第55話 傲慢な生き物

 一生、人を殺すことなんてないと思っていた。こどもの時は。

 こどもとは傲慢な生き物である。

 けれど時は進む。ずっとこどものままではいられない。



「なあ、おれは人を殺したのか」

 おれの言葉に金髪は肯った。

「ああそうだな。今日お前は二人殺した」

 ふたり。その重みがどれほどのものかはわからなかった。金髪は「たった二人」とも「二人も」とも言わなかった。だから尚更わからない。自分で考えろということなのだろう。この場にもしアベルがいたならば、彼もきっとそう言うのだろう。ものさしは自分で考えて自分で作るものだとアベルはよく言っていたから。

「……あんたは、今まで何人殺したか覚えているのか?」

「あ? そんなん数えちゃいねーよ。踏みつぶした蟻の数なんて数えないだろ。それにこれは仕事だし」

 その言葉に口出ししたのは、意外なことに茶髪だった。

「若者、この少年はそういうことを訊いたんじゃないよ。彼は人殺しに罪悪感を覚えないのかと訊いているんだ」

「ああ? 蟻を踏みつぶすのは良くて、人を殺すのはダメなのか?」

 金髪ははっきりとおれの方を向いて言った。確実におれへの言葉だった。少し考える。人を殺すのは駄目だ。それはわかる。蟻を殺すのも駄目だ。それもわかる。でも、その両者が同じとは思えなかった。

「……人殺しは、何かが一線を画すと思う」

 ははっ。人の気配ひとつない路地裏に笑い声がかすかに反響した。

「なるほどねえ。それじゃあ、殺したのが人じゃなかったら良かったのか?」


 ふと、アベルの言葉を思い出す。

 ――生物界の中では同種同士の殺し合いなんてそう珍しくないんだぜ。

 そんなことを言って、そのいくつかの例を教えてくれた気がする。もう具体例は忘れてしまったけれど。あの時どうして生物が共食いをするのか訊いておけばよかったかも。ああでも、どうせそこに答えはないか。


「人じゃなくて蟻や豚なら罪悪感なんて感じなかった? はっ、それは命にランク付けしてるってことだよ。傲慢極まりない。まあオレら人間は人の命にだってランク付けする生き物さ。親しい人間は死んでほしくないし、見ず知らずの他人はどうでもいい。綺麗事なんか言うなよ、崖から落ちかけている人間が二人いればそりゃ親しい人間から救うだろ」

「……まあ、そうだな」

 おれならアベルを真っ先に助けると思った。本当は、それがおれの、『手足』の役割だったから。もしかしたらおれらは道を違えてはいけなかったのかもしれない。今この瞬間も同じ方向を向いて、歩き続けるべきだったのかもしれない。でも、もう遅い。あの日ユートピアの暗い一室で、おれらは手を離すことに決めたのだから。

「なあ、おっさんは人を殺すことについてどう思ってるんだ」

 金髪はぐるんと後ろを振り返って茶髪に問うた。首元のネックレスがちゃりと揺れる。彼の濃い緋色のブラウスは派手だと思ったけれど、血の汚れが目立たなくてなるほどなと思ってしまった。返り血がただの水滴に見える。

 まさか自分に話が振られると思っていなかったのか、茶髪は眉を顰めて苦笑する。

「特に何も考えてなんかいない。どうせ命令なんだ、考えるなんて時間の無駄だよ」

「まー今はそうだろうけど、昔はどうだったんだ?」

 問うと、茶髪は首を傾げた。またふっと遠くを見る仕草をみる。彼の目におれらの姿が映っているけれど、きっと彼はおれらをみていない。

「戦争があった頃は、人を殺すのが正しくて、みんな死んでいったさ。生き残るためには殺さなければならなかった。今もその延長かな、だから何も考えていないんだ。考えて天国とやらにいけるなら苦労はしないのだけれど」

「……あんたは、天国に行きたいのか」

 口を挟むつもりはなかったのに、思わず問うてしまう。茶髪が天国と地獄を信じていることがまず驚きだった。おれは天国も地獄も信じていない。だって死んだらおしまいだから。

 おれの質問にも茶髪は特に気にしたふうでもなく続ける。そう、茶髪にはいつも余裕というものが滲んでいた。

「所詮人はないものねだりなのだよ。行けるはずがないから行きたくなる」

「……なるほど」

 きっとそれだけではないだろうけれど、それ以上深掘りする気にはなれなかった。利口者は軽率に深淵を覗くことなんてしない。引き際は心得ているつもりだ。深淵を覗こうとするアベルを何度引き留めたことか。


「ま、だからお前が悩むことはねえよ、兄弟。仕事なんだ。オレらのちっぽけな頭で悩んでも解決しないのさ。そういうのは頭のいいやつ……なんだっけ、哲学者? ってやつに任せればいい。おれらは命令に従うだけ」

「そもそもアサという組織は反逆者に恨みでもあるのか?」

 また問うと、金髪はおいおい質問ばっかだなと苦笑した。それでも律儀に答えてくれるのが彼のいいところだった。

「まあ、あながち間違いじゃねえな。最近の仕事の八割は反乱軍の殲滅だからなあ。本来アサってのは金を貰いさえすればどんな仕事でもする便利屋だ。昔は依頼人の目障りな人間を消したり、危ないクスリの仲介人とかもやってたりしたらしいけど、今はもしかしたら政府がパトロンなのかもな。反乱軍を鎮めてくれって秘密裏に頼まれてるのかも」

「それっていいのか」

「普通にダメだろ。オレみたいなバカでもわかるんだから相当だよ。だって国のお偉いさんが掃きだめの組織に金を渡して邪魔な奴らを消してるんだぜ?」

 止まらない金髪の言葉を止めたのは茶髪だった。

「もうその辺にしておきなさい。私たちがここでどうこう喋っても社会は変わらないんだ。無駄なことはしないように」

 へーい、と金髪はあっさり興味を失ったように言った。

「ま、そういうのは自分で考えて内に秘めとくか、端から考えないことだな」

 ふと、アベルはこういったことを考えているのか気になった。優秀で頭のいい片割れのことだから、この国のおかしい点なんてとっくに気が付いているだろう。片割れの脳内を覗いてみたいと思った。

 ――ああ。昔は片割れが何を考えているなんてすぐにわかったのに。

 あらゆる感情を呑み込んで答える。

「……わかったよ、先輩」

 いちばん便利な返答をしてこの話は終わりを迎えた。


 空は白みつつある。


 その日の手当をほんの少しもらって、おれはようやく解放されたのだった。はやく湯浴みをしたい。

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