第2話 ONE・NESSの発現

「で、アイコちゃんはどこかわからん場所でお前を待ってるって?」

アラタが眠たそうな声で聞いてくる。私は運ばれてきたコーヒーには目もくれず、つい先日起きたことの一部始終を彼に話した。そしてそれが夢ではない証拠に、ポケットの淡い黄色のハンドタオルをテーブルに置いた。よく通う近所のカフェは午前の早い時間帯ともあって客は少なく、空席が目立っていた。窓側の席からは最寄りの駅と、ロータリーに一本だけ植えられた桜の木が満開の花を咲かせている。


「1000円カットも相当混んでたんだろうな。わかる。わかるけど、ね、サトルちゃん」


ホットコーヒーをちびちびと飲みながら、アラタは続ける。


「そのハンドタオルもどこで拾ったか覚えてないほど寝ぼけちまうこともあるさ。そもそもお前の言ってることさっきから支離滅裂だし意味不明だぜ。自分がなに言ってるか理解してしゃべってる?彼女の記憶が見えただの、自分の中にアイコちゃんの意識が流れ込んできただの」


アラタの言う通りだった。私はその体験を誰かにうまく説明することはできなかった。彼女の意識とひとつになった・・・その感覚をうまく表現できない。得体のしれないなにかを、なぜ彼女の意識だと思ったのか、それもよくわからない。ただ、彼女と一緒に過ごした時間に感じた、その温もりと同じ何かを感じた、そのようにしか言い表せないのだ。


店内にはジャズ風の曲が静かに流れている。


「長い付き合いだしお前のことはよくわかってるつもりだけど。でもな」


コトっと音をたて、アラタは受け皿にコーヒーカップを置く。窓側に視線を向ける。


「もういい加減、忘れろって」


腕を組みながら、視線を私の方に戻してくる。


「そりゃ、あんだけ仲良くやってて、これからって時に何の断りもなく突然消えられたらきっついのはわかるけどよ。・・・お前もいい歳なんだし、そろそろちゃんと所帯持って落ち着けよ。子供でもできたら世界変わっちまうぜ。子供はいいぞ。かわいくてかわいくてたまらん」


アラタと私は実家が近く、小学生の時からいっしょに遊んでいた幼馴染だ。私とは性格が真逆であり、アクティブで交友関係も広い。服装や髪型もどちらかというと派手なほうで、家族ができてから少し落ち着いたものの、中央で短く逆立てた髪をワインレッドに染めている。最近ではめっきり機会も減ったが、もっと若い頃は彼に連れられて夏はウィンドサーフィンだったり、冬はスキーにスノボと、彼がいなければ絶対にやらないようにアウトドアスポーツにも半ば強引に連れていかれたりした。何かと世話好きで、奥手の私を合コンに(無理矢理)連れて行ってくれもした。情に厚いところもあり、私が彼女と交際を始めたとき、まるで自分のことのように喜んでくれた。アラタと、当時のアラタの奥さん、彼女と4人で旅行へ行くなどして、それぞれの交友を深めもした。彼女が突然いなくなり、私が失意の底にいるときもいろいろ励ましてくれたし、その後も何人かの女性を紹介してくれたりした。そのうちの一人とは付き合うことになったものの、長くは続かなかった。アラタには幼稚園の男の子が1人いる。時々、彼の家を訪ねることもあるが、彼の子供の溺愛ぶりには少し引いてしまうくらいだ。いや、自分に子供ができれば、誰でもこのようになるのだろうか。


「嫁さんもお前のこと心配してるぜ。ずっと一人でいるのはよくねえって。嫁さんが言いたいことわかるだろ?」


そうだな、と相づちを打つ。確かにその通りなのだろう。一人の時間が長くなればなるほど、どんどん現実が薄れていくような気がする。私がこうあってほしいと願う世界を妄想するあまり、現実を直視するのがますますが辛くなる。このままでは自分はダメになる。それはわかっている。しかし、新しい一歩を踏み出せずにいる。


そんなことを想いながら、何気に店内に目をやる。ちょうどウェイトレスがトレイにコーヒーカップをいくつか乗せ、私たちの座るテーブル横の通路をこちらに向かって歩いてこようとしていた。いや、違う。ウェイトレスは私の後方からやって来る。振り返りもせずに、どうして見えるのか。これは誰の視線だ?そう疑問に思った時だった。ウェイトレスを見ている視線と並行して、トレイを持つ重力を感じ、ソファに座るアラタの顔と私の後ろ姿が見える。さらにもう一つ、私ではない誰かの足が通路側に投げ出されていて、大きく足を開いたときの股関節の張りが同時に伝わって来る。次にその大きく投げ出された足のつま先に、誰かのつま先が接触した時の軽い痛みが伝わってくる。その瞬間、トレイのコーヒーカップから熱く黒い液体が飛び出し、宙を舞う。その液体は、私の後頭部に、いままさに降りかかろうとしている。しかし、私は一連の出来事がすでに認識できていた。まるで自作自演のように、自分の手で、自分に向かってかける液体を避けるかのように、まったく慌てることなく、どこまでも自然な動作で通路側に体をずらす。湯気を立てた液体は私の居たソファと、テーブルの上にばら撒かれる。一部、黒い液体がアラタの座るソファまで飛び散る。


「熱っつ」


そう言ってアラタもすぐに立ち上がる。ウェイトレスは血の気の引いた表情で申し訳ありません、と言いながら調理場のほうに引き返し、すぐに何枚かのタオルを持って戻って来る。店長だろうか、ネクタイをしたウェイターもやってきて、大丈夫ですか、まことに申し訳ございません、と平謝りを繰り返している。私は全くコーヒーがかかることはなく、アラタも飛び散ったコーヒーが頬に少し当たった程度で、無事なようだった。私とアラタは、大丈夫ですから、と店長らしき男性と、今にも泣きだしそうな表情のウェイトレスをなだめた。


「お前、ほんとラッキーだったな。なんかコーヒーをかぶっちまうことがわかってたのか?ってな身のこなしだったぜ。あれ、まともにかぶってたらちょっとやばかったかもな」

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