの女性はゼラシア様なのじゃな」
スタンザとイリイの歩みがピタリと止まる。
そしてスタンザは背を向けたままうつむき加減に顔をひねり、赤いカーペットに視線を落とした。
「俗世においてその御名を口にすることは厳に慎んで頂きたい」
スタンザのその声には少量の怒気が含まれていた。その目元には影がさすように深い闇があった。再び前方の扉に向き直り進む二人がその扉を開けることはなかった。二人は空間に溶けて行くように姿を消した。
一人残された神父は二人が消えた空間の一点を微動だにせず凝視していた。
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