第7話 赤い星と青い星

 大空を舞う鳥のように、自由に空を飛べたらいいな、と思うことが何度もあった。何かに束縛され、窮屈な時間を過ごしているとき、空を見上げ、自由に飛翔する鳥たちを見ては、私もあんな風に飛び回りたいと思った。アイコにとって鳥は自由の象徴だった。守護者としての使命を知ってからというもの、自由への渇望はますます抑えがたいものになった。定められた運命。なぜ私なの?その疑問は、日に日に大きくなり、片時も頭から離れることはなかった。ふと記憶が蘇る。一筋の飛行機雲を追うように、空の彼方へと消えていく鳥の群れ。その群れから発せられる甲高い鳴き声が微かに聞こえてくる。黒服の女性・・レミとの会話。あれは夢だったの?いや夢なんかじゃない。レミは判ってくれていた。そして、私の望みは独りよがりではない、わがままではないのだと、肯定してくれていたのだ。あなたの信じる道を進んでいいんだよ、と背中を押してくれた。でも、あの何もない平原に降り立ってから、私は少しづつ、記憶を辿ることが難しくなっていく感覚に襲われた。過去のことが思い出せなくなっていく。思い出したと思ったその記憶は、空白なのだ。そして大切な人を思うときの感情も少しづつ薄れていく気がした。まるで起伏に飛んだ未舗装の道が、平坦なアスファルトに舗装されるように。サトル君・・レミ・・大切な人の名を呼ぶ。このままでは記憶も感情も消えてしまう気がした。でもその度にレミが意識下に現れて、私が一人の人間であり続けられるように押しとどめてくれている、そんな気がした。レミのおかげで私は自我を保っていられるのだと。だけど、それは、レミの生命のエネルギーを費やしていることなのだと感じた。そして時間を追うごとに、レミの気配は薄れていく。このままではあの子は・・なんとかしなくては。焦りが募る。


 男の後ろに付いて飛翔を続けるうちに、群青の空は、まもなく無数の星が輝く夜の空に変わる。しかし、辺り一帯は異様に明るい。星々が放つ強烈な光のせいだろう。流れる空気は温かくもなく、冷たくもない。その空間を突っ切るように飛び続ける。長く艶やかな黒髪を後ろに靡かせて。ふと横手をみる。突如、途方もなく巨大な星が現れれる。赤い星と青い星。それはまるで図鑑のイメージに出てくる火星と水星を思わせた。二つの星は、それぞれの球体の半分を重ねるようにして浮かんでいる。赤い星が前面に、そして青い星は背面に。球体と球体が重なるその上部から、一段と強烈な光を放つ星が顔を覗かせていた。それはまるで山頂から放たれる後光を思わせた。


 やがて男は地表に降り立つ。アイコは意識することなく、同じ場所に着地する。足元は瓦礫や大小さまざま岩が無秩序に散乱する荒地だった。上空を見上げると相変わらず星々が競うように光を放っている。そこは大気のようなものが無く、まるで月面や火星の地表を思わせた。男が歩き出す。アイコは自分の靴底が地についていないことに気づいた。ほんの少しだけ地面との空間があった。だから地表の凹凸をまるで感じない。しかし地面を踏みしめている感触は確かにある。何だろうこれは。不思議に思いつつ男の後ろを付いて歩く。ピラミッド上の人工物が見えて来る。近くまで寄ると、人が昇るための階段が各四面から頂上まで続いている。男は無言のまま、ある一面の階段を昇り始める。これは石灰岩だろうか。規則正しく切り出された、途方もない数の岩が積み上げられている。アイコはただ階段上の岩を昇り続けた。不思議と息は切れず、疲れも感じない。そして頂上部にたどりつく。頂上には同じく石灰岩で作られたと思われるアーチ状の柱が四面に立っていた。風化のあとは見られるものの、綺麗に研磨され、凹凸はほとんど見られない。頂上からは見渡す限り、ただ瓦礫と岩の不毛の台地が果てしなく広がっていた。そして上空にはあの赤と青の星が、さきほど見た時よりも、更に近い距離にあるように思えた。その姿は巨大で、今にも迫ってくるような威圧感を覚えるほどだった。ただ、二つの星の間から顔を出していた光星はやや隠れてその光を弱めていた。


 アイコはその祭壇のような場所に足を踏み入れてから、得体のしれないエネルギーが満ちていることに気づいていた。ここは何か特別な場所。いえ、私はたぶん、この場所を知っている。私の帰るべき場所。そんな雰囲気を感じ取っていた。


「その通りだよ、ここは君の在るべき場所だ。ラムダを護りし者よ」


 心の声を聞かれたような男の言葉に、アイコは不気味さを感じた。そしてラムダというそのワードに記憶の琴線が引っ掛かる。


「目を閉じラムダにアクセスしたまえ。君が今まで何度も見たあの世界だ。調和がなぜ尊いのか。きっと君も納得してくれるだろう」


 それが何を指しているか、アイコはすぐに気づいた。あの無限に広がる並行世界。幼い頃から何度も見てきたあの世界だ。そのことがリンクしたアイコは男への警戒を少し緩め、言われるがまま、静かに瞼を閉じた。そして意識を集中した。


 暗闇は一瞬だった。瞼を閉じたその瞬間、無数の世界が縦横無尽に果てしなく展開されていく。ここまではある意味、見慣れた光景だ。しかし、それは、いままでと全く違った。その無限の広がる世界の一つ一つに、人の思念を感じる。それは「誰か」が見ている世界だった。いや、誰かが認識している世界。アイコはそのすべての意識を同時に認識できた。それと同時に、自分の意のままに、その意識と同化できることがわかった。アイコに流れ込む数えきれない思念は、さまざまな感情を伴っていた。喜び、悲しみ、怒り、憎しみ・・その奔流に自我を失いそうになる。ある意識にフォーカスがあたる。それは一国の長だった。彼の意識は敵国に対する怒りの感情に支配されていた。そして今まさに、進軍の指示を下すところだった。その先が示す未来は悲惨だった。多くの犠牲者や難民を生み、不幸の連鎖が止まらない。やがて戦火は拡大し、暴力の応酬は更なる悲劇を生む。止めなければ、そう直感したアイコは、彼と同化し、その憎しみに歪んだ心の浄化を図った。やがて彼の心から負のエネルギーが消えていく。それに呼応するかのように、ラムダを流れる時間が穏やかさを少し取り戻した気がした。


「そうだ」


 男が短い一言を発する。


「それが君の使命なのだよ。ONENESSとは一つの生。一人の人間の生とはその細胞のようなものだ。そして調和・・・ラムダはその唯一の生に備わる免疫機能のようなものだ。ラムダは調和を乱すものを排除しようとする。まるで体内の異物を攻撃するかのように。しかし、時には排除しきれない異物が現れることがある。私たち守護者はそのような異物を更に強力な力で浄化する力を神より与えられたのだ」

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