第8話 あなたがそばに居てくれるなら
アイコの脳裏に、閃きが走る。いまの私はかつてないほど他者の意識にアクセスできる。この状態ならサトル君やレミの意識にもアクセスできるはず。
目の前の男は口元にうっすらと笑みを浮かべている。まるで私がこれからやろうとしていることを見抜いてるように。まるでその閃きを実行せよと促すかのように。その表情に若干の薄気味悪さを感じたものの、アイコは再び目を閉じ意識を集中する。そして二人の意識のありかを探す。まもなく、辺りの風景が、まるで、映画のシーンが切り変わるかのようにがらりと変わる。そこは、あの初夏の風が吹き抜ける高台の公園だった。そして眼の前には黒服の女性が立っている。それは間違いなく、あの時の光景だった。確かあの時、私はレミの瞳に吸い込まれるような感覚を覚えた後、目の前の世界がぐるりと反転したのだ。アイコはその時のことを思い出し、軽い目眩を感じる。アイコが「レミ」と呼びかける前に、レミは口を開く。
―ママなの?そうなんだね。わかるよ。あの時、目の前にいたのが私のママだったなんて驚きだよ・・若い頃のママはなんか雰囲気がまるで違ってて・・私の目がまともなら・・ちゃんと見えていればすぐにわかったはずなんだけどね
アイコは何か返事をしなければと思った。いや、近づいて抱きしめたかった。しかし私の中の何かがそうさせてくれない。
−ママ、ごめんなさい。私が間違っていた。
アイコは一体何について謝られているのかわからなかった。
−この能力が使えるようになってわかったの。調和がどれだけ大切かを。いまこの瞬間も、数えきれないほど多くの人が苦しんでいる。全部、人間のエゴのせいで。欲望のせいで。誰もが自分が満たされることを優先して、誰かを傷つけてる。それを自覚しながら、それでも自分の欲求に忠実な人がいる。自覚しないまま、知らないうちに誰かを傷つけている人もいる。私は誰にも迷惑を掛けていないと。だから私は私の信じる通りに生きるんだって。でもそれはその人の驕りだし、気づいていないだけ。自分がどれだけ周りの人の善意で生かされているかを顧みることがないまま。そのことに自覚が無いから、受けた善意を返そうとも思わない。自己中心的な人が増えるほど、この世界の不幸はどんどん増えていく。人間である以上、エゴも欲望も決して無くならない。だからこの世界から不幸が消えることはない。それは仕方のないこと。でも私たちは本来ひとつ。お互いを思いやり、協調し、他者の幸せを願えば、きっと、もっと、この世界から不幸は減るはず。私はこの世界を幸せだけで満たせるなんて思っていない。でもいまこの世界は、あまりに不幸が多すぎる。しかもどんどん負の側に傾いている。調和が取れていないよ。お互いが他者の幸せを願うなかで、誰かに必要とされ、存在意義を感じ、そして生きてく。それが愛に満ちたこの世界のあるべき姿なんだって。私は今までずっと思ってた。たった一度の人生。だから悔いのないように自分に本音で生きる、それこそが大切だと思っていた。だけど、それは独りよがりな考えだとわかった。わたしは未熟だったの。ママ・・・この世界は守護者を一人失えば大きく崩れる。目を覆うほどのとてつもない数の悲劇が生まれる。人間は愚かで弱くて脆い。だから守護者が必要なの。この世界を守れるのはママしかいない。その守護者様の言うことを信じて。どうか受け入れてほしい。
−レミ!私が守護者の使命を受け入れたら私はサトルさんと結ばれることはないのよ!そうしたらあなたはどうなるの!?
−わたしは大丈夫よ。私はこのとおり、ONENESSの一人の意志として存在を許されてるんだもの。私が消えるようなことはない。心配しないで。
レミは大したことではないというように、いたずらっぽい笑みを浮かべる。
-だからママは自分の使命を全うしてほしい。お願い。
その言葉を残し、レミはアイコの前から風に吹き消された霞のように消える。
-待ってレミ!
アイコが伸ばした手は何もない空間を掴んでいた。その場に残ったレミの余韻を感じる間もなく、再び周囲の景色が切り変わる。その場所、その時間がどこかはすぐにわかった。草原にただ一本だけ立つ桜の大木。樹齢は測り知れない。その大木の下に、アイコは一人たたずむ。桜吹雪が絶え間なくアイコの全身を吹き抜けていく。彼の声が、どこからともなく聞こえてくる。
―・・・アイコさん!
―サトル君?・・サトル君なの!?どこにいるの!?
アイコは顔を左右に振り、更に体を反転させ、周囲を見回す。しかしどれだけ探しても彼の姿は見えない。
―アイコさん、僕はすぐそばにいる。君のすぐそばに。安心して。僕らはずっと一緒だよ。
アイコの目から大粒の涙がこぼれ落ちる。
―サトル君・・ごめんなさい・・わたし・・ずっとあなたに謝りたくて・・突然あなたの前から消えてしまったこと・・でもそうするしかなかったの!そうしないとあなたは・・
-わかってる。だから自分を責めたりしないで。たとえお互いの体は見えなくても、僕らの心は、想いはずっと一つだよ?そうだよね?
アイコはうなずく。しかしそれをすぐ否定するかのように顔を激しく振る。
-声だけじゃだめなの。あなたの温もりが必要なの。いますぐ・・
-アイコさん・・落ち着いてよく聞いてほしい。
君とひとつになったときから、僕はわかったんだ。この世界に再び生を受けた目的は、アイコさんという新しい守護者を守るためなんだって。そんな使命を神様から授かったんだと思う。いや・・違うな・・体を失い思念だけになって揺蕩う僕を引き寄せたのは君の強い想いだ。数多ある魂の還る場所から唯一人の君に還ることができた。それはとてつもない奇跡だと思う。君が僕を求めてくれたからだよ。とても、とても強く。神様はきっと君のその想いに応えて取り計らってくれたんじゃないかな。だとしたら、神様から僕へのメッセージはこうだと思う。君を守れと。確かに守護者は重責だ。でも大丈夫。君は決して一人じゃない。僕がいる。そして君ひとりでその重責を背負わせたりしない。僕もいっしょに背負う。君の傍で。君のことをずっと支え続ける。だからともにこの世界を守ろう。調和に満ちた真の世界を築き上げるんだ。それこそ僕たちの使命なんだよ。
アイコはサトルの言葉が自分の胸に、じんわりと広がっていくのを感じた。そしていま確かに、自分の核となる何かが震えた。アイコは両頬に流れる涙を右手と左手で交互に拭う。空はどこまでも遠かった。
-本当?ずっといっしょにいてくれる?あなたが傍にいてくれるなら・・私は・・
-うん、信じてほしい。ずっとそばにいる。
アイコは、あごを小さく引くように、こくん、と小さくと頷いた。
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