第4話 シスター・クミコの独白
―私は間違っていたのかしら・・
大聖堂の荘厳なる空間の一点を見つめながら、クミコは深い自責の念に沈んでいた。少し前まで感じられたアイコやレミの気配も、いまや途絶えてしまった。それだけではない。彼(か)の地が完全に見えなくなってしまった。祈りを捧げても、頭の中に何の映像も現れない。
私は、自分に課せられた使命-未来の守護者に対し、調和を重んじること、その尊さを説くこと、その者を守護者としての真の覚醒に導くこと―を放棄し、個人の願いを優先させようとした。能力が消えたのは、私の一連の行動が過ちであることを、神は資格の剥奪により、私に示したのかもしれない。
でも・・私にはわからない。守護者も一人の人間。一人の人間の幸せを願い、そのために行動することの何が過ちなのか。確かに調和は尊ぶべきだ。この世界の秩序を守るため、引いては人類の末永い繁栄発展のためには欠かせない概念である。
でもなぜ・・世界は、神は、誰かがその重責を担わなければ、存続できないようなシステムを作り上げたのだろう。全ての人間が均等にその重荷を背負いつつも、皆が幸せになるような世界は、持続不可能な理想郷に過ぎないのだろうか。
確かに、アイコへの手ほどきを境にして、世界は揺らぎ始めている。西側では大きな戦争が起こり、いまだ終息の気配はない。中東でも紛争が勃発し、近隣諸国を巻き込んで戦線が拡大しそうだ。日増しに犠牲者は増え、難民も増え、住むところはおろか、明日の食事にさえ困窮している人が大勢いる。気候変動も深刻だ。世界各地で温暖化が原因と思われる天変地異のような嵐や洪水、火山の噴火、森林火災。全ては調和の乱れが影響しているのかもしれない。多くの人が自我を押し通そうとして、思いやりの心を失い、欲望のままに動いた結果がこのような混沌を招いているのだろう。
もちろん、人である以上、欲望を完全にコントロールすることは不可能だ。神はそれを見越して、調和を保つシステムを作り上げたのだ。全能なる守護者を置き、彼ら、彼女らに均衡をとらせる役割を与えた。
そして私はある時、夢の中で-いや、あれは夢だったのか現実だったのか、いまでははっきり思い出せないが-守護者からそのように教示を受けたのだ。そして新たな守護者を導く使命と力を与えられた。なぜ、それが私だったのか、それはわからない。しかし、あのとき体験した一体感。あの恍惚感は忘れられない。それは例えようもない、無上の美しさ。この美しさこそ、愛の具現だと思った。調和を保つこと、いや、保とうとするその行為が愛なのだと。調和を保つには、思いやり心、無償の献身、自己犠牲を伴う。その行為こそが人間の崇高さなのだと。神の英知だと思った。しかし・・・アイコと出会い、そしてレミの信念に触れ、私の心は揺らいだ。愛する人を求め続けるその純粋で、無垢で、目も眩む結晶のような一途な想いに、かけがえのない何かを感じたのだ。調和は、本当に愛の具現なのか?その疑念が、やがて陶酔にも似た使命感から、私を葛藤の渦へと引きずり込んで行った。
現世への未練を残した彼女を、このまま守護者として導くことが、人として、本当に正しい行いのなのか。私が守護者の啓示を受ける前まで、私を支え続けた信仰は、他者の幸せを願う心は、彼女のその痛切な願いを無視しても、成すべきことなのか。自問自答は止まらない。
「ご機嫌はいかがかな?」
ハッと我に返る。目の前には白いあご髭を豊かに蓄えた老齢の神父が立っていた。法衣から発せられるオーラのような空気には、いつも委縮させられる。
「大神父様。ご無沙汰しております」
しんと静まりかえった聖堂内に二人の声が反響する。祭壇にはマリア像が伏し目がちに物憂げな表情を見せている。両脇の蝋燭の火は、すうっと真上に伸びている。周りを取り巻く空気はピンと張りつめ、少しの緊張感をはらんでいた。
「ご多忙の中、お時間を作ってくださり、感謝しております」
クミコが深々とおじぎをする。
「いやいや、礼には及ばんよ。そう堅苦しくしなさんな」
神父は自分の顔の前でおおげさに手を振り、苦笑いの表情を浮かべる。
「その様子じゃと・・迷いは随分と深いようじゃの。シスター・クミコ。以前に打ち明けてくれた神の啓示に関係することかな」
神父のその一言に安らぎを感じた。この方は私の苦しみをわかってくださっている。そんな安心感と温もり。やはりこの方は全てを見通されている。クミコはこれまでの出来事を包み隠さず話した。例えそれが人知を超える領域であったとしても、この方は全てを受け入れ、そしてその英知をもって、悩める人に、一筋の光にも似た針路を示してくれる。
「大神父様。私は判らなくなりました」
クミコは絞り出すような、か細い声で神父に問いかける。
「神の意に反する行いをした私とは、いったい何なのでしょうか」
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