第52話 からくり

 ぱんっと静かな路地裏に軽快な音が響いた。金髪が手を叩いたのだ。

「あー話が長ぇし重ぇ! だーかーらー、さっさとお前がその男を殺せば終わるんだ。マジで何も考えんなって」

「……わかった」

 佩いていた短剣を手に取り、鞘を取り去った。鈍く銀色の刃が月に照らされて光った。汚れ一つない剣。これから血に汚れてしまうのだろう。少しもったいない。

「ほら、人が嫌ならこいつのことジャガイモと思えばいいから」

 それは緊張した人に言う台詞だろうと思ったけれど、あながち間違いではないから否定はできなかった。

 短剣を握り直す。倒れている男の姿勢を変えて首筋を露わにする。短髪の男だからきれいにうなじから首筋が見えた。月の光でもぴくりぴくりと蠢いているのがわかる。ああ生きているんだ。あとはここに刃を差しこむだけ。ただ、それだけ。

「おっと」

 金髪が声を洩らしたので何事かと振り返る。視線の先で彼はまた現れたらしい残党を屠っていた。やって来たら殺す。あまりにも単純な作業だ。ユートピアでしていた機織りの作業にも似ている。なんだかできるような気がしてきた。やれ、やれ、やるしかない。


 こういう時、アベルならどうするんだろうな。

 ――必要であれば、人も殺すさ。

 確かアベルはそんなことを言っていた。物騒だなと思いながらおれはこう返したのだ。「手足のおれがいるから、そんな必要はない」と。

 あの頃はまだ一緒だったなあとぼんやり思う。過去を振り返っても仕方がないのだけれど。

「う……」

 足元で男が呻いた。びくりと身体が反応する。さらに身じろぎをするのを見て、反射的に刃を振り下ろしてしまった。


 びしゃり。舞い散る血。


 少し刃の食い込みが甘かったのかもしれない。かっと男が目を見開いた。驚いて刃を引く。引いてしまった。間髪入れず血が飛び散って、がくんと男の体躯から力が抜けた。じわじわと血だまりが広がって、瞬く間に躯は骸になった。

 ――あ、か。

 えもいわれぬ虚脱感。或いは何かをやり遂げたような安堵にほうと溜息を吐く。そんなおれの肩を金髪はびしばしと叩いた。やはり少し痛いからやめてほしい。やめてほしいけれど、今だけはその痛みがありがたかった。ちゃんと現実を生きていると思えるから。

「へえ、やるじゃん新人。尻尾を巻いて逃げ出すと思ったんだけど。それかできないよーって泣き叫ぶか」

「先輩はおれを信じてなかったのか、ああ悲しくて泣きそうだ」

 棒読みで適当な泣きまねをして見せると金髪はいつも通り軽快にわらった。

「はっは、上等じゃねえか。それだけ軽口が叩けるなら大丈夫だな。なあ、おっさん、こいつ思ったよりやるよなあ?」

 後ろ壁で腕組みをしていた茶髪は頷いた。

「仕事量が減るからありがたい。これで老体に鞭を打たなくて済む」

「そんな年でもないだろ、まったく素直じゃねえなあ。兄弟、これでもあのおっさんはちゃんとお前のことを認めてんだぜ?」

「そうか」

「くそ、褒め甲斐のない後輩だな、もっと素直に喜んで笑えよ。お前の冗談はわかりづれえんだから」

 笑え、笑えと脳内で唱えてなんとか口角を上げる。上がっているかわからないけれど。何とか口で笑う。目を細めて、瞳に浮かぶ感情を瞼に隠す。

「はは、わざとわかりづらくしてるんだって」

 そんなおれに、にやりと金髪はわらった。何となく悪戯をする前のアベルに似ているなと思った。

「上等、上等。ならさっさと殲滅して帰るぞ」

「……まだいるのか」

 正直、もうたくさんだと思った。もう終わりでいいじゃないか。逃げるな。脳内で声が弾ける。そうか、おれは逃げようとしていたのか。

「そうだなーいつも通りならまだ少し残っているはずだ。そろそろ炙り出すか」

「……もういいんじゃないのか」

「だからさ、命令なんだって。一人残らず殺せって」

「命令だから殺すのか」

 それは、なんだか違う気がした。死にまつわることには意思が介在して然るべきだと思ったのだ。しかし金髪はあっさりと頷いた。

「そうさ、そうでないのに見ず知らずの他人を殺すなんてイカれてるだろ」

 たしかに。すとんと腑に落ちた。しかしそれでも反論の声を上げようとしている自分がいて困惑した。おれは何に反論したいのだろう。おれはどんな言葉を聞きたかったんだろう。


「おい少年、ぼんやりするな。油断すれば狩られる側になるからね」


 そう言いながら、茶髪はまだ小さな少年の胸を一突きにしていた。血が胸から、口からあふれる。その凄惨な表情といったら。見ていられなくなって視線を逸らそうとした。

 ――逃げるな。

 やはり誰かの声が聞こえた気がして、おれはその死に顔に視線を留め続けた。目が合う。それは間違いだ。少年は既に絶命していた。まだまろい頬があどけなさを湛えている。

「……そいつ、まだ子供じゃないか」

 思わずおれが呟くと、茶髪は笑った。

「まだ甘っちょろいな、少年」

「甘い?」

 眉を顰めて問い返すと、茶髪はその長い指を一本、夜空に向けた。

「まず一つ、アサに属するからには、上からの命令には絶対に従わなければならない。しかし私は殲滅命令でなくてもこの子供を殺したさ」

「どうして」

 嗜虐趣味でもあるのかとちらと思ったけれど、それは違うような気がした。でもこれはただの直感。相変わらず茶髪のことは何一つわかっていないのだから。だから問うたまで。

「はは、お前さんは質問が好きだねえ。じゃあ逆に問おう。もし仮にこの子供を逃したら、どうなると思う?」

「……また復讐しにくるんじゃないか」

 おれらの背後で金髪が動き、また一人殺した。

「惜しいな。正解は、この子供が大人になるんだ。するとどうなる、これを経験した子供が集まればさらなる強い反乱軍になるだろう。ひとつの怨嗟に集団が同化すると災厄になる。そうなれば復讐なんてかわいいだろうね。芽は早めに摘まなければならない」

「……」

「おいおい、今更ビビったのか?」

 剣を振って血を落とした金髪が横槍を入れてきた。ビビッてなんかいない。それが理、つまり世の中のからくりだと納得していただけだ。


 恨みを買うような出来事をするには、完璧に遂行しなければならない。そうでなければすべて自分に返ってくるからだ。だから人を傷つける行為にはそれ相応の責任と覚悟が伴う。

「……いや、ビビりはしないさ。ただそろそろ終わったかなと思って」

 金髪はまた笑った。笑っておれの背後を指さした。

「はは、喜べ兄弟。そいつで最後さ、たぶんな」


 突如、肌がびりびりと気配を感じ取った。濃厚な殺意。今まで全く感じなかったのに。

 

 振り返る。空から降ってくる人影が視界に入った――。

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